『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』徹底解説!マンソン・ファミリーとラストの意味をネタバレありで解説、実際の事件に対するタランティーノ監督のメッセージとは・・・

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド


監督:クエンティン・タランティーノ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、エミール・ハーシュ、マーガレット・クアリー、ティモシー・オリファント、オースティン・バトラー、ダコタ・ファニング、ブルース・ダーン、アル・パチーノ 他
言語:英語
リリース年:2019
評価★★★★★★★★☆☆

Once Upon a Time in Hollywood(2019) ©Sony Pictures Releasing『参照:https://www.imdb.com


 もくじ


『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の主な登場人物

リック・ダルトン
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の解説

作中では嘗てTVの西部劇『賞金稼ぎの掟』でスターとして名を馳せていた架空の俳優。しかし、時代の移り変わりで映画界への道が開けずにキャリアに危機と焦りを感じる日々を過ごし、屡々情緒不安定になってしまう。実在した俳優、スティーブ・マックイーンをモデルにしたとされる。専属スタントマンのクリフ・ブースとは親友の様な関係で、互いに信頼を寄せている。演じるのはレオナルド・ディカプリオ。

Once Upon a Time in Hollywood(2019) ©Sony Pictures Releasing『参照:https://www.imdb.com

クリフ・ブース
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のネタバレと解説

リック・ダルトンの専属スタントマンで戦争の帰還兵。プライベートでも行動を共にし、運転手を務めるなどダルトンをサポートする人物。架空のキャラクターだが爽やかと同時にミステリアスな人物で、過去に暴力沙汰を起こしたり、銛で妻を射抜いて殺したなど不穏な噂が付き纏う。郊外のトレーラーでピットブルのブランディと暮らしており、ダルトンと異なってリッチな生活をしていない。また、常に飄々としていて後先の事を心配して行動する様子を見せない事もダルトンとは対照的。スタントマンだけあって、拳を使わせたらブルース・リーをも打破してしまう力量の持ち主。演じるのはブラッド・ピット。

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シャロン・マリー・テート
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のネタバレと解説

キャリアが難航し始めるダルトンと入れ違いに今後を嘱望される26歳の女優で実在した人物。知名度は高くないものの、当時を振り返ってダルトンの様な俳優とは対比的に映画界の新時代を担う世代を象徴する人物として屡々言及される。新進気鋭の映画監督、ロマン・ポランスキーと結婚していたが、1969年8月9日にチャールズ・マンソン率いるカルト集団『マンソン・ファミリー』のメンバーによって自宅を襲撃され、殺害されてしまった。26歳の若さで惨殺されただけで無く、当時テートは妊娠8ヶ月だった事もあってこの事件は世界を震撼させた。演じるのはマーゴット・ロビー。

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スカイ君
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、俺も最初はキョトンとしちまったぜ。ネタバレありこっから解説していくから、まだ解説読みたくない人は注意だ!驚きのラストもネタバレしてるからな!タランティーノ監督の意図を理解するのがカギだぜ

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』本編の解説と考察

ストーリーの振り返り

西部劇ドラマ『賞金稼ぎの掟』で主演を務め、TVスターとなったリック・ダルトンは映画スターへの道を切り開こうとしていたが、カウンターカルチャーの影響で過去の人物となりつつあった。焦燥感に溺れる中、ロサンゼルス市シエロ・ドライブにあるダルトン邸の隣家に新進気鋭の映画監督ロマン・ポランスキーとその妻、シャロン・テートが移り住む。

ダルトンはドラマの悪役や単発企画のゲストをオファーされる中、華やかで若々しく、幸福感と希望に満ちた夫妻を横目に苦々しい想いをしていた。

ある日、ダルトンの専属スタントマンで世話役も務めるクリフ・ブースはダルトン邸のTVアンテナの修理をしていると、ポランスキー邸へ一台の車が向かうのを目撃する。ポランスキー邸を訪ずれていたテートの元恋人ジェイ・セブリングが車から降りた男に用件を尋ねると、テリー・メルチャーと会いたい旨を伝えられるが、1ヶ月前からポランスキー邸となった事を教えると、男は去って行った。この男は後にチャールズ・マンソンである事が明らかになる。

TVアンテナの修理を終えて、ドライブを楽しんでいたブースはヒッチハイクをするヒッピーの少女プッシーキャットを車に乗せる。少女の行き先が、映画の撮影ロケーションとしても馴染みのあるスパーン牧場で彼女が仲間と共に牧場で暮らしている事を怪訝に感じたブースは、牧場主のジョージ・スパーンに会おうとする。牧場は確かにヒッピーで溢れ返り、頑なにスパーンと会わせようとしなかったが、説得の果てに再会を果たしたものの、スパーンは両目を失明して記憶も混濁した老人として軟禁状態にあった。そこで牧場はチャーリーと名乗る男を崇拝するヒッピー集団のコミュニティとなった事を知る。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ネタバレと解説
スパーン牧場を訪れたクリフ・ブースはヒッピー集団と対峙する

出典:”Once Upon a Time in Hollywood(2019) ©Sony Pictures Releasing”『参照:https://www.imdb.com

そして半年間後、ダルトンはイタリアで映画出演を果たして国内ヒットを収め、妻のフランチェスカ・カプッチ、ブースと共にロサンゼルス市シエロ・ドライブの自宅へ戻ろうとしていた。ダルトンはブースを引き続き雇う猶予が無い事を告げ、2人は共に歩んだ日々を想って最後の盃を交わす。同じ夜、テートは妊娠しており、友人を交えてレストランで食事を摂っていたが、夫のポランスキーが自宅を離れている事を理由に邸宅へ招待する。

酩酊状態のブースとダルトンは、ダルトン邸へ戻るが、ポランスキー邸を襲撃すべくシエロ・ドライブを訪れたマンソン・ファミリーのヒッピーを目撃するダルトン。車のエンジン音に苛立ちを覚えたダルトンは、マンソン・ファミリーを追い払うが、ヒッピーたちはダルトンが西部劇俳優として活躍した人物である事に気付く。ダルトンの様な殺人を演じた西部劇俳優自身を殺そうとマンソン・ファミリーは標的をダルトン邸に切り替え、凶器を手に襲撃を始める。

マンソン・ファミリーがダルトン邸へ侵入すると、愛犬ブランディの散歩から戻り、飲酒とLSDが入った煙草を吸ってハイになったブースと鉢合わせる。マンソン・ファミリーのリーダー格、テックスがブースへ拳銃を向けるがブースが合図するとブランディはテックスに噛み付き、怯んだメンバーをブース自身が袋叩きにしてしまう。1人で邸宅のプールでマルガリータと音楽を楽しんでいたダルトンは、ブースの猛反撃を受けてパニックになったメンバーが突如プールに飛び込んで一瞬怯むが、過去の出演作で使用した火炎放射器を手早く倉庫から拾い、プールを焼き払う。

警察と救急隊が駆け付ける頃にはマンソン・ファミリーは一網打尽にされ、負傷したブースは病院へ搬送される。

ブースを乗せた救急車を見送るダルトンだが、騒ぎを聞き付けたセブリングがダルトンに声を掛ける。テートと共に事の顛末を聞いた後にポランスキー邸へ招き入れ、ダルトンはテートと知り合う事となる。

シャロン・テート事件とは

テート事件と立て続けに発生したラ・ビアンカ事件と共に、テート・ラ・ビアンカ殺人事件としても知られます。

テート事件はカリフォルニア州ロサンゼルス市でチャールズ・マンソン率いるカルト集団マンソン・ファミリーによって1969年8月8日の深夜から翌9日に掛けて発生した殺人事件の事です。被害者は女優でロマン・ポランスキーの妻だったシャロン・テート、ポランスキーのスクリーンライターだったヴォイチェフ・フライコウスキー、フォルジャー・コーヒー・カンパニーのアビゲイル・フォルジャー、テートの元恋人でヘアメイカーのジェイ・セイブリング、そしてスティーヴン・ペアレントの計5人。

マンソン・ファミリーとは

出典:『https://edition.cnn.com

チャールズ・ミルズ・マンソンが率いるカルト集団。マンソンは売春婦で当時16歳だったキャスリーン・マドックスとカール・スコットの間に生まれ、少年期から犯罪に手を染めていた。母親は気まぐれで結婚したり、バーのウェイトレスにビールと引き換えに幼いマンソンを売り払うなど母親としての役割を担うに足らない女性だったとされ、その後青年になったマンソンは家出少女を集めてファミリーとして生活を始める。

マンソンはLSDを使って相手を洗脳する事に長けており、自身が手を汚す事無く様々な行為を代わりに実行させる傾向があった。彼に心酔した女性は数多く、聖書に独自の解釈を与えて特に自身をキリストとして信者を説いた。尚、マンソンは元々ミュージシャンを目指していてビートルズのファンだったと言われ、レコーディングとアルバム制作活動を試み、音楽プロデューサーだったテリー・メルチャーと接触する。メルチャーを通じてデビューを果たそうとしたが拒絶された為、メルチャーが以前住んでいた邸宅への襲撃を計画。その姦計はマンソン・ファミリーのメンバー4人が実行犯となり、不幸にもシャロン・テートを含む5人の命を奪う事となる。

事件の夜、テートは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と同様に10050シエロ・ドライブの自宅で友人に囲まれていました。当時、ミュージシャンとして有名なクインシー・ジョーンズやスティーブ・マックイーンも招待されましたが、いずれも断っており、特にマックイーンは交際相手と共に訪れる予定だったものの、彼女に自宅で夜を過ごしたいとせがまれた為、難を逃れます。

実行犯はチャールズ・ワトソン、スーザン・アトキンス、リンダ・カセイビアン、パトリシア・クレンウィンケルの4人。各々、マンソン・ファミリーではテックス、スーザン、リンダ、イエローと呼ばれていました。4人は現場付近まで車で訪れ、距離を置いて徒歩で接近。最初の犠牲者は、偶然にも友人と会う為にポランスキー邸を訪れた当時18歳だったスティーヴン・ペアレント。4人が邸宅の門前に差し掛かったタイミングでペアレントの車が近付いた為、ワトソンが拳銃で彼を脅し、命乞いをするペアレントをナイフで切り付けます。ペアレントは腱を切断する防御創を手に受け、その後胸部と腹部に銃弾を4発撃ち込まれて死亡。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ネタバレと解説
モデルと女優として将来を嘱望された生前のシャロン・テート

出典:『https://www.washingtonpost.com

ワトソンとアトキンスは邸宅の窓から侵入し、カセイビアンは外で見張り役を任されます。邸内ではソファーでヴォイチェフ・フライコウスキーが寝ており、ワトソンは彼の頭を蹴り上げて起こします。困惑したフライコウスキーがワトソンに何者かを問うと、“俺は悪魔の仕事にしに来た悪魔そのものさ”と返し、テート事件で最も悪名高いフレーズとして後世に知れ渡る事になります。

“I’m the devil, and I’m here to do the devil’s business”

邸宅に居た人物は全員リビングへ集められ、手始めにテートとセブリングが首元を縄で互いに縛られますが、セブリングが妊婦のテートばかりは丁寧に扱って欲しいと申し立てた事が仇となり、ワトソンによって銃弾を撃ち込まれた後にナイフで数回襲われ、セブリングは刺殺されます。フライコウスキーもタオルで四肢を拘束されますが、自力で抜け出し、アトキンスへ反撃を試みるも両脚をナイフで刺されてしまう。玄関先まで辛うじて逃げますが、追いついたワトソンの手に掛かり、命を落とします。

クレンウィンケルから逃れたアビゲイル・フォルジャーズはプール付近でクレウィンケルに追い付かれ、ワトソンが数十回に亘ってナイフを突き立てて殺害。

テートは身籠った子供の命ばかりは見逃して欲しいと懇願し、生まれるまで人質として捕らえる様に乞うがアトキンスとワトソンは聞き入れず、母子共に殺害してしまいます。最後にワトソンは邪悪なシンボルを現場に残す事を指示し、アトキンスが邸宅の玄関にテートの血液で”PIG”と書いたと言われています。現場の状態は凄惨で、テートは片乳を切り取られていたとの報道さえあります。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ネタバレと解説
カルト集団マンソン・ファミリーの創始者でテート・ラ・ビアンカ事件の首謀者、チャールズ・マンソンは2017年に獄中死した

出典:『https://edition.cnn.com

この事件は言葉で紡ぐには余りにも惨たらしく、非道で冷酷です。被害者の恐怖、そして陽の光を浴びる事無く命を奪われたテートの子、そしてテート自身の最後の願いを想う事さえ心苦しく、二度とあってはならない事だと改めて痛感させられます。マンソンが哀れな幼少時代を過ごしたとは言え、この行為を是とする事に一切同情の余地は無い。

テート事件の動機はメルチャーとの確執で説明が多少付けられるものの、ビートルズの楽曲に独自の解釈を与えて白人至上主義的な思想に至り、1960年代後から民族主義運動と黒人解放闘争を掲げていた政治組織ブラックパンサー党に濡れ衣を着せる事を目論んでいたと言われています。黒人への人種闘争を仕掛け、淘汰したいと考えた結果がテート・ラ・ビアンカ事件に繋がりました。

エンディングの解説

シャロン・テートの身に降りかかった凶行の真実を知ると、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のエンディングとのコントラストが顕著になります。舞台や時代設定、登場人物を考えると明らかにラストはテート殺害に終わるものと考えていたオーディエンスも多かったのですが、驚く事にダルトンとブースに標的が変更されただけで無く、2人で返り討ちにしてしまいます。実際の酸鼻を極めるインヒューマンな行為とのギャップは何を示すのか。

1つ、このエンディングはハリウッド映画の本質を表しています。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のタイトルが示す通り、これは御伽噺。タランティーノ監督のファンタスティックな世界に広がる妄想では、テート事件は起こらないハッピー・エンドが待つ。マンソン・ファミリーなるヴィランが押し寄せ、ヒーローのクリフ・ブースが見事に勝利する現実とは異なるタイムライン。ハリウッド映画は現実逃避で、実際の出来事とは異なる命運を描く虚構である事を表しているのです。

もう1つは、テート事件の犠牲者の仇討。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ネタバレと解説
当時はヒッチハイクも結構当たり前で、ブースもプッシーキャットを難なく乗せる

出典:”Once Upon a Time in Hollywood(2019) ©Sony Pictures Releasing”『参照:https://www.imdb.com

ブースが侵入した3人を完膚無きまでに嬲るシーンはテート事件の常軌を逸した残虐性を、タランティーノ監督がマンソン・ファミリーに勢い良く投げ返す意図が垣間見えます。手を食い千切られんばかりにワトソンに噛み付くブランディ、パン生地の如く壁と言う壁にケイティの頭をフルフォースで叩き付けるブース、原型を最早留めていない血塗れの顔貌を恐怖に歪めたセイディを消し炭に仕上げるダルトン。阿鼻叫喚の巷と化したダルトン邸内を駆け巡る劈く様な絶叫。眼を背けたくなる程にゴアリーなシーンですが、現実でマンソン・ファミリーが犯した罪を思えば、議論の余地はあるとは言え、スクリーンの中であれば感情的には全く以て正当な報いとさえ言えます。オーバーキルとしか言えないこのシーンは、タランティーノ監督の復讐であり、マンソン・ファミリーへの盛大な”ファック・ユー”です。

テートを初め、あの夜犠牲になった被害者に対する鬼畜の所業こそオーバーキル。それをそのままスクリーンの中で返しています。

マンソン・ファミリーの3人の顔を思い出したブースが、ワトソンに”お前はお馬さんに乗ってたっけな、名前は確か…”と言うと”俺は悪魔の仕事にしに来た悪魔そのものさ”と返されますがブースは怯む事無く、“いや、もっと阿保みたいな名前だった”と応じます。拳銃やナイフを手に、悪魔を騙って威嚇する3人を前に微動だにせず、飄々として嘲るブースは、マンソン・ファミリーの愚行が如何に滑稽で幼稚で思想や動機も失笑に値する事を表しています。マンソン・ファミリーはカルト集団と対になりがちなミステリアスで邪悪な魔力から切り離され、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではナイーブ故に洗脳されて荒唐無稽極まり無い指示に従ってしまった勘違いグループとして描かれています。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ネタバレと解説
悪魔だ神だと思い上がった勘違いで人の命を奪う事に対するタランティーノ監督の中指が炸裂

出典:”Once Upon a Time in Hollywood(2019) ©Sony Pictures Releasing”『参照:https://www.imdb.com

ブースが3人を相手にしている間、ダルトンは優雅にマルガリータを啜りながら音楽を聴いていますが、最後にセイディを派手やかに焼き払う役割を負います。これもハリウッド映画の実情を小突く演出。

日々高まるアクション映画に対するアクションへの期待。息を呑む様な危険で派手なアクション。それを実現する縁の下の力持ちこそスタントマンです。撮影中に負傷する事は無論、命をも落としかねないアクションを熟すものの、顔はスクリーンを飾る事無く、クレジットでもメインのキャストよりもフィーチャーされる事は無い影の実力者。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドでもマンソン・ファミリーを血祭に上げるのはスタントマンのブースで、メインのダルトンは既に半死状態のセイディを火炎放射器で盛大に焼き殺す瞬間、映画で言えば美味しいショットを最後に掠め取り、ヒーローのスポットライトを浴びます。実際のハリウッド映画の如く。

映画製作の観点からも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の構成は秀逸で、架空の人物であるリック・ダルトンとクリフ・ブースのキャラクターを明確に描きつつ、悪名高いテート事件と紐付ける事で映画が進むに連れ、オーディエンスは徐々に恐怖心と緊張に呑まれ始めます。無邪気に笑い、踊る若くて美しいシャロン・テート。人生を謳歌している様な彼女でも、待ち受ける惨劇は冷酷にも着実に近付く。この避けられない無残な死が次第に歩み寄る緊迫感が常にスクリーンに染み付き、3時間程度のランタイムでも飽きさせない。実に巧みに大衆の知識と興味を利用した映画です。

モダンとオールドの夢物語

マンソン・ファミリーを充分に蹂躙した後、再びシエロ・ドライブには静寂と平和が訪れます。

ブースは病院へ搬送されますが、ダルトンはポランスキー邸に招かれて『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は幕となる。表面的には惨劇を免れたテートがタランティーノ監督の御伽噺で生き続ける事を表していますが、ハリウッド映画の黄金時代に終止符を打った夜と称される実際のテート事件を無に帰して、新たな時代の幕開けを切望する想いも込められている様にも感じます。

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ダルトンは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を通して、時代の潮流にアダプト出来ず、過去へと流されつつある人物でした。1969年、これは実際の現象で大きなハリウッド映画が大きな変革を辿ろうとし、死に掛けていた古き時代がテート事件の夜、完全に息の根を止められたと言われていますが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で生き続ける事になったのはテートだけで無く、ダルトンやダルトンに並ぶ古き時代の面々なのです。新たな時代を象徴するテートと、過去になりつつある古き時代を象徴するダルトンが遂に対面するラスト。次の時代への扉を、テートを通じてダルトンは手にした事で新旧の調和がハリウッド映画に訪れる。

これも御伽噺ですが、モダンとオールドが邂逅し、そのシナジーから次なる時代を形作る事が出来たら現代の映画には、また異なるジャンルやスタイルが生まれていたかも知れません。

ダルトン邸のプール

ラストでもダルトンが邸内の凶行の事は露知らず浮かんでいるプール。

狭い故にか、値段に見合う内容の不動産が手に入らない日本に住んでいると(プールが付いた邸宅やマンションは相当な富裕層しか楽しめない)、ダルトンのプールは特に財力の象徴になりそうですが、ポランスキーとテートがロードスターで出掛けるシーンに注目すると、それ以上の意味を持つ事に気付きます。ダルトンがプールでリラックスしていると、カメラは緩やかに後退し、隣家のポランスキー邸ではパーティに出掛けるべくロードスターに乗り込むポランスキーとテートが移ります。フィクションとノンフィクション、新と旧がノンカットでスクリーンを共にする瞬間で、ラストで邂逅する事を暗示しつつ、ダルトンが現実と切り離されている事を示唆しています。

何かに干渉される事も無い、岸から切り離された水面でダルトンが悠々としている様子は、非現実の世界、即ちタランティーノ監督が描こうとしている夢物語『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を象徴しています。

ミソジニー批判が的外れな理由

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のラストは無論、様々な憶測や物議を醸しましたが、シャロン・テートに纏わる事件を題材としているのに、テート役を演じたマーゴット・ロビーのスクリーン・タイムや台詞が著しく少ない事に対して異を唱える声も少なくありません。

タランティーノ監督はアンチフェミニストなのかと。

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議論を発散させると、映画界全体に対して言及する事になります。女性主演の映画が少なく、登場する女性は多くの場合男性を際立たせる様なロールを与えられていると主張する方は多い。こうした主張の問題は映画や作品のコンテクストを無視して、定量的な数値やデータだけ齧り取っては鬼の首を取った様に作品を糾弾する事だと感じています。

飽く迄も『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に議論の中核を限定すると、体感値としても確かにロビーの出演シーンは少なく、フォーカスがダルトンとブースに向けられている事は間違いありません。丁寧に実際のスクリーンタイムや台詞の文字数を測り上げれば、その事実は顕著となる事は予想されますが、作品は本来的に女性を活躍させる為に存在するものではありません。誤解が無い様に補足しますが、無論男性を活躍させる為に存在するものでも無い。ストーリーを語り、メッセージを伝播させる為にあります。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ネタバレと解説
マーゴット・ロビー演じるテートはパーティで踊ったりセクシーな衣装で颯爽で街中を歩いたりするが、それはミソジニーに値するのか

出典:”Once Upon a Time in Hollywood(2019) ©Sony Pictures Releasing”『参照:https://www.imdb.com

紙の書籍や、美術館に飾られる様々なアートとは異なる媒体として映像を通じてオーディエンスの感情に語り掛けて作品のストーリーを体験させる。

エンディングの解説も踏まえ、タランティーノ監督が描きたかった世界とメッセージに照らし合わせた上で『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のシャロン・テートの扱いを考えると合理的です。現実と異なり、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はテートの物語では無い。テートは如何せんマンソン・ファミリーと対峙する事無く、平和な人生を送る。テートを過剰にハイライトする動機があるとすれば、映画の本質であるストーリーを起点にした観点で無く、単に映画史の鑑みて女性のスポットライトを増やせと要求する無闇で感情的な考えに他ならない。

もう一歩矛盾した批判は、ラストで繰り広げられるマンソン・ファミリーの女性メンバー2人に訪れる圧巻のバイオレンスに対する異議です。女性への暴力反対は尤もですが、観点としては本来は暴力そのものを否定すべきでは無いかと思わざるを得ません。女性への平手打ちに対してオーディエンスは息を呑みますが、男性の股間に強烈な金的を食らわせる事は全く以てコミカルで面白いとされる。『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)や『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』(2019年)では女性のキャラクターが男性の股間を蹴り上げますが、いずれも明らかに滑稽である事を示す描写になります。批判するならば、同じく過剰な暴力的な描写に晒されるワトソンも議論に含めるべきで、即ち性別と関係無い主張としない理由が無い。

映画の影響で家庭内暴力や女性を虐げる男性が出る為だと主張する声もありますが、実際に発生する暴力事件全体の中で男性同士、或いは女性から男性への暴力はどの程度映画に影響されたもので、男性から女性の暴力とどの様に関連するのかを見極める必要があると思います。男性から女性への暴力の内、何割が映画の影響だとするならば、男性同士の暴力事件でもどの程度映画の影響を受けたか調査して比較しなければ、映画で女性への暴力を非難する理由としては弱い。語弊無い様に述べると、不必要に女性への暴力を描く事は全く感心しませんが、それは暴力全般に対して思う事です。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ネタバレと解説
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のストーリーは飽く迄ダルトンとブースを取り巻くもの

出典:”Once Upon a Time in Hollywood(2019) ©Sony Pictures Releasing”『参照:https://www.imdb.com

一方、アクション映画で女性が脚光を浴びない事も屡々問題視され、誹謗の的となる映画監督も増えています。これは暴力や危険と女性を切り離せと主張する声と一貫性が無い。男性と同様のスポットライトを求めるならば、男性のキャラクターと同じ様に金的に耐えろとは言いませんが、アクションに伴いかねないバイオレンスも受け入れるべきです。この矛盾を正す方法は1つで『キャプテン・マーベル』(2019年)の如く、女性のキャラクターは天上天下無双である事にするしかありません。男性は袋叩きにしても問題が無いので、悪役に仕立て上げ、唯一無二のパワーを纏った女性に嬲らせる事でアクション映画で脚光を浴び、しかし男性の手によって血を流す事無く勝利を手にする作品が出来上がる。

しかし、これはフェミニストが男性を非難していた論拠を不思議な事に自ら犯している事に他ならない。女性エンパワーメントやインクルージョンが無鉄砲に叫ばれる現代でこそ通用しますが、性別を取り換えただけに過ぎず、サステナブルにはなり得ません。

この課題の根源は女性目線のストーリーが少ない、或いは語り手が少ない事に起因します。映画を1つ1つ分析して女性の出演が少ないだの、台詞が少ないだの、扱いが杜撰だのと非難しても大きな意味は無い。既に述べた様に映画として何を語り、どの様な目的とストーリーを描こうとしているのかを考えなければ的外れだからです。批判すべきは、映画界の体質で、女性監督や制作陣に携わるメンバーに女性が少ない事、そしてその理由です。監督の座を譲られない女性に寄り添い、男性には語れない女性目線の新鮮でユニークなストーリーを語るチャンスを生み出す事が最も重要では無いのか。

映画とフェミニズムに関しては別の記事で語りますが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』や映画作品そのものに対してフェミニストなビューで批判する事は、局所的で屡々全体感を持たない為、往々にして頓珍漢である事は認識すべきだと思うのが正直な所で、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に関しては特にその様に思わざるを得ません。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』がもっと楽しくなるトリビア

マンソン・ファミリーの車

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では実際に1969年の景観を再現すべく、驚く程細やかな工夫が凝らされています。車が颯爽と街中を駆け巡るシーンも少なくありませんが、ここにも細やかな配慮とクラフトマンシップが垣間見える。

ブースが運転する車のホイールに注目すると、ハブキャップが装着されていません。これはスタントマンが通常ホイールにハブキャップを被せない事に由来しています。

そして惨劇の夜、マンソン・ファミリーがシエロ・ドライブまで使った車も実際の事件で使用された車両の精巧なレプリカでフォードの1959年式フェアレーン。実際の車両は現在も保管されており、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の撮影に際して所有者が貸し出しをオファーしましたが、余りにも陰々滅々な演出だと感じた制作陣は、精巧なレプリカを造って映画に使用しました。驚異的なのは錆や傷の箇所も正確に模している点で、実際の写真と比べてみると非常に顕著です。

『イングロリアス・バスターズ』

タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(2009年)はナチス軍と総統アドルフ・ヒトラーを銃撃し、ラストでは爆薬で皆殺しにするブラック・コメディ映画。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でもダルトンがナチス軍に火炎放射器を放つ映画を撮影しているシーンがありますが、これは『イングロリアス・バスターズ』へのオマージュ。

そして『イングロリアス・バスターズ』も実際のナチス軍やヒトラーの命運から逸れて、ファンタスティックでカオスな妄想の世界でタランティーノ監督としての天誅を下します。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で類似のシーンが紛れ込んでいる事は、同様に驚く様な捻りのあるラストが待ち受けている事も暗示しています。

スパーン牧場

スパーン牧場は実在する牧場地で、実際に西部劇の撮影ロケーションとして頻繁に使用されていました。オーナーも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に登場するジョージ・スパーン(作中では別の人物が演じています)で、両目を失明し掛けていた事も事実です。

マンソン・ファミリーが生活していた事も事実で、女性メンバーが多く、その点でブースが訪問するシーンは一層リアルで緊迫感が増す瞬間です。


ブルース・リーとシャロン・テート

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではマイク・モーが亡きブルース・リーを演じますが、回想シーンではテートに武術を仕込んでいる瞬間があります。これはテートが実際に出演したアクション・コメディ映画の『サイレンサー 破壊部隊』(1968年)向けにリーがテートを訓練している実際の出来事に基いています。

リーは『サイレンサー 破壊部隊』のアクションや擬斗を監修し、指導していたので、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でリーが登場したのはそうした当時の背景を踏まえた上での事情でした。然りとてリーが傲慢な思い上がりとして描写されている点に関しては、娘から抗議があったものの、タランティーノ監督はリーを”実際に傲慢な男だった”と評して謝罪や弁明を避けています。

いかがでしたか?

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は一見支離滅裂、ラストで困惑したオーディエンスも珍しくはありません。オーバーなバイオレンスに嫌悪感を持つ事も理解出来ますが、これこそ凶悪な殺人鬼に対するタランティーノ監督のメッセージ。

3時間近くのランタイムを誇る映画ですが、時代背景や予備知識と併せて再び鑑賞してみると、観方も変わるはず。是非、この記事で新しい事を知る事が出来た方は、もう一度鑑賞してみる事をお勧め致します。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 解説
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