ディズニーファンは今やアレな人?新時代の白雪姫は『ノー・ホワイトと7人のノンバイナリー』?ダイバーシティ、インクルーシビティとフェミニズムが蝕むディズニーのレガシーと創造性の崩落を探索

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現代ディズニー作品


ダイバーシティ、インクルーシビティ、フェミニズム総出でタコ殴り!白雪姫の王子はストーカー、『男性を不快にするのは楽しい』と語る女性監督、ニューノーマル化するダブスタ、度重なるファン・ベイティング

そして2024年公開予定の『白雪姫』撮影現場リーク画像と主演俳優の発言から判明した驚愕の筋書きは、アニメーション版とは似ても似つかないものに?

気に入らないものは全て燃やし、無かった事にするトキシック《有毒》なマインドセットが引き起こす、夢の国ディズニーの裏舞台から滲み出しつつある惨状は想像以上だった


 もくじ


夢の国で何が起きている?

大失敗!実写版『リトル・マーメイド』

さて、ジェンダー平等やマイノリティへのアクションコールが声高に叫ばれ続けている。現代のフェミニズムはMe Tooが火付け役となって、ハーヴィ・ワインスタインの失脚と共にその勢いは全世界に広がった。ハリウッド、延いてはエンターテインメント界隈の垣根を超え、様々な業界へ飛び火して、今や欧米に追従する形で日系企業の中でも『ダイバーシティ&インクルージョン』を高々と掲げているケースは珍しくない。

そして今、その発端となったハリウッドでは何が起こっているのか。

子供たちに夢を与え、記憶に残るシーンや音楽を家族で楽しむ事が出来るディズニーの世界が瓦解の兆しを見せているのである。

何処から始めれば良いのか頭を抱えてしまうのだが、直近のリリース作品で言えば『リトル・マーメイド』(2023年)が1つの例だろう。主演に誰を起用するのかはキャスティングの要件に依存する訳だが、その要件に政治的な理由も含まれているとすればどうだろうか。しかも、それによってアイコニックなキャラクターのイメージが崩されたら?

1991年の名作を実写化するはずが、いわゆる『レイス・スワップ』に見舞われてリリースされたのである。アリエル役に抜擢されたハリー・ベイリーについては大論争を呼んだ。賛成派の多くは『子供向けアニメの架空のキャラクターなのに、演者の人種を問題にするのは大人げない』と反論したり、反対派の多くは『子供時代に憧れたアリエルとは似ても似つかないのに、わざわざスワップする意図が理解できない』と大激突したのである。

『リトル・マーメイド』のアリエル
ちなみにコチラは旧Twitter(現X)にて公式イメージとして公開されたらしい画像の一部。悪意なのかミスなのか、どちらにしてもイメージが良い事は無いだろうが、更なる冷笑の連鎖に繋がった

出典:”The Little Mermaid(2023) ©Walt Disney Pictures”『参照:https://www.imdb.com

こうした論争には恒例だが、人種や外見と云ったデリケートなテーマが軸なので、結局は反対派を『人種差別者』『白人至上主義者』と言った類の罵倒で黙らせようとする口喧嘩に至った。ハリー・ベイリー自身もインタビューで起用に納得していない人々を『差別的』と呼ぶなどして火に油を注ぎ、公開直前までファンは穏やかではなかった。

報じられたところによると、約250億円にも上る製作費がかけられていた作品だが、これは配給や宣伝費などのコストを除外した金額だ。スタジオから劇場で上映するまでのサプライチェーンに存在するプレイヤーの事も考えると、少なく見積もって500億円近くは総コストとして掛かっていてもおかしくはない。つまり、事業性を考えると500億円以上は回収しないと単体では赤字となってしまう想定にも関わらず、ファンの間に不穏な空気が流れたまま『リトル・マーメイド』は全世界に公開された。

賛成派の間では『興行収入は1,000億円を突破する』といった期待を込めた憶測も飛び交ったが、遠く及ばない結果となっている。1,000億円の興行収入は容易な目標ではないものの、ディズニーの黄金時代の作品を実写化した多く(『美女と野獣』(2017年)、『アラジン』(2019年)等)は原案であるアニメーションの根強い人気もあってか興行収入が1,000億円を突破している。

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その点で言えば、『リトル・マーメイド』は完全にディズニーとしては失敗作である。
(そのロスを少しでも回収したいのか、シング・アロング版として楽曲部のみ抜粋したカラオケ・バージョンの『リトル・マーメイド』を、米国の一部劇場で限定リリースする予定の様だ)

しかしThe Guardianを始め、メディア各社は作品が不評な理由を反対派(彼らの言葉によるとしばしば『人種差別主義者』)による『レビュー・ボミング』(評価を落とす目的で低く評価したり、悪い口コミを敢えてインターネットに投稿することで、多くは自動化されたボットによって大量拡散される)だと指摘し、ディズニーを擁護。面白いのは、映画評価サイトのRotten Tomatoesでは『リトル・マーメイド』のオーディエンス評価が数週間、評価96%で固定されており、ディズニー側の操作が充分に疑われた事だ。

無尽蔵に悪い評価を拡散するのは確かに問題だが、無尽蔵に良い評価を拡散するのも同程度に問題のはずだ。しかし、この後の例からも分かる様にハリウッドから見えるDEI(Diversity, Equality and Inclusivity)とフェミニズムの考え方はダブルスタンダードのバーゲンセールなのである。

『リトル・マーメイド』のアリエルとトリトンの娘
マーメイド界隈は一夫多妻制?トリトンの娘たちが見事に多様多種な人種というのも意図が分からない上に、考えてみれば気持ち悪くすらある

出典:”The Little Mermaid(2023) ©Walt Disney Pictures”『参照:https://www.imdb.com

あなたの子供も?手なずけるディズニー

ディズニーのCEOボブ・アイガーによると、『我々は文化戦争に関与するつもりはない』(New York Postより)との事だが、言行一致とは到底言えない。最も物議を醸した取組としては少年少女をターゲットとしたLGBTQアジェンダだろう。

例は幾つも挙げられるが、旧Twitterで話題となったユーザーの動画は如何だろうか。

“Grooming Exhibitionism or Trans Rights?”

“これってグルーミング癖の露呈かトランスジェンダーの人権、どっち?”
*注:チャイルド・グルーミングとは性的虐待を目的として未成年の子どもと親しくなり、手なずける事を言う

そんなコメントと共に投稿された動画にはディズニーが運営する遊園施設の人気アトラクション、『ビビディ・バビディ・ブティック』の入り口で訪れた幼女たちと言葉を交わすドレスを着たヒゲ面の男性が映されている。自らを『ニック』と名乗るこの男性は、『フェアリーゴッドマザーの弟子』だと言い、少女たちをアトラクション内に案内していた。

施設側は昨今の『ジェンダーフリー』な服装を導入した取組の一環だと説明しているが、動画を閲覧した多くの消費者たちは驚きや不快感を隠せなかった様だ。

“Absolutely grooming. That is a moment for little girls. Mustache has no business there”(完全にグルーミングだね。小さい女の子にとっては特別な瞬間だ。そんな所にヒゲ男なんて場違い)と云ったコメントや、”Disney used to touch our hearts. Now they touch us inappropriately”(ディズニーは僕らの心に触れるものがあった。今は不適切な触り方をしてくる)と云った皮肉、”Disney is just an LGBT activist organization at this point”(最早ディズニーなんてLGBT推進組織でしかないや)と云った類のコメントが後を絶たない。高額な費用を支払って子供を連れて行く立場としては、受け入れ難い様だ。

ディズニーの現代作品にも反映される思想
当人には誰も何ら悪意は無いのだろうが、こうした昨今叫ばれるLGBTQや女性である事を理由にした『自由』の代償は本当に無いのだろうか?

出典:”Bounding Into Comics”『参照:https://boundingintocomics.com

こうした中で、アイガーの『文化戦争に関与するつもりはない』と云う主張は苦しい。

1991年のアニメーション版でも西洋人をモデルにしており、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの原作もデンマーク発祥である事を考えると北欧の人種がイメージされ、しかも単なるマーメイドでは無くアリエルなるキャラクターの特徴(長い赤毛、白い肌、大きな目で、ミントグリーンの下半身)を蔑ろにして『リトル・マーメイド』にて黒人俳優を起用した動機が、DEIに基づかないと言うのは少々無理があるのだ。

否定的なファンの気持ちも無理からぬものがあるだろう。

本来は外見を理由にした差別を根絶する事が本質的な目標だったのが、『区別』すらままならなくなったのだから。黒人にしろヒスパニックにしろアジア人にしろ、マーメイドやマーマンである事を否定すると『差別』の可能性があるが、アリエルと云う唯一無二のキャラクターとしては外見も大きな特徴なのである。アリエルが赤毛なのも、肌が白いのも、女性(マーメイド)である事も既成の事実に他ならないので、『区別』となるはずが大論争が物語っている通りそうは行かないというのが現代のハリウッドである。


フェミニズムの毒牙にかかった名作たち

NO MORE MEN!英雄キャラに男性は御法度

問題はマイノリティや人種、性的趣向に纏わる範囲に留まらない。現代のフェミニズムもディズニーが手掛ける作品に次々と泥を塗っている様子だ。

さて、一口に『フェミニズム』と言っても様々ではある。DEIもそうだろう。先ほど触れた様に性的趣向や人種を理由とした差別は実際の社会問題として存在するし(我々日本人もアジア圏の人間として、良くも悪くも差別にあたる扱いを受ける事もあるし、行う事もある)、国際社会を上げて払拭すべき実害にテコ入れする事が本来の目的であったが、前章で示唆した通り形骸化して濫用されつつあると言える。

フェミニズムも同様だ。Me Tooが火花を散らすはるか前から女性解放の為の運動として知られたフェミニスト活動だが、現代では活動家や社会が見据えている着地点には疑問を感じざるを得ない。男性と同等の権限の会得や垣根の撤廃を掲げていながら、『誰もが働き易い職場』ではなく『女性が働き易い職場』を推している企業ばかりと云うのも偏っていると疑わざるを得ないメンタリティの一角である。
(どうしても女性を主語にしたいのなら、『女性も働き易い職場』が妥当なはずだが)

とは言え、何もフェミニズムの社会的な意義やルーツについて論じるつもりはないので、話を戻そう。


ディズニーとルーカス・フィルム
“フォースは女性”と書かれたTシャツを着たルーカスフィルム・リミテッドの最高責任者キャスリーン・ケネディ。何でも”女性”のものにしないと気が済まない様だ


出典:”2017 Archer Film Festival”『https://linkedin.com

現代で言うフェミニズムは、表面的な大義名分はさておき、実態として『男性の否定』である。少なくとも作品から伝わってくる、ディズニーが推し進めるイデオロギーは、それ以外の解釈が難しい。

しかし、男性を否定して何がしたいのか。それはコインの裏面に読み取れる『女性の優位性アピール』だ。優位性と云うのは、身体的な強さとも、精神的な強さとも、知力とも捉えて頂いて差し支え無い。いずれにしろ、女性は男性に勝る存在である事を誇示する事が目的なのである。

無論、好きな様に主張して頂く分には構わないのだが問題は女性があまりに男性への対抗意識を燃やしている事が仇となって、大事な作品の魅力が著しく損なわれてしまっている事だ。男性を徹底的に踏みにじる事に注力し過ぎて、出来上がった作品がフラットに考えても面白くないものとなっている。客観的な意見に留まらず、数字が物語っている事例も少なくない。

ディズニーがプロデュースするフェミニズムの餌食になった最初のクリエイションは、ジョージ・ルーカスが生み出した『スター・ウォーズ』シリーズだろう。

『スター・ウォーズ』は元々ジョージ・ルーカスが1971年に設立したルーカスフィルム・リミテッドの傘下で制作されていたが、2012年にはディズニーが買収している。以降、ディズニーが舵を取って『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015年)、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(2017年)を始め、様々な継承作品を世に送り出して来た。ディズニーがルーカスフィルムのブランドの下で輩出した映画としては、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(2023年)が今は最も記憶に新しいだろう。(この作品も興行的には失敗に終わっており、作品を鑑賞すれば察しがつくが、その理由の一端もここで論じるフェミニズムにある可能性が高い)

『スター・ウォーズ』のオリジナル・サーガ(全6作品)からのファンだと、スカイウォーカーの親子二代に亘るストーリーが作品の醍醐味と言っても良いだろう。特に、ルーク・スカイウォーカーと云えば中心キャラクターでもあり、最後にはダークサイドを打ち破る為に活躍した英雄だ。その諦めを知らない芯の強さが魅力的な人物として印象深い。

しかしディズニーの手に落ちた以上、男性ファンの多くが憧れるルーク・スカイウォーカーが無傷で居られるはずは無いのだった。

現代フェミニズムが殺す男性のレガシー

当然の様に、ディズニーが制作したトリロジーの中心キャラクターは女性だ。それ自体は何ら問題では無いのだが、『男性キャラクターを圧倒する為』に生み出された事が露骨である。昨今のディズニーのヒロインにありがちな傾向の先駆けとも言えるが、主人公のレイ・パルパティーンは努力を知らない。これと云った鍛錬も無くフォースを扱い、ライトセーバーを振りかざし、これと云った弱みを見せる事も無い、言わば完璧なキャラクターである。

ディズニーが手掛ける『スター・ウォーズ』映画
銀河の英雄としてファンの間でも人気のルークだが、現代の女性像を際立たせる為の引き立て役にされてしまった

出典:”Star Wars: Episode IV – A New Hope(1977) ©Lucasfilm Ltd.”『https://www.imdb.com

そしてそれとは対照的に、ディズニーのお陰で伝説的な英雄であるルーク・スカイウォーカーは気味の悪いエイリアンの乳を咥えて闘う事を諦めた頑固な老人に成り下がっているのだ。ルークを演じるマーク・ハミル自身もインタビューや公開記念イベントなどの場で、キャラクターの扱いには強い不満を露わにしている。

“It’s important for the actor to figure out ‘who is this guy?’ How did the most optimistic, hopeful character in the galaxy turn into this hermit? Who says it’s the time for the Jedi to end? I read that and said ‘What? That’s not what a Jedi does!”

“役者としては、演じるキャラクターが一体どんな人物なのか理解する事が大事だが、こいつは一体誰なんだと。銀河で一番前向きで希望に満ち溢れていたキャラクターが、一体何故こんな隠遁者になってしまったって言うんだ?しかも『ジェダイが終わるべき時だ』だなんて。その台詞を読んで、どういう事だって思ったよ。ジェダイのやる事じゃない!”

ルークのキャラクターとしての変遷について問われた時にハミルが返した返答の抜粋だ。彼が時には皮肉も込めて違和感を明らかにした事はこの他にも度々ある。

“When I read VIII, I told Ryan ‘I fundamentally disagree with virtually everything you decided about my character'”

“VIIIの台本を読んだ時にライアン(監督)に『君が描こうとしている僕のキャラクターについては、ほぼ全てにおいて根本的に同意しかねるね』って言ったんだけどな”

キャラクターに思い入れがある俳優自身に留まらず、シリーズのファンも往々にしてルークの扱いには納得していないとの声が聞こえてくる。ディズニーによってルークのレガシーは完全に燃やして捨てられたのだ。ハミル本人から監督やスタジオ側への度重なる抗議にも関わらず、ルークがこの様な描かれ方をされたのが伝説的な英雄として男性が君臨する事が許されないからと推察されても無理はないだろう。現に(師事も鍛錬もまともに行っていない)レイが最終的に英雄の座を乗っ取る形で完結するのだ。

隣人の豪邸を妬んだ挙句に我が家を改善する努力よりも、隣家にトラック一杯の泥を吹っ掛けて我が家の方が見栄え良い様にするのと変わらない。そして隣家の住人として文句を言おうものなら、そんな僻みを言うなんてみっともない、などと一蹴するのである。

ディズニーの動画配信サービスDisney+でスピンオフ・シリーズも発表されるが、いずれも『スター・ウォーズ』シリーズを悉く撃滅させて行くものばかりであるとの見方がファンの間では続いている。

そして2015年からディズニー傘下となったマーベル・スタジオも、ディズニーのイデオロギーに侵されている。『アイアンマン』(2008年)を発表して以来、インフィニティ・サーガを通じてファンベースを拡大していったMarvel Cinematic Universe(マーベル・シネマティック・ユニバース)通称MCUだが、昨今の溢れかえる女性優位主義的な要素を見逃さなかったファンの一部からM-She-Uと呼ばれて揶揄されるに至っている。


女性なら問題行為はOK?M-She-Uへようこそ

聞け男ども、女の苦労を知れ!

M-She-Uの片鱗が光り始めたのは、『キャプテン・マーベル』(2019年)辺りだろうか。

作品の内容も現代のフェミニズムの考え方を反映したものとして好みが分かれたが(女性は誰の助けも借りずに、初めから天上天下無敵であって男性は卑屈で下劣であると云う女尊男卑なメッセージは注意半分で観ていても良く分かる)、何よりもファンの反感を買ったのは主演のブリー・ラーソン自身だ。結果的に続編は、第一作とは異なり『マーベルズ』(2023年)と題される事態に至っている。中心キャラクターのキャプテン・マーベルの名を冠する事無く、作品の内容も別の女性ヒーローが新たに2人登場して共闘する筋書きだ。

『キャプテン・マーベル』の興行的収入は上々だったが、これは単にインフィニティ・サーガに於いて最大のクライマックスとなる『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018年)と『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)にサンドウィッチされた形で公開された為、後者の作品を楽しむ為に鑑賞が必要な重要作品だとファンの多くが勘違いしたと解釈できる。今回の『マーベルズ』では当時の様なやり口は使えない。そこでブリー・ラーソン/キャプテン・マーベルの不人気を懸念して作品タイトルから除き、ラーソン以外の準主演キャストのスクリーンタイムを増やした形で進める事にしたと言われている所以だ。

しかし、M-She-Uの真骨頂は『シー・ハルク:ザ・アトーニー』(2022年)の形でその姿を現した。

『シー・ハルク:ザ・アトーニー』の問題シーン
CGの粗さが特に指摘された悪名高い(?)シーン。ザ・アトーニーと言いつつ、法律ドラマ的な要素は殆ど無い作品の様だ

出典:”She-Hulk: Attorney at Law(2022) ©Marvel Studios”『https://www.imdb.com

“Here’s the thing Bruce; I’m great at controlling my anger. I do it all the time; when I’m catcalled in the street, when incompetent men explains my own area of expertise to me. So I’m an expert at controlling my anger because I do it infinitely more than you!”

ハルクことブルース・バナーに変身の秘密である怒りの感情コントロールについて教わっている最中に、図らずも同じ能力を得たシーハルクことジェニファー・ウォルターズが放った台詞だ。

“いい、ブルース?私は怒りを制御するのがとても上手なの。ずっとやってるもの。道を歩いてたらナンパしてくる男とか、専門分野の事をあれこれ分かり切った様に説明してくる無能な男に会った時とかね。私は怒りにはあなたの無限倍も耐えているの、だからそれも専門よ!”

この台詞には女性特有の悩みや直面する性差別的な問題(特に男性によるものに偏っているが)を提起したい事が見て取れる。実に結構だ。ただ、ブルースと言えば、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で全宇宙を賭けた死闘に一度敗れ、再戦では1人ならず2人もの友人を失い(しかも片方は想いを寄せていた女性である)、インフィニティ・ストーンを使って我が身を捧げる覚悟で一度人口の半分を失った宇宙を元に戻している。

それよりも女性の事となると道中でナンパされたり、偉そうな男に指図される事の方が“無限倍”も許し難くて大変な事らしい。少なくとも、この作品の制作陣はそう考えている様である。私が働きに出ている男性を相手に家事の重労働を力説する専業主婦を連想したシーンだ。

ここでも如何に『男性』を意識しているかが如実に表れている。男性に比べて女性は大変なのである、と云う固定観念と強い先入観に翻弄されて結果的に荒唐無稽な台詞を放ってしまい、それが仇となって自ら揚げ足を大々的に見せつけてしまっている事に気付かないのだ。女性の悩みを提起したい意図とは裏腹に、倒錯した被害者意識が垣間見える結果となってしまった。しかし、M-She-Uの破壊力はこの程度ではない。

マーベルの脚本家、MCUのシーハルクでも問題が
ケヴィン・ファイギを”虐めた”と自慢げに語った事も報じられる『シー・ハルク:ザ・アトーニー』の脚本担当ジェシカ・ガオ

出典:”She-Hulk: Attorney at Law(2022) ©Marvel Studios”『参照:https://www.imdb.com

『シー・ハルク:ザ・アトーニー』の脚本を担当したジェシカ・ガオはVarietyとのインタビューでこう語っている。”…we were able to predict what the reaction was going to be, what a lot of the trolling comments were going to be, really shows how very tired and unoriginal these trolls are. That really tickled me because the little troll that lives inside of me really loves trolling the trolls”(作品への反応は良そう出来たし、煽りや荒らしの内容も想像できたわ。荒らしもオリジナリティが無いしね。反撃したくてウズウズしてたの、そういう不満を持った人たちを煽り返すのって最高よ)

作品に文句がある原作コミックのファンは『トキシック(有毒/不健全)』であるとも示唆している。要は、当人も煽りを楽しむ為に敢えて反感や不快感を買いかねない挑発的な内容にしたのである。ガオの理屈に従うならば女性を挑発したり貶める描写を非難する声も、『トキシック』だと一笑に付して良いと解釈して問題ないだろうか。

この愚行の結果は数字にも表れている。マーベル・スタジオが公開したテレビ・シリーズ作品の中で、『シー・ハルク:ザ・アトーニー』は評論家投票で86%、オーディエンス評価で35%と歴代最低スコアを記録した(2022年10月当時)。特に、オーディエンススコアが80%を下回る同スタジオのテレビ・シリーズは『シー・ハルク:ザ・アトーニー』だけだ。

男が不快なら女はルンルン?最強女性キャラに文句は言わせない

『ミズ・マーベル』(2022年)のエピソードを2話監督したシャルミーン・オベイド=チノイはパキスタン出身の活動家でもあり、女性に対するジェンダー差別を主眼にした作品を手掛ける事でも知られているが、登壇インタビューでは以下の通り発言している。

“I enjoy making men uncomfortable”

“男性を不快にするのは楽しいわ”

この発言の『男性』を『女性』に入れ替えると社会的に大問題となる事は容易に想像できるが(特に発言者が男性なら、その代償は計り知れない)、女性が男性に対して放つ分にはさして問題ない様だ。男女平等を掲げておきながら実に都合が良いものである。

悲しいかな、これがハリウッドに蔓延する現代フェミニズムのマインドセットなのだ。権利の平等を大義名分に掲げ、女性である事を利用して男性に不快感を与えたり、苦しめる事がフェミニストの本質となって随所に現れている。そんなオベイド=チノイはレイ・パルパティーンを中心キャラクターとした映画(公式名未発表)の監督に起用されるとの事だ。

そしてナンパが宇宙を賭けて友人を失う以上の苦痛だと考えるM-She-Uらしく脚光を浴びつつある女性ヒロインも、鼻につくダブルスタンダードな台詞に目を瞑ったとしても、キャラクターとしての面白味や魅力に著しく欠けている。レイ・パルパティーンよろしく、全員『完全自走型パーフェクトヒューマン』なのだ。

私はアイドルと云った類には全く興味が無いのだが、以前AKB48を熱心に追い掛けていた友人に一体何が良いのか尋ねてみた。歌唱力もダンス力も素人に毛が生えた程度で、ルックスもずば抜けているとは言えない(それでも整形していると言うのだから驚いた)と思うが、どの部分に魅力を感じるのかと。彼は『そこが良いんだよ、普通の女の子が頑張って育っていってステージに立つまでがさ!応援したくなるじゃない』と笑顔で教えてくれた。尚、アイドルに関しては飽くまでも個人の意見だ。

『スター・ウォーズ』の次回作監督
男性を不快にする事は楽しいと発言したこちらの女性が、今後制作予定の『スター・ウォーズ』トリロジーの少なくとも1作のメガホンを取る事になる。男性なら職を失いかねない問題発言だが、女性なら見逃してもらえるらしい

出典:『参照:https://www.perilofafrica.com

アイドルの魅力は結局理解出来なかったが、納得は出来た。と言うのも、どの様な物語でも主人公は困難や苦難に立ち向かい、人間として次第に成長して行く事が多いからだ。ストーリー展開もさる事ながら、人間的に魅力があるキャラクターには共感し、その苦悩を理解し、応援する楽しみがあってこそ面白い作品が出来上がるし、アイコニックなキャラクターが生まれる。

その点、M-She-Uのヒロイン層は魅力を感じさせる隙が無いのだ。天才的な頭脳を持ち、億万長者で国際的な大会社のCEOであるトニー・スターク/アイアンマンでさえ、完璧では無かった。エゴティスティックで傲慢でしばしば敵を作って窮地に陥る事もあれば、自らが祖国と平和を守る為に設計していた兵器が齎す災厄に絶望し、犯した過ちを正そうと苦しんでいた。天才的な億万長者でなくとも、スタークの人間臭い部分に共感する事は難しくない。

それがM-She-Uではどうだろう。『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』(2022年)で初登場を果たしたスタークの後継者、リリ・ウィリアムズと言えば、世界中の科学者が寄り集まってさえ作る事が叶わなかったヴィブラニウム探知機を1人で開発した挙句、スタークが先端技術を用いたラボラトリーでも試行錯誤の末に作り上げたスーツをガレージで指を鳴らす様な具合で作っている。スタークを凌駕する頭脳は結構なのだが、何一つ面白くない。スタークとは共に何かを作り上げた感覚にしてくれる展開があったのだが、ウィリアムズにはそれが全く無いのだ。

この傾向は『マーベルズ』でも登場予定のモニカ・ランボーやカマラ・カーン / ミズ・マーベルにも当てはまる

前者はワンダ・マキシモフ / スカーレット・ウィッチが作り出したヘックスに乗り込むだけで超人的な能力を難なく会得し、後者は偶然見付けた魔法のブレスレットを装着しただけだ。口を開けて待っていたら餅が降って来た様なものである。彼女らには自らのパワーの扱いに戸惑う事も、新しく課されたヒーローと云うアイデンティティとの葛藤も、何も人間としての側面が見えて来ない。

女性は完璧で男性は全て間抜けで女性に救われるしかないナルシストであると云うファンタシーに捉われるあまり、ファンが離れて行く作品ばかりを連出する結果となってしまった。

M-She-Uの未来に暗雲が差し掛かっているかは議論の余地があるものの、決して明るくない事は断言できるだろう。関係者のインタビューや作品に込められているメッセージとその表現の男女を入れ替えると、即座に性差別主義者の烙印を押されかねないダブルスタンダードに警鐘が鳴り始めているのだ。

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トキシック《有毒》なDEI活動の目的は

今世紀最強の防御壁?ダイバーシティ&インクルーシビティと女性と云う立場

しかしながら、その動機は果たして何なのだろうか。

長らく男性社会や(特に西洋では)白人至上主義が蔓延っていた事で、抑圧されたマイノリティや女性が反動を起こしているのだろうか。積もり積もった男性への劣等意識や、卑屈な精神がただ単に熱を帯びて暴走しているのだろうか。それは何とも判断が難しい所だし、結論を導出するだけのファクトも残念ながら持ち合わせていない。

ただ、ディズニーの様なエンターテインメント業では『ファン・ベイティング』と呼ばれる手口の一環だと言われている。

ファン・ベイティングとは、マーケティング戦術の1つで敢えて物議を醸す火種を大衆向けに放つ事で注目を集め(いわゆる炎上商法に良く似ている)、尚且つ悪い評判やネガティブな口コミの説明原因として使う事だ。

つまり、ハリー・ベイリーを起用して大々的に宣伝しておけば、『リトル・マーメイド』が興行的に失敗したとて、CGの質の低さでも無く、新しく挿入した楽曲が客受けしなかったからでも無く、全ては『大衆の黒人差別が原因』だと説明して制作側は責任を転嫁出来るのである。無論、公開まで大論争が勃発した様に炎上する形になるが、それはそれで作品が目立って知名度も上がるのだ。

映画の観どころや内容よりも、インタビューや制作記念イベントの類では作品のダイバーシティ&インクルーシビティが開口一番に主張される様になったのもこれで説明がつく。新しいキャラクターを作り出す事よりも、敢えて既存のキャラクターをレイス・スワップして世論を煽る方向に舵を切るのもこれが大きな理由だろう。

ディズニーの先駆けとなった映画か
2016年に公開された『ゴースト・バスターズ』は作品の観どころよりも、主演がオール女性キャストである事の方が何よりも最重要だった様子だ

出典:”Ghostbusters(2016) ©Sony Pictures Releasing”『参照:https://theguardian.com

顕著な例を思い返すと、『ゴーストバスターズ』(2016年)が最初に脳裏に浮かぶ。

お馴染の作品の主演俳優を男性から女性に挿げ替えた映画なのだが、新鮮味に欠けるジェネリックなストーリーに笑えないジョークの数々に疲弊する内容だった記憶がある。男性からネームバリューを拝借して女性にも脚光のおこぼれを与えようと云う魂胆だとしか解釈しようが無いが、驚くなかれ、興行的にも赤字である事が分かっている。

しかし、こちらもストーリーや演技や演出を理由に批判したとて、制作側の反論は『女性差別だ!』の一本調子である。主演キャストを全て女性にした事で、世界最強の盾を手に入れた気で居る訳だ。

この映画を気に入らない理由は、主演を女性が飾った事による僻みや卑屈な妬みだと一蹴するのである。公開当時、『ゴーストバスターズ』は米国の政治運動にも関連する始末で、2016年の大統領選挙にヒラリー・クリントン氏がの名が挙がっていた為、同作品を支持しない事は女性大統領に反対する性差別者であると主張するネットの投稿が現れるまでになった。

更には主演キャストの一人、レスリー・ジョーンズがアフリカ系アメリカ人である事も当然の様に利用された。

ジョーンズが扮するパティ・トランは声も大きく、身振りも大仰で鼻につくと感じたオーディエンスが居た様だが、キャラクター設定や演技の問題にしたくない人々はジョーンズの肌の色を問題にしたのだ。キャラクターが気に入らないのは、『人種差別だ』と。30年近く前の『ゴーストバスターズ』(1984)に登場したアーニー・ハドソンもアフリカ系アメリカ人だが、彼に批判が集中しなかったのは実に不思議である。

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女性が主演の作品は昔からある。それどころか、ララ・クロフトの様に男女間共に人気のアクション・ヒーローも居るのだ。白人以外が演じるアイコニックなキャラクターも充分に存在するが、都合が悪い事は無視しようと云う事だ。

『リトル・マーメイド』不評の理由は
オークワフィナのラップと歌声に賛否両論があったThe Scuttlebuttもパート・オブ・ユア・ワールドの様なクラシカルな楽曲と肩を並べて語り継がれる事はあるまい

出典:”The Little Mermaid(2023) ©Walt Disney Pictures”『参照:https://www.imdb.com

『リトル・マーメイド』もその例外ではない。

ファンを逆撫でしかねないエッセンスを織り込み、炎上商法的に注目を集めて(時折制作陣側が火に油を注ぎつつ)事業的に失敗したら一部の消費者に問題があると責任を転嫁し易い様になっているし、実際にメディアを通して人種差別を不評の理由に挙げているケースも見られる。

韓国と中国では特に興行的に撃沈した『リトル・マーメイド』だが、中国人ファンによるベイリーへのヘイトが理由だとする声がある(しかしIMDBに散見されるレビューを良く読むと、大半は新鮮味に欠けるプロットや演出に関するもので、キャスティングに言及しているものは多くない)

『リトル・マーメイド』に関しては、キャスティングの問題を除いても様々な不満の声が飛び交っている。アニメーションでは明るく、カラフルなパレットで描き出された海底のポップな世界観が、実写版では暗く見えると云うのもその1つだ。実写版である以上、ある程度現実的な手触り感を与える事が必須となるのだが、『リトル・マーメイド』の世界を描き出すにはこれが却って不利な要件となっている。フラウンダーやセバスチャンと云ったキャラクターもアニメーション版の愛らしさは見る影もなく、不気味な人面魚の様だと指摘する声もある。

ディズニーが旧作の焼き直しを次々と発表して以来、夢の国らしい創造性を喪失したのではとの憶測もあったが、こうした動きを観察しているといよいよ事実らしい。過去の名作に匹敵する輝きを失った今、ファン・ベイティングで失墜をカバーしようと躍起なのだろう。

実写版白雪姫の俳優大暴走

ディズニーの最新作は2024年公開予定の『スノー・ホワイト』(2024年)が注目を浴びている。

作品への期待からでは無く、公開前のインタビューや制作陣の発言で公開前から裏舞台の大惨事が想像されたからだ。これまでのディズニーの傾向から、多くの映画ファンは不安を隠せなかったが事態は予想以上に惨たる状況の様である。これも何処から語れば良いか迷うものがある。

『リトル・マーメイド』同様に白雪姫のキャストがレイス・スワップされた事は、ディズニーが手掛ける以上、予想通りだと言っても過言ではないだろう。白雪姫、英字表記だとSnow Whiteだが、このキャラクターは原作のグリム童話でも雪の様に白い肌(キャラクター名の由来でもある)とバラの様に鮮やかな赤い唇を湛えた美女である事が明記されているし、1937年に公開された記念すべきディズニーの長編映像第一作『白雪姫』(1937年)でも彼女はその通り描かれている。

しかし、ダイバーシティ&インクルーシビティに鑑みると、ここは似ても似つかないレイチェル・ゼグラーを大抜擢する必要がある様だ。

案の定、白雪姫にラテン系の俳優を起用した事が論争を呼んだ。尚、父方の出身からポーランド系(どちらかと言えば原作の白雪姫のイメージに近い)とも言えるゼグラーだが、本人もアイデンティティとしてはラテン系を好む様子でインタビューで度々その文脈で自身の事を語っている。

『白雪姫』のレイチェル・ゼグラーとガル・ガドット
『白雪姫』(2024年)で共演するガル・ガドットとレイチェル・ゼグラー。一方が他方の美貌と若さを羨むあまり殺人に走るはずだが…?

出典:『参照:https://www.fandomwire.com

否定派からは『スノー・ブラウン』と揶揄する声も上がり、条件反射的に『人種差別』を叫んで擁護する声が相次いだ。追い打ちをかける様に、白雪姫のルックスと若さに嫉妬する悪の女王にガル・ガドットが扮する事も注目され、皮肉な事に多くの目にはゼグラーのルックスにガドットが嫉妬するとは思えない差が見える様で、これも嘲笑に拍車を掛けた。

これだけなら否定派による荒らし行為を、例に倣って『人種差別主義者』だと罵倒して論破した事にすれば有耶無耶になった可能性もある。

だが問題はゼグラー自身が息を継ぐ間もない勢いで振り撒く事になるのだ。

“The reality is that, the cartoon was made 85 years ago. And therefore, it’s extremely dated when it comes to the idea of women being in the roles of power”

“現実的に、アニメーション版は85年も前に作られたの。だから、女性が権力ある立場に就く事についての考え方が時代遅れなのよ”

Entertainment Weeklyとのインタビューでの発言だ。『白雪姫』が女性の権力について言及したストーリーであるとは、実に斬新な見方である。しかしながら、敢えて言うならば作中の権力者は女王であって王や王子では無いのだし、女王としての役務に焦点を充てた話では無いが何が起点となってこのコメントに至ったのか、その胸中と意図は図りかねるところだ。

間髪を入れずにこんな発言も見られた。

“There’s a big focus on her love story with a guy who literally stalks her. Weird! Weird”

“あの話は、彼女をストーキングする男とのラブ・ストーリーに焦点があたっているのよ?おかしい!おかしいわよ”

美貌と若さに嫉妬して殺人に手を染める女はさて置いて、森の中で一緒に歌って目覚めのキスをする男がストーカーとして槍玉に上がる事には呆れる他ない。どうしても男を問題にしたい様子が隠し切れていないのだ。

1937年のアニメーション版では白雪姫が井戸に向かって歌っているシーンで幕を開けるのだが、『愛するあの人と今日会えます様に』と願いを掛けている様子が見て取れる。歌に加わった王子に驚く白雪姫だが(人前に出られる様な格好では無いからだと思うが)、歌い続ける王子には明らかに惹かれている彼女がその後も描かれているものの、現代フェミニズムによるとこの場合、男性はストーカーとなるらしい

王子でさえフェミニズムの毒牙には及ばないのだから、現代の男性諸君は要注意だ。2024年の実写版で王子に扮するアンドリュー・バーナップについては、『彼のシーンはカットされるかもね!ハリウッドですもの、ベイビー』と言及して顰蹙を買っている。

この調子でゼグラーは次々と片眉上げる発言をメディアで繰り返して来た。列挙すればこの記事は一冊の本にもなりかねないのだが、極めつけはゼグラーが1937年のアニメーション版を『大嫌いだった』と表明した事だ。

Entertainment Weeklyとのインタビューでは『一度だけ観て二度と観ていない』とも発言しているが、興味深い事に当人のSNSには白雪姫のコスチュームに身を包んで笑顔を見せる幼いゼグラーの写真がアップされている。

そしてゼグラーとガドットによると、2024年の『白雪姫』は白雪姫が王子様に救われる事もなく、真実の愛を待ち焦がれる事もなく、彼女は内に秘めたリーダーとなる道を夢見る事にフォーカスされるらしい(Varietyより)。心温まる愛や友情の力は残念ながら時代遅れな様だ。ディズニーによると男性を一切拒絶するパワーハングリーな権力至上主義者が、現代では推奨される女性像なのだそうだ。

アニメーション版を崇拝する必要はないかも知れないが、公の場で多くの人が耳を傾けている場面で主演キャストとしての発言にはもう少し注意が必要だろう。ゼグラーの度重なるナイトメアPRのお陰で、1937年のアニメーション版の関係者も声明を発表するに至った程だ。

当時の制作監督デイヴィッド・ハンドの子息は、アニメーション版の制作リードだったウォルト・ディズニー本人と父は『自身のクリエイションをこんな形で破壊されて、草葉の陰で嘆いているだろう』コメントしている。

そしてリークした撮影現場の様子も、ファンの冷たい視線を一層冷やす事となった。

ディズニーと『白雪姫』実写映画について
ハイホー!ハイホー!私たちはダイバースでジェンダーフリーでLGBTQインクルーシブな7人組だよ、ハイホー

出典:『参照:https://www.nypost.com

アニメーション版に登場する小人は、小人症を患った人間ではなく魔法の生き物なのだが実写版での描き方にはディズニー内で議論があった様だ。事の発端は俳優ピーター・ディンクレイジの発言であると報じられている。白雪姫にラテン系俳優を抜擢した事を賞賛しつつ、『7人の小人がコテージで同棲すると云う時代錯誤的なステレオタイプ』を強く非難した(IndieWireより)。

このコメントがディズニーの耳に入るや否や、ディズニーは小人たちをCGで作成した魔法動物にすると表明。だがリークしたセットの画像を見ると、その限りでも無い様だ。

問題の画像は飽くまでも撮影時のポジショニングを確認する為のスタンド・インが映されたもので、実際の俳優たちではないと釈明するディズニーだったが、既にディズニーのDEIアジェンダに飽き飽きしていた多くのファンは取り合わない。リーク当初も、ディズニーはフェイク画像だと公式に『白雪姫』との関係を否定したが、後にその言い逃れが通用しないと分かると実際の撮影風景であると認めるまで紆余曲折を経ていた。衣装の質が決して高いものに見えない事も、批判に少なからず寄与した様子である。

ミゼットレスラーのディラン・マーク・ポストゥルはディズニーの方針について、『ディズニー映画の様な映画界でもビッグな作品に出演する事を夢見ている小人症の俳優もいるのに、不必要にその芽を摘んだ』と不快感を露わにしており、現在もメディア内では様々な反応が見られるが往々にして肯定的な意見は少ない。

『白雪姫』は主演キャスト、取り分けゼグラーの度重なる問題発言が話題となるばかりでディズニーも頭を抱えているのではないだろうか。私も今までの制作陣の印象やこれまでで分かったシナプシスを考えるに、2,000円近い鑑賞料と貴重な2時間を支払ってまで観たいとは思わないのが率直な意見だ。ディズニーを応援したくないと云うのも大きな理由である。

ディズニーの行く末は

トキシックなDEIやフェミニズムがディズニー内で蔓延している旨は、ファンを始めとするステークホルダー間で近年何度も懸念されてきた。特にライブ配信された今年の株主総会では、アイガーが投資家たちによる容赦無い質疑にたじろぐ場面もあった。

投資家からしたら当然の追求だろう。ディズニーの動画配信サービスDisney+のサブスクライバー数(登録者数)は2022年のQ4以来大きく下落し、2023年Q4時点で2022年Q2に近い水準まで落ちていて、巻き返しに苦戦している事が報じられている。財務的な損失は1,000億円単位であると方々が推定している中(ディズニーによる、直近の大幅なリストラもこのロスが影響していると考えられている)、次々と映画作品が不時着して行く様では、出資者としては気が気ではないはずだ。

その原因がこれまで見て来た通り、強引で不健全なDEIアジェンダやフェミニズムでファンの嫌悪感を買っている事であれば即刻切り捨てるべきなのだが、不思議とディズニーは寧ろ今まで以上に問題の路線を猛進して行く旨を表明している。ファンに差別的、無教養、排他的などと様々な中傷を並べたとて、財布の紐を握っているのは彼らである事に変わりはない。顧客に罵詈雑言を浴びせて作品を観てもらおうとは良く分からない発想だ。

問題は火を見るよりも明らかだ。消費者は具体例を幾つも挙げながら指摘しているのに、ディズニーは目もくれる様子は無い。この状態が続くのならば、ディズニーはゆっくりと、しかし確実に沈み行く船となるだろう。何処まで沈めば立て直しが利かなくなるかは船頭であるアイガーと、船を支えている海である我々消費者次第だろう。DEIアジェンダを担当する役員や、活動家としての顔もあったヴィクトリア・アロンソが2023年になって辞任した(解雇との見方もある)事も今後の方針に影響するかもしれない。

ただ1つ言えるのは、このトキシックなDEIとフェミニズムを支持する層の問題行為が止む事は暫く無いと云うことだ。

ディズニーのダイバーシティ
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