スーサイド・スクワッド
監督:デヴィッド・エアー
出演:マーゴット・ロビー、ウィル・スミス、ジャレッド・レトー、ジャイ・コートニー、カーラ・デルヴィーニュ、ヨエル・キナマン、福原かれん、ジェイ・ヘルナンデス 他
言語:英語
リリース年:2016
評価:★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
Suicide Squad(2016) ©Warner Bros. Pictures 『参照:https://www.imdb.com』
~”ひどい、ひたすらひどい”~
~”豪華キャストと豪華な予算を贅沢に使った、ただのコスプレ大会を2時間観たい人向け”~
もくじ
あらすじ
スーパーマンの死から数ヶ月
米国政府高官、アマンダ・ウォラーは危険なメタヒューマンの犯罪者たちで、
政府の使い捨てチーム『スーサイド・スクワッド』の構成を目論む
そのスーサイド・スクワッドを管理を一任されたリック・フラッグ大佐の
恋人に取り憑いた魔女のエンチャントレスもメンバーに任命された
しかし、エンチャントレスは支配される事を拒否し暴走
人類を滅亡させるべく、その強大な魔力で世界を破滅へと向かわせる
そしてスーサイド・スクワッドは人類を救うべく最初の任務に向かうのだった
レビュー
『スーサイド・スクワッド』は、稚拙の一言に尽きる作品だ。
犯罪映画で名を馳せたエアー監督だが、杜撰な脚本の問題なのかディレクションの問題なのか、何処から触れようか悩ましい程の散らかり様だ。キャストにジャレッド・レトー、マーゴット・ロビーやヴィオラ・デイヴィスを迎えた本作は当時のヒーロー映画にはまだ珍しかったアンチヒーローにスポットライトを当てた異色の作品として期待が高まったが、DCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)の凋落に拍車を掛ける存在となってしまった。
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016年)に続く『スーサイド・スクワッド』だが、DCEUに典型的な陳腐な脚本、月並な筋書きと云った病から目覚める事は無かった様子だ。
『デッドプール』(2016年)や『ヴェノム』(2018年)の様にコミックス原作のアンチヒーローを題材としたハリウッド映画は同時期に続出したが、『スーサイド・スクワッド』に匹敵する御草々な作品はこれと云って挙げられない。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』も褒められたものではなかったが、『スーサイド・スクワッド』とは全く異なる理由によるものだ。
出典:”Suicide Squad(2016) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
危険極まりないスーパーヴィラン(本編では、メタヒューマンと称される)を寄せ集めて強大な悪と対峙するストーリーを展開して行く中で、『スーサイド・スクワッド』はシリアスな雰囲気を打ち砕きながらコミカルな側面を織り交ぜようとしている。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014年)や『デッドプール』を模したスクリーンプレイを意識した様だ。
だが、『スーサイド・スクワッド』にはコメディを楽しむだけの隙間を一寸も残さない程の問題が積み上がっている。
奇しくも同年にリリースされた、似て非なるMCUの『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年)と比較して考えてみると、『スーサイド・スクワッド』の途方も無いミスが如実に浮かび上がる。
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』では、それまで幾度も銀幕に登場したスティーブ・ロジャース / キャプテン・アメリカやトニー・スターク / アイアンマンらアイコニックなキャラクターを始め、ティ・チャラ / ブラックパンサーやピーター・パーカー / スパイダーマンを新登場させている。多彩なキャストを迎え、中心的な役割を果たすキャラクターも実に多い作品だ。
登場人物の殆どは既に過去の作品(『アベンジャーズ』(2012年)や『アイアンマン』(2008年)など)でイントロデュースされ、キャラクターとしての特色や背景もクローズアップして描かれてきた。だからこそ、そうした面々が一堂に会してもストーリーに集中する事ができる。キャラクターの思考回路や傾向も理解できるし、都度その性格を理解するところから始める必要が無いから楽しめるのだ。
出典:”Suicide Squad(2016) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
『スーサイド・スクワッド』が杜撰であると云うのは単に一作品としてではなく、DCEU全体としての側面にも言える事だ。『アベンジャーズ』や『アイアンマン』が世に送り出される事なく、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が彗星の如く現れたとしたら如何だろうか。初めて目にするキャラクターが次から次へと湯水の様に湧き出たとて、格好ばかりの雑多なコスプレイヤーの寄せ集めにしかならないだろう。
緻密に設計され、年月を重ねてその世界観を確立させたMCUとは異なり、『スーサイド・スクワッド』は一度に中身を詰め込み過ぎだ。
ファンベースを拡大し続けるMCUへの対抗意識を燃やしたのかも知れないが、残念ながら『スーサイド・スクワッド』による試みだとしたら失敗だ。寧ろ、『スーサイド・スクワッド』の様な作品がヒーロー映画として大々的に認知されると、MCUに限らず、それまで苦心して創られた同じジャンルの他作品も不当な評価をされかねないと危惧してしまう。
『スーサイド・スクワッド』が誰かにとって、初めてのヒーロー映画とならない事を願うばかりである。
ヴィランを討つ正義の味方。
その構図はヒーロー映画に留まらず、様々な形で物語には付きものだ。善悪の考え方や捉え方を考えさせられるものや、一概に善とも悪とも言えないものや、その姿は多岐に亘る。シンプルな構図だからこそ幅広に解釈する事ができ、描き方も多様だ。
それはコミックスが原作のストーリーでも変わらない。実に上手く描かれたヴィランは凡庸で退屈な物語をも魅力的にする力があるし、苦悩に直面して葛藤を乗り越える主人公を描くのも、王道ではあるが多くの人に訴えかけるものがある。それが超人的な力を持つ故であったとしても、人間に共通する成長や家族、恋心と云ったテーマを織り込む事で単なる映像スペクタクル以上の芸術作品となる。
その上で好みの問題が様々な議論を呼ぶ。好きな映画、嫌いな映画と云った具合に。
『スーサイド・スクワッド』に大きく欠けているのはそれだ。好きや嫌いと云った映像作品としての主観的な意見を述べる以前の問題と言えるのではないだろうか。
出典:”Suicide Squad(2016) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
ヴィランもスーサイド・スクワッドの面々も、コスチューム意外の個性が全く光らないし、作品としてのメッセージも感じない。善悪、生と死、何をテーマに何を伝えたかったのか。コミックス作品を映像化して、原作ファンを劇場に誘い込む以上の意図が果たしてあったのだろうか。
スーサイド・スクワッドのメンバーは単一のキャラクターとしても、相互のダイナミクスも何ら特筆すべきものがないのだ。マーゴット・ロビーが実に上手くハーレイ・クインの原作イメージに扮した事が印象的な程度である。このチームが命懸けの任務に臨んだとて、緊張感の欠片も感じないのは当然だろう。
『スーサイド・スクワッド』に没入するのは、出会った日に婚姻届けを提出する様な結婚生活に熱意を注ぐ様なものだ。
ストーリーの方向を大きく左右するヴィランも浅薄だ。数千年封印されていた古代の魔女、エンチャントレスが覚醒した事でどの様な展開が待ち受けているかと思えば、唐突に人類の滅亡に乗り出す有り様だ。ウォラーに利用された事を恨んでいる様ではあるが、人類滅亡と云う手垢の付いた虚構の悪事に手を染める意図が理解できない。理解できないものは、共感できない。
そして共感できないものは、面白く無いのだ。
出典:”Suicide Squad(2016) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
その上、エンチャントレスの能力も全く分からないし説明する気も無いのだろう。魔術と云う曖昧な力を以て、何故か遠回りな事に人類を滅ぼす機械を作るのだが、これも機械である必要性が分からない。スーサイド・スクワッドが悪の巣窟へ辿り着くまでの時間を与える為だろうか。
気味の悪いハワイアン・ダンスを踊っていると魔力を発揮する様だが、感情コントロール力も発揮して欲しいものだ。
エンチャントレスの弟とやらも登場するのだが(何故ネオンサインの様な風貌なのか追求するのは止めるとしよう)、無意味と言って差し支えない存在だ。ストーリーに何ら良くも悪くも寄与しない。いつの間にか斃されている様なので気に留める程の存在でもなかったのだが、それが逆に腹立たしくもある。
ストーリーとはロジックの繋がりでもある。その過程で感動や恐怖や喜びを人々に与えるが、脈絡も流れも理解に及ばないと楽しむ事など到底できない。『スーサイド・スクワッド』は徹頭徹尾、疑問符で繋がってしまっているのが実に致命的だ。
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が彗星の如く現れたらと云う喩えをさせて頂いたが、『スーサイド・スクワッド』なりにその問題点を意識はしていた様だ。だからと云って問題を緩和させる対策はできなかった様だが。
恥ずかしくて見ていられない状態で、何もしていないこちらまでもが恥ずかしい想いをしてしまう現象を『Second-hand Embarrassment』と表現する事がある。日本語に直訳すると『貰い恥』か『セカンドハンド羞恥』とでも言えば良いだろうか。『スーサイド・スクワッド』はそんなセカンドハンド羞恥で溢れ返っている。主要キャラクターの紹介シーンがまさに好例だろう。
米国政府の高官であるウォラーが公のレストランでTOP SECRETとご丁寧にラベルされたフォルダーをテーブルに叩き付けるシーンは敢えて見逃すとしよう。そのフォルダーにはスーサイド・スクワッドを構成するメンバーの情報が記載されているが、続くシーンはまるでクラス替えを迎えた新学期の自己紹介だ。
そんなセカンドハンド羞恥の波は留まるところを知らない。
ジャレッド・レトー演じる犯罪界のプリンス、ジョーカーは歩くセカンドハンド羞恥製造機と言えよう。『スーサイド・スクワッド』では、インパクトある役割はこれと云って請け負っていないのだが、やたらと気取った演出が多い。『スーサイド・スクワッド』のジョーカーには畏怖も狂気も知性も感じないのだが、身体中のタトゥーは現代のギャングや麻薬カルテルのボスを意識しているそうだ。
出典:”Suicide Squad(2016) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
しかし犯罪界のトップと云うよりは、犯罪映画を観過ぎた三十路が10月31日に出歩いていると表現した方が良いだろう。
大量の銃器を床一面にドミノよろしく並べては5歳児の様に笑うジョーカー。その名にしおう手腕で感嘆させるよりも、ティーンエイジャーでさえ失笑しかねない演出で恐怖心や狂気を感じさせられると思っている様だ。『ダークナイト』(2008年)でヒース・レジャーが演じたジョーカーには目的と自らの手で証明したいイデオロギーがあったのだが、『スーサイド・スクワッド』にはそれが全くない。
レトーの問題と云うよりは、ジョーカーのネームバリューばかり借りたがっているらしい脚本の責任の様にも思うが、いずれにしても目も当てられない。
セカンドハンド羞恥の連鎖はまだ止まらない。福原かれん演じるタツ・ヤマシロ / カタナについては、どうしたものだろう。戦闘では目立った活躍も無いのだが、威嚇とばかりに睨み付ける眼差しと、手持ちの刀を相手に突然始まるメロドラマからくり貫いてきた様なワンシーンはファーストハンド羞恥と称したくなる程だ。
クールでミステリアスな女剣士を演じたいのだろうが、残念ながら説得力に欠ける。加えて歯が浮く様な台詞を敢えて日本語で聞かされるのが(当人はフラッグとの受け答えからして英語を難なく話せる様だが)、また耳の穴を掃除したくなる衝動を誘う。福原かれんには何ら恨みは無いのだが、『スーサイド・スクワッド』では本作が思っている程カリスマ性を感じない。
出典:”Suicide Squad(2016) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
チャト・サンタナ / エル・ディアブロがエンチャントレスとの闘いで放った一言も強烈だ。
彼ならば出会った日に婚姻届けを提出する様な結婚生活に熱中する事ができそうだ。組んで数時間足らずの犯罪者集団が家族に思えるとは、燃え盛る悪魔めいた化け物に変化する以上に驚愕のスーパーパワーかも知れない。
そしてこれまで触れていないキャラクターは、IMDbを参照しないと思い出せない程に印象が薄い。ハーレイ・クインを除くと『スーサイド・スクワッド』のメンバーはセカンドハンド羞恥を残すか、全く印象を残さないかのどちらかに分類できる。
総じて『スーサイド・スクワッド』には熱意を感じない。コミックス作品の映像化が増え、その最盛期と言えるかも知れない時代にそれらしい紛い物を混ぜ込む事であわよくば及第点を得ようと考えた様に思えてしまう。デザインや雰囲気と云った表層的なエレメントは入念に揃えている様だが、それ以上は何も無いのだ。
果たしてコアなファンはこれで喜ぶものなのだろうか。時間も鑑賞料金も惜しいと感じるばかりの作品だった。続編の制作が囁かれているが、それよりも今のDCEUは一度解体して時間を掛けて再構築する路線に早々に切り替えた方が賢明だろう。
この映画を観られるサイト
お勧めできる作品で無い事はお分かりだと思うが、『ザ・ルーム』の様に『ひど過ぎて逆に良い』と云う楽しみ方もできるかも知れない。ご興味のある方の為に、以下の通り配信サイトをご紹介差し上げよう。
まとめ
ポップでコミカルに描かれるアンチヒーロー映画だが、放たれるジョークの数々は聞くに堪えず、ヴィランも肝心のスーサイド・スクワッドの面々も全く以て魅力に欠ける。軸となるストーリーにも没入を誘う様な説得力がなく、実に稚拙だ。
それでいて、その杜撰な脚本を陳腐で退屈な演出でカバーできると思っていた様なので余計に全体の仕上がりには溜息が漏れてしまう。キャストに著名俳優を何人か迎えている分、その粗さが更に際立つ。唯一カリスマ性に溢れるマーゴット・ロビーのハーレイ・クインは観どころと言えるかも知れないが、彼女だけでは到底『スーサイド・スクワッド』を救う事はできない。
特殊なパワーを持つアンチヒーローのチームと云うこれまでのヒーロー映画には無かった事を試みるのは簡単では無いだろうが、この作品にその言い訳は通じない。『スーサイド・スクワッド』は、根本から何もかもが欠けているのだ。