『キャプテン・マーベル』のネタバレ評価!猫のグースに全部持って行かれるくらい平均的なオリジン映画

キャプテン・マーベル


監督:アンナ・ボーデン&ライアン・フレック
出演:ブリー・ラーソン、サミュエル・L・ジャクソン、ベン・メンデルソーン、ジャイモン・フンスー、リー・ペイス、ラシャーナ・リンチ、ジェンマ・チャン、アネット・ベニング、クラーク・グレッグ、ジュード・ロウ 他
言語:英語
リリース年:2019
評価★★★★★★☆☆☆☆



~”メッセージにモヤっとする、スタンダードなオリジン映画・・・正直、猫のグースが一番インパクトあった”~
~”ストーリーの捻りは弱いが、ラストでキャプテン・マーベルが見せる圧巻の強さには思わず拍手”~

 もくじ


 あらすじ


過去の記憶を失ったヴァースはクリー帝国の戦士
彼女の記憶には、恐るべき戦いの引き金となる秘密が隠されていた
クリー帝国が敵対するスクラルに狙われた彼女の記憶が、衝撃の真実を呼び覚ます
スクラルに追われるサスペンスの中、過去を探るヴァース
最後に掴んだ彼女の正体は・・・
アベンジャーズ史上最強の女性ヒーロー、ここに爆誕


 レビュー

『アベンジャーズ:エンドゲーム』公開直前に上映となった『キャプテン・マーベル』は、ブリー・ラーソン演じるキャロル・ダンヴァースが失われた記憶を取り戻すべく、己の過去と真実を追い求める物語

惑星ハラのクリー帝国、精鋭対テロリスト部隊”スターフォース”の一員、ヴァース(本名キャロル・ダンヴァース)を夜な夜な襲う悪夢がストーリーの端緒を開きます

砂煙が舞う中、焦燥の色を露わにした一人の女性と、彼女に武器を向ける影が迫ると目が覚める。夢の意味と女性の正体に悶々としつつも、急遽発生した救出任務を遂行すべく出撃。

しかし、救出を求める救難信号はクリー帝国と紛争関係にあるスクラルによる計略で、ヴァースはスクラルに囚われてしまいます。狙われたのはヴァースの記憶。


キャプテン・マーベル映画
眠ると同じ悪夢に魘されるヴァース(キャロル・ダンヴァース)

出典:”Captain Marvel (2019) ©Marvel Studios”

記憶を抽出されつつも囚われの身を脱したヴァースは、4体のスクラルと共に惑星C-53(地球)に墜落

駆けつけたS.H.I.E.L.D.の若きニック・フューリーはスクラルの存在を目の当たりにし、彼らの侵略を防ぐべくヴァースと行動を共にします。二人はヴァースの記憶を頼りに、彼女が1989年に事故死したとされる米国空軍極秘プロジェクト”PEGASUS”の試験操縦士である事を突き止めます。

ヴァースがテストしていたのはウェンディ・ローソン博士が考案した試験仕様のエンジン。そしてローソン博士こそヴァースの悪夢に登場する女性でした。

事故の日に何があったのか。

序盤はアクションも少なく、ヴァースの過去を探求する事にフォーカス。クロースレンジで拳を交えるシーンも、驚く程カットが多くて技斗に創意工夫を感じられません。一方でストーリーをサスペンス調に進めつつも手に汗握るかと言えばそうでもなく、生焼け感が漂います


スパイダーマン:スパイダーバース
ゴブリンを思わせるシェイプシフター、スクラルがクリーと闘う真の理由は・・・

出典:”Captain Marvel (2019) ©Marvel Studios”

S.H.I.E.L.D.の長官、ケラーに擬態していたスクラルの遣い方が最たる例です。

フューリーが応援部隊だと信じているケラーを、スクラルだと気付かず迎え入れるトラジック・アイロニーを試みているシーン。このシーンは戯曲の『マクベス』よろしく、忍び来る剣呑が齎す切迫感を愉しめると思いきやフューリーは咄嗟にケラーの正体を見抜き、悠々と難を逃れます。心拍数への差し響きも無い短命なスリル。

エレベーターなる閉塞的で異質な空間を活用して、鑑賞者もフューリーと同時にスクラルだと気付かせた方が、強い衝撃と展開を危ぶむサスペンスを演出できたと考えると残念です。追手に囲まれる流れも、『ボーン・スプレマシー』(2004年)に限らず、漠然と観た記憶がある典型的なスパイ映画のカットを切り貼りした様でした。

ヴァースの素性と本名が判明し、ス-パーパワーの源が明らかになってからは天下無双、両腕から放つホワイト・ホールの光子エネルギー波で敵軍を完膚無きまで焼き払います。スーパーヒーローの煌びやかで爽快なアクションを求めていたのであれば、ラストは裏切りません

『キャプテン・マーベル』は抑圧された女性の解放や、躍進を願い、力強い偶像を掲げた記念すべき女性スーパーヒーローの先駆けと讃える声が多い中、釈然としないのが正直なところです。

スカイ君
悪いな、例によってここからはネタバレありの感想だ!そうだな、俺も期待していた程、こと新しい感動や良さは感じなかったし、単にアメコミ好きかマーベル映画ファンならお勧めするぜ、ってトコだ。マーベル映画10年の歴史で散りばめてきた伏線も回収してるしな
モカ君
そっかぁ、ボクは凄く楽しかったよ!キャプテン・マーベルがパワーをフル開放したシーンとか本当にカッコ良かった!キャロル最高だよ!
ストーリーよりもキャスティングに意味がある政治広告

人種や性別に関係なくハリウッドでキャリアを積む機会を与えられて然るべき。

マーベル映画に言及すると『ブラックパンサー』(2018)がダイバーシティを試みた代表映画ですが、原作コミックスを実写化した事実よりもキャスティングが注目され、称賛された事は記憶に新しい。ある程度展望が想定出来るとは言え、魅力的で共鳴出来るヴィランとブラックパンサーらしい慧敏なアクションは、映画作品としてのエンターテインメントを存分に提供してくれました。

ブラック・ライヴズ・マター運動(Black Lives Matter)を水面下で感じさせつつも、センターフレームから外した執拗さの無い描き方は受け入れ易かったのですが、『キャプテン・マーベル』はそこが難点

ハリウッド映画と言えば大作からマイナーな作品まで、千差万別。名女優をフィーチャーした素晴らしい映画はオードリー・ヘップバーンが活躍した黄金期から存在する中、屈強で精悍な男性のイメージが根強いスーパーヒーローの世界へ、単純に”女性を登壇させる事”が目的と強く感じました。無論、目的には全く異見はなく、寧ろその結果観た女性や少年少女が奮い立って前向きになるなら良いと思いますが、何を証明したかったのかが疑問。(キャロルが言う様に”証明する必要などない”にしては、証明したそうな描写が疑問)

ヒーローを夢見る少女達がハロウィンを心待ちにする、夜空に輝くガールズ・パワーの象徴。太刀打ち出来ないホワイト・ホールのエネルギーを如意自在に放てる女性が、大スクリーンで剛健な男連中と同じ様に宇宙人を蹴散らせる事を証明したかったなら、『ルーム』(2015年)で秀抜なパフォーマンスを見せてくれたブリー・ラーソンの起用は勿体無いです。


キャプテン・マーベル映画
真一文字(まいちもんじ)に固く結んだ口元と隙と感情を感じさせない眼光が特徴的なキャプテン・マーベル

出典:”Captain Marvel (2019) ©Marvel Studios”

サスペンスに関しては吃驚仰天する瞬間を今かと待つ観客に気の無いパンチを食らわせ、キャロルをもっと知りたいと願う観客には共感を呼ぶ描写を与えない。悪夢に魘されて目覚めるシーンでも、キャロルの表情には狼狽も恐怖も混乱も無く私は戸惑いました。ヨン・ロッグに、これも無表情のまま”眠ってしまったら、また夢を見てしまうわ”と語った場面で、内心では悪夢を怖れていると初めて理解。

キャロルが初めて感情を露わにするのは、事故当時の音声記録を聴いた後に混乱して”私は一体誰なの”と叫ぶ瞬間ですが、心模様を一切感じられなかった流れの中で爆ぜる様に忽ち心情を叩きつけられても、再び戸惑うばかりでした。

記憶を失くした人間が説明のつかない強大な力を手にし、毎夜悪夢に苦悶している事を考えると”何なんだ”と叫びたくなる気持も解せます。しかし、理屈として咀嚼できても、心に訴えて来ないプアな脚本は評価出来ませんでした

“Control your emotions”

“感情をコントロールしろ”

キャロルが度々掛けられる言葉ですが、女性は男性よりも感情的で冷静に重要な仕事をこなせないと示唆する誤った観念を表します。キャロルがラストに見返す事は言わずもがなですが、その為にセメントで固めた様なラーソンを観続けるのは映画として辛い

スカイ君
オレはあんまり女性がどーのってのは考えずに観るつもりだったが、意識せざるを得なかったな。脚本が一番こだわってるのはそこだし・・・つっても、それ自体は全然イイんだ、マーベル映画らしいアクションとかワクワクするストーリーがあればな
モカ君
えっ、アクション凄かったじゃない!キャロルが覚醒して目がギンと光るシーンから鳥肌だったよ!・・・ボク犬だけど
スカイ君
オレはいつでも”鳥”肌だよ、ボツボツしてんぜ。コスチュームと手から放つエネルギーは確かにカッコいいんだけどさ、何だろうな・・・チートコードぶっ込んだゲームみたいで、呆気無いのが楽しくなかったかな・・・最強アピールが過ぎた感じだ。コミックスでもここまで強いのか?
モカ君
一応そうみたいだよ、本当はキャプテン・マーベルって男らしいけど・・・キャロルは厳密にはミス・マーベルってキャラクターにあたるみたい。でもイイじゃない、爽快なアクションには間違いないし!

差し詰め、私が受け取ったメッセージは・・・

男性は命懸けでマンモスを狩り、女性は脆い家と子供を守る。いずれも欠けてはいけない重大な責務とは言え、性別で割り振るべきと考えるのは間違っている。そしてどの役を買って出ようとも、その資質と資格があるか否かは自分が決める

一方で、マンモス狩りに出るならば、それに伴う危険やリスクも把握して背負うべきではないでしょうか。男と同じ様に筋骨隆々とした身体で対敵するか、知恵を使って腕力を凌ぐかアプローチは創意工夫の余地がありつつも、狩りの中で取り返しのつかない怪我をしたり死する危険性も不服なく受け入れる事が論無く求められます。『キャプテン・マーベル』では性別に依存する束縛の過ちについて言及していますが、その裏側までは明確に語っていない。“大いなる力”を主張するあまり、それに伴う”大いなる責任”は影に隠れてしまっている様に感じます。

『キャプテン・マーベル』はブリー・ラーソンを始め、『アメリカン・ビューティ』(1999年)のアネット・ベニング等の女優をセンターに、性別に結び付けられる恥辱や偏見を払う台詞や派手なアクションを以て”ハリウッド超大作で女性が主演しても成功する”事を実証する為に制作された映画でした。

ストーリーで驚かす、楽しませる、キャラクターに共感してもらう、魅力を感じてもらう事よりも社会的な偏見に抗い、現代のあるべき姿を提唱する『キャプテン・マーベル』。私としては、それ以上の映画であって欲しかった

根幹はキャスティングが持つ意味合いとインパクトが強く、総じて映画としては”オリジン映画の作り方”を片手に生み出された映画が、果たして女性軽視や性差別問題の熱が冷めた数十年後に観ても、エンターテインメントとして楽しいかと言うと私は安易に首を縦に振れません

キャプテン・マーベルと若きニック・フューリーのバディ・アクションが一番の見どころ

ラーソン演じるキャロル本人は”強い”以外の特徴を持たない無味乾燥なキャラクターですが(『アベンジャーズ:エンドゲーム』(2019年)では、もっと人間らしさや個性を醸し出して欲しい)、地球に墜落してからはCGiで若返ったサミュエル・L・ジャクソンが静かに沈下して行く『キャプテン・マーベル』を救います

旧知の仲さながら軽やかに冗談を言い合うキャロルとフューリーは、ファンでなくとも頬が綻ぶのを禁じえません。互いを茶にするだけではなく、思いやる様な遣り取りも魅力

『アイアンマン』(2008年)を皮切りにマーベル映画を見続けて来たファンとしては、キャロルとフューリーがタッグを組んでインフィニティ・ストーンの一つ、スペース・ストーンを追うアドベンチャラスなシーンの数々は楽しかったです。


キャプテン・マーベル映画
若きニック・フューリーとの親しみを感じさせるキャプテン・マーベルは素直に観ていて楽しい

出典:”Captain Marvel (2019) ©Marvel Studios”

ラーソンとジャクソンがスクリーン外でもバディな関係である事が大きいでしょう。二人の親交が『キャプテン・マーベル』でもじんわりと活きます。無気力で能面を被った様なラーソンの表情は変わりませんが、それでも伝わる微かな愉快さがあります。

ベン・メンデルソーン演じるスクラルの将軍タロスが加わってからは、一層笑いに拍車が掛かって楽しい。グースをフラーケンと見抜いて慄くタロスに向けて、グースを持ち上げて突き付けるフューリーのワンシーンはグロテスクな宇宙人が猫一匹に腰を抜かしかけるコメディが絶妙。(可愛すぎて攻撃できない”猫バリアー”も引っ掛けていると思うと、尚面白い)

ウィットに富んだジャクソンとメンデルソーンの登場で安堵するも、キャロル本人が如何に情趣と個性に欠如したキャラクターかが却って際立ちました

どんなに重要で意義深いメッセージを掲げようとも、それを体現するキャロルがどんな人間なのか不透明なままだと、彼女の闘いを応援したり抱えている重荷に心底共感したりする事は難しい。単に名優3人の絡みを楽しめるだけでは、『キャプテン・マーベル』を映画として評価する事は出来ません

猫の姿をしたフラーケン、グースの方がキャロルよりも味があったとさえ感じます

『キャプテン・マーベル』のガールズ・パワーはパイ投げの如く観客の顔面に間違いなくクリーンヒットしますが、中身は何処か空虚で、寂れた駐車場に一瞬響いては消えていくエンジン音の様な映画でした。


 この映画を観られるサイト

『キャプテン・マーベル』は2019年3月15日から劇場で上映しておりますので、興味がある方は是非映画館へ!

動画配信サービスでの取扱はかなり先になりそうですが、配信開始が確認出来次第こちらも更新致します。

 まとめ

女性の秘めた可能性は無限大で、誤った社会風潮に抑圧されるべきではないと強く訴える『キャプテン・マーベル』。しかし、そこを一層掘り下げたメッセージは無く、表面的なインスピレーションに留まります。無表情で碇の様に微動だにしないキャロルには確かに信念とパワーを感じる一方で、人やキャラクターとして寄り添ったり応援したいと思わせる親近感や共感ポイントは殆どありません。

アクションにも目新しさ無く、良く見えない暗がりの中を何カットも重ねて敵陣を凪倒す様子が印象的。抑圧された力(感情)を開放してからは、ネアンデルタール人の軍団を砲撃するイージス艦の如く瞬時に全てを粛正する爽快なバトルが繰り広げられるも、呆気なさにどこか物足りなさを感じました。

フューリーやグースによって笑いは生まれるも、映画全体としてはサスペンスもストーリーも浅く、特筆すべき作品とは言えませんでした。

スーパーヒーロー映画で女性がセンターとなり、キャスティングされた事の意義が最も重く、『スパイダーバース』(2018年)の様に驚きや楽しみを届ける使命感無く誕生した『キャプテン・マーベル』は、『アベンジャーズ:エンドゲーム』(2019年)に続く次回作に期待したいです。

キャプテン・マーベル
最新情報をチェックしよう!