透明人間
監督:リー・ワネル
出演:エリザベス・モス、オリヴァー・ジャクソン=コーエン、オルディス・ホッジ、ストーム・リード 他
言語:英語
リリース年:2020
評価:★★★★★★★☆☆☆
The Invisible Man(2020) ©Universal Pictures『参照:https://www.commonsensemedia.org』
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~”何かが居る・・・そこに、そこにいる!目の前か?真後ろか?そんな不気味な、ジワジワと肌を伝う様な怖さが醍醐味の『透明人間』は、血塗れで騒がしいホラー映画に飽きてるなら観るべき”~
~”スターのエリザベス・モスは表情だけで、そのシーンの全てを伝えてくれる実力を見せ付けてくれる!ラストは少し陳腐だけど、始終飽きが来ないストーリー展開も素直に面白い作品”~
もくじ
あらすじ
エイドリアンは天才的な光学者でビジネスマン
しかし恋人セシリアは彼の強い束縛に苦しめられていた
ある夜、セシリアは意を決してエイドリアンの元を去る
執念深いエイドリアンを恐れて身を潜めるセシリア
だが暫く経った頃、エイドリアンが自殺したとの一報が入る
その上、500万米ドルの遺産をセシリアに遺したと言う
しかし、エイドリアンを良く知るセシリアは納得しなかった
エイドリアンは自殺する様な人間では無い
自殺を偽造して今も自分を見張っているかも知れない
セシリアの虚妄だと取り合わない友人たち
だがセシリアの周囲では怪奇現象が頻発する様になり・・・
クラシカルなホラーの現代版リメイクとなり21世紀の銀幕へ
レビュー
包帯で隙間無く覆われた顔貌とサングラス。
ジェイムズ・ホエール監督の『透明人間』(1933年)に登場する不気味な透明人間のアイコニックな風貌は、21世紀の人々を跼天蹐地の心境に陥らせるにはインパクトに欠ける。透明人間と言えば、狼男、フランケンシュタインやドラキュラが名を連ねるホラー映画の殿堂に忘れ去られた陳腐な存在と称しても過言ではありません。
『呪怨』(2000年)や『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(2017年)に登場する得体の知れない超自然的な存在に比べると、単に透明なだけの人間を現代のスクリーンに蘇らせる事は言下に妙案と言えないところ。
しかし、リー・ワネル監督の『透明人間』は洗練されたSFホラー映画として、無味乾燥な数多あるリメイクの数々とは一線を画す仕上がり。透明人間が齎す恐怖を堅く保ちつつ、リアルな社会問題とエリザベス・モス演じるセシリア・カスにフォーカスしている事がその最たるポイントです。透明人間を単なる不遇な恐怖の対象として扱うのでは無く、虚構に収まらないリアルな脅威のメタファーとして描くのは新鮮な試み。
『愛がこわれるとき』(1991年)を彷彿とさせるオープニングは、不穏な雰囲気を漂わせて不安を駆り立てるには充分です。誰もが羨むシャープでスタイリッシュな海辺の邸宅が監獄と化したセシリアは、エイドリアン・グリフィンの常軌を逸した束縛から逃れるべく、脱出を試みます。妹のエミリー・カスの協力で轍鮒之急を逃れたセシリアは、幼馴染の下で2週間身を隠しますが近隣をジョギングしている男性1人にさえ恐れ戦いてしまう。姿は見えずとも、エイドリアンの呪縛はセシリアを簡単には手放してくれない。
出典:”The Invisible Man(2020) ©Universal Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
しかし、セシリアの戦々恐々とする日々を終わらせる一報が入ります。エイドリアンが自ら命を絶ち、その上500万米ドルの遺産相続の報せを受けて当惑しつつも安堵するセシリア。しかし、心を蝕む関係から解放されたかの様に見えたのも束の間。
1人になると何処からとも無く感じる視線。
そして遂には姿無き何者かの足跡を目撃してしまい、身の危険を確信するセシリアですが、幼馴染のジェームズもエミリーも取り合わない。剰えジェームズの娘、シドニーがセシリアの眼前で何者かに殴打され、セシリアが咎められてしまう。透明人間と化したエイドリアンの行いだと言い張るセシリアは正気を疑われ、次々と奇怪な現象が重なるに連れて孤立して行く。
セシリアの苦しみを噛み締める様に迫る透明人間の脅威は、息が詰まりそうな逃れられない恐怖、パートナーや配偶者間の暴力に晒される者が絶えず体感する苦痛そのもの。虐げられている者には鮮明に映る毒牙が、他者には幻想や虚妄の産物に見える絶望感。
『透明人間』の恐怖の神髄は透明人間が存在する事では無く、そうした被害者に対する先入観が常在する事にあります。エイドリアンの様に聡明で狡猾な人物は、その先入観を隠れ蓑に襲撃の機会を的確に突き、獲物を仕留める。アメリカでは家庭内暴力に苦しむ女性は男性の実に3倍との統計が出ている中、被害者の胃の腑が喉元に迫り上がる様な心境を見事に描いています。
原作となったH.G. ウエルズの小説、『透明人間』(1897年)ではイギリスの科学者が物質を透明に変化させる薬品を開発するファンタジー然とした設定が透明人間を世に放ちますが、ワネル監督の『透明人間』では実在する最新鋭の軍用装備と称しても全く想像に難く無い技術へ置き換えている点もスマート。ホラー映画でありながらメタファーとしての恐怖に加え、貞子と共に井戸の底へと一蹴出来ない現実的な脅威をオーディエンスに届けています。
小型カメラを無数に装着した全身を覆うスーツは光学迷彩を応用して着用者の姿を消してしまうテクノロジーの結晶で、エリア51の実験場に眠っていても驚かない代物です。
出典:”The Invisible Man(2020) ©Universal Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
一方でハーヴェイ・ワインスタインの性的暴行行為の数々が明るみになって以来、Me Too運動を通じて膾炙した現代のフェミニズムは、広範囲に過剰な同情を誘う側面がある旨は意識したい。『透明人間』では肉体的な苦痛に留まらず、奸智に長けた男性のエイドリアンが齎す精神的な懊悩にも焦点を当てていますが、水面下で女性による精神的な苦痛に耐え忍ぶパートナーも少なく無いはず。
エイドリアンの様に女性を恐怖と暴力でコントロールする力をマスキュリニティと勘違いする者に加え、対極的に女性の如何なる横暴をも受け入れて隠忍自重する事をマスキュリニティと考える者も忘れてはなりません。男たる者、泣き言や文句を言わずに何事にも堪えねば、器の小ささや女々しさに留まらない罵詈雑言の豪雨が降り注ぐ。
尤も、都合が良い環境を求める行為は理に適っているし、女性の本能として覆せない。蝶よ花よと愛でられ、社会に承認される事は即ち子孫の安全と繁栄を約束する。声高に男女平等が叫ばれ、男尊女卑を糾弾する一方で女性の多くがレディーズ・ファーストを好む所以です。然りとて、その本能的な欲求を前提としたMe Too運動に付和雷同する昨今の風潮には疑を呈さざるを得ません。『透明人間』が導く結論とメッセージに誤謬こそ無いものの、そうした視野が狭い考え方に迎合する様に感じてしまった点は口惜しい。
しかし、総じて予想外の恐怖を与えてくれるホラー映画に仕上がっている『透明人間』は評価出来ますし、精神崩壊の瀬戸際に佇む人間をパーフェクトに演じているモスの鬼気迫る表情は見逃せません。
『透明人間』の着想には感服しますが、沈思黙考の産物なら傷んだ心が引き起こすパラノイアの過酷な苦しみの余韻にフォーカスを当てたはず。
神経が覚めやらぬ言い知れない恐怖。水鳥の羽音にも驚いてしまう、窮追された心境。透明人間は、透明だからこそ獲物が疑心暗鬼に捕らわれて怯える様子を引き立てられる格好のヴィランである事はワネル監督も重々理解しているものの、『透明人間』がその存在を一朝一夕に認めてしまう点は聊か残念です。得体の知れない不気味な存在が、この瞬間も数寸先から静かに見つめ、顔を覗き込み、何処から襲い掛かって来るかも知れない。それが壊れた心魂が生んだ突拍子も無い妄想なのか、実在する化け物の所業か。
その狭間で戦慄くアンビバレンスは長続きする事無く、眠るセシリアの毛布を引き剥がしたり、脱出の夜、エイドリアンに盛った毒物の瓶が洗面所に置かれていたりとセシリアの幻想では片付けられない現象が重なります。
『透明人間』は定常的な暴力と威迫が齎す物理的な弊害に焦点を当てたがり、セシリアの猜疑心が確信へと変わって透明人間の襲撃に阿鼻叫喚するシーンへと逸る様に進んでしまう。然りとて、その脅威が明るみになった後は効果的なスケアの数々が待ち構えており、ホラー映画が齎す恐怖心を喫するには充分な演出が凝らされていると言えます。
出典:”The Invisible Man(2020) ©Universal Pictures”『参照:https://www.cinemablend.com』
透明人間を初めて目の当たりにするシーンでは、屋根裏部屋へと通じる梯子に気配を感じたセシリアがペンキを散らしてその姿を炙り出しますが、想定以上にセシリアの近くへ迫っていた恐怖が心臓を鷲掴みに。特に異様に裂けた口や禍々しい光を放つ三白眼を持った怨霊の類いと異なり、形相が一切読めない事も透明人間の不気味な迫力を際立たせています。
『透明人間』のカメラワークもシンプルながら恐怖心を煽るには充分にエフェクティブ。
朝食をフライパンで調理し、火に掛けたままシドニーを起こしにキッチンを離れるセシリア。しかしカメラはセシリアを追う事無く、広々としたキッチンを遠巻きに映し続け、不穏な火花を散らす調理器具と異様に開けたスペースが胸騒ぎを誘います。その空間に何かが潜んでいる様な、得も言えぬ不安感。
セシリアをフレームの中心から外して、フォーカスが合っていない背後の空虚なホールを映し出すショットも多く、見えざる何者かが間近に迫っている事を暗示する月並みな演出ですが、鳥肌が腕を伝う感覚を楽しませてくれます。
『透明人間』は血飛沫を纏った断末魔や混沌とした悍ましい修羅場にばかり訴えずとも、身体の芯から恐怖を味わえるホラー映画が成り立つ事をスマートに裏打ちしている作品と言えます。
出典:”The Invisible Man(2020) ©Universal Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
アンビバレンスが足りなかったとは言え、『透明人間』はエイドリアンが偽装した自殺のトリックや、エイドリアンがセシリアに固執する動機を描かないストーリーラインとした事もワネル監督のスマートな一手。完全性を求めると釈然としませんが、『透明人間』のメッセージには本質的に関係が無い要素を削ぎ落としている事は明らか。奇想天外な絡繰りは重要では無く、セシリアが卑劣な策略で陥れられ、孤独な闘いを強いられる現実に迫る事がポイントだと忘れられ無い様に設計されています。
そして『透明人間』のリアリティと説得力は、モスが見せる表情の賜物でもあります。その眼光は、悲しい哉、見掛けの現象より深く見ようともしない人々が救いの手を差し伸べるはずが無いと諦め、希望を失った人間のもの。モスが演じるセシリアが湛える失望の笑みは、その内に秘めた壊れそうな精神に誰も気付く由が無く、現代社会が苦痛に苛まれている被害者をも透明人間と化してしまっている事を表している様でした。
モスの歪な表情に目を据えると、緻密にプログラムされた様な筋肉の動きに圧倒されます。『アス』(2019年)で見せ付けてくれた形相の悍ましさは記憶に新しいものの、『透明人間』で多用されるモスへのクローズアップでは到底意識が働いているとは思えない絶妙な唇や目元のラインが、改めてその実力を物語ってくれました。
動揺と混乱が招く引き攣った口元や、翳りを落とした頬の微妙な痙攣。
『透明人間』はフィナーレに向けて、序盤の緊迫感とユニークネスを忘れ、退屈で混沌としたフィスト・ファイトと銃声をブレンドした手垢塗れのクライマックスへと失速しますが、幸いにもモスがセシリアのホラーストーリーが崩れない様に繋ぎ止めてくれます。透明人間に扮していたのが弟のトム・グリフィンとしか考えられない結果を目の当たりにしても、エイドリアンが黒幕と信じて止まないセシリアの直感は疑う余地が無い様に感じる程オーディエンスは引き込まれるはず。
出典:”The Invisible Man(2020) ©Universal Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
そして法の網を巧みに掻い潜り、裁きを免れたエイドリアンにセシリアが自ら鉄槌を下すラストは爽快ですらあります。
藻掻くエイドリアンを睥睨するセシリアの炯々たる眼光は、理不尽で孤独な恐怖に晒された窮鼠の表情に秘めた底知れぬ力を漲らせています。その点、ストーリーを展開させる為のオープニングも注目すべきはサスペンスに満ちた演出ばかりで無く、セシリアの人格に関しても多くを語っていること。
衝動的な行動を避け、事態を観察して計画を立てて行動する事でエイドリアンと対峙するセシリアには、『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)や『キャプテン・マーベル』(2019年)の類で捻じ込まれた頭を抱えてしまいたくなる、鉋屑の様なガールズパワーを凌駕する本質的な力を感じます。煌びやかなコスチュームで男性を圧倒して蹂躙するシーンが一瞬だけ挿入されて悦に入る浅はかな感触は無く、作品を通して不屈の精神を描いている事がエンディングで実を結び、プロットとしては意外性に欠けるとは言え、セシリアが己の手でカタルシスを遂げた印象が強い。
セシリアが直面するリアルな社会問題を題材にしたホラー映画として、独自の着眼点と表現の発想力には唸るものの、不完全燃焼の感覚が残ってしまうのは『透明人間』の残念なところ。然りとて透明人間の持ち味を梃に、喧しい悲鳴や金切り声を撒き散らさずに骨の髄へ静かに染み込む恐怖を醸し出している点は秀逸。リメイクのベースとなったホエール監督の『透明人間』も当時は斬新と称賛されましたが、ワネル監督はその新奇なエッセンスも漏れなく現代へと蘇らせてくれています。
この映画を観られるサイト
『透明人間』は5月1日に全国の劇場で公開予定!
コロナウィルスの影響で公開が延期されない事を祈るばかりですが、5月に安心して映画館で映画を楽しめる様になったら、是非足を運んでください!
まとめ
のべつ幕無し絶叫に疲弊しかねない昨今のホラー映画と異なって、静寂と虚空を巧みに活用した『透明人間』の不気味な恐怖は実に印象的。使い古されたジャンプスケアも見られますが、全体としては充分にホラー映画として楽しめる仕上がり。
始終、不安と絶望を秘めた表情を称えたセシリアも言動にキャラクターとしての複雑な特徴が表れ、打ちひしがれた様で、実際は真にパワフルな女性である事が魅力。演じるモスからは眼が離せません。
世界に未だ蔓延る社会問題をホラー映画1本で語り切れるとは到底思えませんが、断面的にでもその忌むべき行為が齎すダメージを体感出来るはず。映画館で鑑賞すれば、終幕後も特に強い余韻を残してくれるホラー映画ですので、新しいホラー映画を求めている方には是非お勧めしたい作品です。