スカーとムファサの因縁が遂に明らかに?2人の運命的な出会いと悲劇的な過去とは…またしても質より量なディズニー最新作、『ライオン・キング:ムファサ』

ライオン・キング:ムファサ


監督:バリー・ジェンキンス
出演:アーロン・ピエール、ケルヴィン・ハリソン・Jr、セス・ローゲン、マッツ・ミケルセン、ドナルド・グローヴァー、レニー・ジェームズ 他
言語:英語
リリース年:2024
評価★★☆☆☆☆☆☆☆☆

Mufasa: The Lion King(2024) ©Walt Disney Studios Motion Pictures『参照:https://www.imdb.com


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~”『アイス・エイジ』を思わせる既視感のあるストーリー、耳に残らないメロディ、思考が追い付かないラブストーリー…歌えば何でも良いってもんじゃない”~
~”このネズミが目に入らぬか!ディズニー作品なのだから良作に決まっているだろう、と思っている貴方、色眼鏡を外してもう一度良く観てみませんか?”~

もくじ


あらすじ

災害で孤児となってしまった仔ライオン、ムファサ
そんなムファサを救い、自らの群れに迎え入れる事になったタカ
兄弟の様に育った仔ライオンたちの前に恐るべき白い影が立ちはだかる
はぐれ者の集団《アウトサイダー》のリーダー、ホワイトライオンのキロス
過去に家族に見捨てられたキロスは次々とライオンの群れを襲い、
縄張りを乗っ取ってライオンの頂点に立とうと目論む
強大な敵を前に2人の若きライオンたちは生き延びる事ができるのか
『ライオン・キング』(2019年)に登場したプライド・ランドの王
ムファサとスカーの秘められた過去が今、明かされる


レビュー

映画館へは久しく足を運んでいない。元々邦画作品への興味は薄いのと、昨今西洋圏から国内へ舞い込んで来る作品の内容に辟易していたのが正直な理由だ。『昔の方が良かった』などと感傷に浸った有り体な事を言うつもりは毛頭無いものの、映画作品に限らず現代の芸術界全体に対しては私としてはある事がどうしても気掛かり

商業気質が過ぎる。

ことわっておくが、政治論や社会学的な見地からの高尚な分析を延々と綴る気は無い。しかしながら、『アラジン』(2019年)を劇場で鑑賞した際に左隣の若い女性が恍惚とした表情で友人に、作品の素晴らしさに感動して魔法に掛かってしまった様だと話していて、僭越ながら吹き出しそうになった日の事を思い出す。きっとあの日の女性なら、また何処かの劇場の席で『ライオン・キング:ムファサ』に惚け顔を向けて楽しんでいる事だろう。
(その女性にとっては何よりである)

ウォルト・ディズニーの冠を被っていれば、全てが名作である。感動しない者があろうものならば、それは感性に何かしらの問題があるのだと断罪するリヒトシュヴェーアト。それが冠を盲信する大衆がブランドに与える絶対的な力だ。

そしてその群集心理に傾注する大衆を利用して、ここぞと冠の力に頼り切った名ばかりのクリエイターが世に跋扈する構図が四方八方に広がっている。如何せん民主主義だ。上滑りした消費者が満足するならば、如何に薄っぺらい作品でも良いだろうと返されそうである。ごもっともだ。

路上で偶然に拾った犬の排泄物を懸命に紙やすりで磨いた物を、過半数が美しい至宝と思えばそれは美しいのである。そこにルイ・ヴィトンのロゴを彫り込めば、どれ程の大金を積んで手中にする者が現れるかのチキンレースまでも楽しめる現代社会の縮図が観察出来るだろう。そして如何なる職人技で磨いたとて、排泄物は汚く下劣であると云う主張は残念がら個人の勝手極まりない主観であると一蹴されるのだ。


映画『ライオン・キング:ムファサ』2024年の評価とネタバレなし感想
幼少のムファサとその家族。CGは良く出来ているが、2億ドルもの巨額を投じたならば当然と言えなくもないだろう

出典:”Mufasa: The Lion King(2024) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com

商業気質な作り手と、商業気質な消費者。人間を人間たらしめる知性と創造性の在り方を嘲笑う、実に困ったコンビネーションである。

そうした人々が世に送り出し、そうした人々が諸手を挙げて歓迎するのが『ライオン・キング:ムファサ』の様な作品だ。さして期待もせず、ふとした切っ掛けで劇場へ赴いて鑑賞したのだが失笑が続くと云う意味で楽しむ事になってしまった。近頃のウォルト・ディズニーの作品にしては、せめて笑わせて頂いた分、及第点と言っても良いかも知れない。

そんな『ライオン・キング:ムファサ』は文字通り、シンバの父ムファサに焦点を当てたシリーズの前日譚となっている。

ムファサがどの様にしてスカーと出会い、如何にしてプライド・ランドの王となったかを描く物語だ。方向性の発想そのものは『マレフィセント』(2014年)などと似ている。尚、これまでの作品でプライド・ランドと称された地は、本作でミレーレに呼び名を変更されているがストーリー上、御伽噺の楽園たるニュアンスを持たせる必要があったからだろう。

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構成は嵐の日にシンバの娘、キアラの子守を頼まれたマンドリルのラフィキがムファサの生い立ちと冒険を回想形式で語り聞かせると云う趣向だ。気になった(正確には気が散った)のは、随所に差し込まれるティモンとプンバァの笑えないコミック・リリーフだろうか。一言で言えば、邪魔である。ラフィキが章立てでムファサのストーリーを語ると、(余計な)合いの手を入れる様にティモンとプンバァに場面が切り替わって鼻白んでしまう。

嘗て愛されたギャグコンビもネタが尽きたのか、放屁に纏わる懶惰なジョークは2~3度ほどあっただろうか。自らの放屁を吸い込んで勝手にハイになっているらしい昨今のウォルト・ディズニーのメタファーと取れなくも無い。


映画『ライオン・キング:ムファサ』2024年に登場したティモンとプンバァ
原作アニメーションでは可愛らしかったコンビもリアルになったせいで可愛げのカケラも無い

出典:”Mufasa: The Lion King(2024) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com

勇敢で王たる素質を備えたムファサと、王の血筋を引くスカー。主題そのものは目新しくないが、素晴らしい物語の根本を成すポテンシャルがあった。『ライオン・キング』(1994年)を観て育った子供たちは今や30代前後であろうが、その多くが知るムファサとスカーのバックストーリーは私自身の関心も引かれるものがある。

王家の血筋を引きながらも周囲の期待や自分自身のあるべき姿に応えられない葛藤、そして静かに募る劣等感がゆっくりと僻みと憎悪に変貌を遂げる様子。人(作中では勿論、ライオンだが)の心理の奥深くも、誰もが共感できる現象だ。それが2人の運命を決定付けるネクサスとなる。

ストーリーの概略としては面白い。

やたらと過去のアニメーション作品を実写化する風潮が顕著なウォルト・ディズニーだが、オリジナルに匹敵する強い感情的な体験を与えてくれるならば私としては必ずしも顰蹙を買う様な事態とは思わない。ウォルト・ディズニーを始めとする映像作品で名を馳せた面々が、過去作品の実写化やリメイクに注力している事でいわゆるノスタルジア・ベイト(ストーリーや脚本の質などをさしおいて、何よりも懐かしさを呼び起こす事で作品を優位に仕立てる手口)を危惧する声も年々増えている様だが、作り手が変わらず観客に感動、恐怖、喜び、問題提起などの目的を持って制作する様ならば媒体やアプローチは然程問題になるとは感じない。

しかし、導入で充分に述べた通り芸術の作り手の多くには、その意図に猜疑心を募らせざるを得ないのが現代だ。『ライオン・キング:ムファサ』は、そんな疑いを確信に近付けてしまう嘆かわしい作品の1つと言っても誤りではないだろう。

最近、導線設計が全くされていないWEBサービスに振り回された愚痴を知人に零したら、『ユーザーを第一に考えていては商売にならない』と返されて閉口した事を思い出した。映画作品にも同様の事が言える時代なのかも知れない。観客はネームバリューに容易く欺かれ、作り手は容易く成功を手にする。心血と魂を注ぎ込む事の非効率、努力と労働を聳え立つ高台から嘲笑する現代の考え方からすると、『ライオン・キング:ムファサ』は賢い傑作と言えるだろう。

映画『ライオン・キング:ムファサ』2024年の評価、レビューとネタバレなし感想
スカイ君
久しくレビュー投稿したなぁ笑 『ライオン・キング:ムファサ』はCG技術にこそ感嘆はするが、確かに物足りないのぺっとした感じはオレも同意せざるを得ないかな
『ライオン・キング:ムファサ』2024年の評価、レビューとネタバレなし感想
モカ君
ボク、観ている間は楽しかったよ!記憶には…ちょっと残らないかも知れないけど…
『ライオン・キング:ムファサ』2024年の評価、ムファサのレビューとネタバレなし感想
スカイ君
何だろうな、良く出来たテレビゲームと言ったところかな。いや、正直今時のテレビゲームの方が脚本や筋書きはもう少しクオリティが高いかも知れない…
サイコパスじみた感情の起伏と変遷に付いていけない

『ライオン・キング:ムファサ』で最も気になったのは、荒唐無稽としか言えないキャラクターの感情の変遷だ。月並で既視感のあるストーリーを進める上で、いや、リン=マニュエル・ミランダによる挿入歌をCGの動物たちに歌わせたいが為に歪に捻じ曲げられた心には共感よりも混乱しか覚えない。

ムファサの冒険は母アフィアと父マセゴと共に伝説の地、『ミレーレ』を賛美するミュージカル・ナンバーに端を成す。一度聴いただけでは記憶に残らない当たり障りの無い曲だった。この瞬間もメロディは上手く思い出せない。25年前に『ターザン』(1999年)の楽曲を担当したフィル・コリンズの才覚を改めて痛感するばかりである。

そして歌い終わるやいなや、間髪を入れずにムファサは大雨で氾濫した川で洪水に見舞われ、両親の命懸けの救助劇も甲斐なく下流に流されて親子は離れ離れとなってしまう。水の勢いがなだらかになる頃には見慣れぬ土地へと行き着いてしまったムファサ。恐ろしい濁流に飲まれ、からがら生き延びた一匹の仔ライオンだ。疲労困憊を極め、途端に両親と引き離された挙句に知らぬ土地へ辿り着いたムファサの気持ちを思うと居た堪れないものがある。

しかし、その心配は杞憂だったらしい。後にスカーと名乗る事になる仔ライオン、タカとその母エシェに救われたムファサは取り分け嘆く素振りも混乱する様子も見せず、元気良くエシェに付いて群れの長であるオバシに会う。厳しい環境で生き抜く為の逞しい野生動物の適応本能ゆえだろうか、とライオンが喋る映画を観ながら妙に現実的なこじ付けで自らを納得させてみるが、やはり片眉が上がらざるを得ない。


『ライオン・キング:ムファサ』2024年の評価、レビューとネタバレなし感想
両親と急に引き離されて命を落としかけたムファサだが、タカと笑顔で徒競走に臨んでリン=マニュエル・ミランダのナンバーをニコニコと歌い上げる

出典:”Mufasa: The Lion King(2024) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com

躍動感にも疾走感にも欠けるタカとの徒競走に勝利し、オバシの群れの一員となったムファサ。再び間髪を入れる事なく、タカとムファサのミュージカル・ナンバーが挿入されるが、歌詞には苦笑しながら呆れる他ない。

“I always wanted a brother, Just like you”

タカは『キミの様な兄弟がずっと欲しかったんだ』と子供(仔ライオン)らしく無邪気に歌い上げる。晴れてタカとムファサは兄弟だ。

だ。そんな感想ばかり浮かぶ展開である。ムファサもタカも孤独に苛まれる様子や、歌詞の様に『ずっと兄弟が欲しかった』と思わせる描写一切無かったにも関わらず、本作で最も重要と言っても過言では無いムファサとタカの出会い、そしてその絆の扱いが軽々しい。

タカとムファサが如何に互いを必要としたか、如何に強い絆で結ばれたかを心の底から感じていなければその後の展開のインパクトが格段に薄まる。その後描かれる2人の確執と因縁の重みが失われるのだ。

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タカは特に興味深いキャラクターで『逃れられない事への怒り』が導く末路を体現できたはずだ。

理不尽な状況から逃れようとしても逃れられない。すると人は次第に怒りを覚え、怒りが軈てはリゼントメントへと変貌を遂げ、根深い憎悪となる。代表的な例ではフランツ・カフカの中編小説、『変身』で如実に描かれる人間的とも言える心理的な反応だ。『変身』ではある朝突然巨大な虫に変態を遂げてしまった人物を、家族が始めは驚き、恐れ、しかしそれが次第に怒りと憎悪へ変わって行く様子を描いている。

王家の血筋を引き、勇敢で王たる事を常に強いられたタカは、当然の様に課せられたその期待の重圧に慄き、しかし逃れる事も許されず、次第に気持ちは怒りへと遷移して行く。カフカエスクとも言える運命に翻弄されるキャラクターなのだ。


『ライオン・キング:ムファサ』2024年の評価、レビューとネタバレなし感想
スカーとムファサの絆を大きく揺るがした『ライオン・キング:ムファサ』のストーリーは土台がどうにも弱い

出典:”Mufasa: The Lion King(2024) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com

その上、己とは対照的に勇ましいムファサと比べてしまい、兄弟としての愛と固い絆を決壊させる程の憎悪へと変わる悲劇が『ライオン・キング:ムファサ』の中核を成すピースになるべきであった。

多少陳腐ではあるが我々の心の奥底に訴え掛け、その重みを轟かせる絶好のチャンスが退屈なシンガロングの為に切り捨てられている。寧ろ、タカの痛ましい変貌に焦点を当てる事はディズニー作品らしいとさえ言えたかも知れないが、そこを杜撰に扱うあたり異様とも言えるだろう。

しかし、関係性を無下にされたのはタカとムファサばかりではない。後にムファサの妃となるサラビに関しても同様だ。

タカと一言か二言ほど交わしたかも知れないが、特筆する様な関りも無かったサラビ。勿論、タカはまたしてもミュージカル・ナンバーを歌う間に何故かサラビに夢中になってしまう。作詞者が恋に落ちたと言うのだから、そうなのだろうと溜息混じりに己に呑み込ませて置くしかない筋書きだ。

ムファサに対するタカの憎悪を大きく膨らませるサラビへの一方的な想いが、全く腹落ちしない形で描かれてしまっている事には驚嘆である。愛が絡むストーリーには多少なりとも恋愛経験のある脚本家を採択して頂きたいものだ。

バランス棒から落ちて股を打ったか、『ライオン・キング:ムファサ』

『ライオン・キング:ムファサ』が負うもう1つの致命傷は、平たく言えば構成のバランスにもある。

本作のヴィランは『アウトサイダー』の群れの長であるホワイトライオンのキロス。声を務めたマッツ・ミケルセンは素晴らしい演技を楽しませてくれたが、ヴィランとしての脅威を不自然な演出が幾らか殺してしまう。

キロスは登場するなり、その冷淡な眼を光らせ、戦慄すべき巨躯を揺らし、タカとムファサが属するライオンの群れを襲う。長であるオバシと群れの面々がキロス率いる数も体格も段違いのライオンに囲まれ、絶望と悲愴感が漂う緊迫するシーンが印象的である。そしていよいよ、タカとムファサの故郷がキロスの爪牙に切り裂かれようとするその時の事だ。

キロスが歌い始めるのである。

ボンゴの音と思しきパーカッションとメロディ・ラインが流れ、『さらばだ バイバイ』などと冗談の様な詞とのセッションが続く。オバシの群れは、その滑稽とも奇妙とも言えないシュールなシチュエーションをCGアニメーターが渾身の想いで描いたであろう恐怖の表情で眺めている。


『ライオン・キング:ムファサ』2024年の評価、レビューとネタバレなし感想
幽霊の様に不気味な白い身体に一際立派なたてがみを持つキロス。勿論、その威厳は場違いなシンガロングで一刀両断される

出典:”Mufasa: The Lion King(2024) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com

何ともバランスの悪い構成ではないか。『ライオン・キング:ムファサ』で唯一、手に汗握りそうになったシーンだったのだが額に平手打ちして席に沈んでしまった。

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カラー・コメンテーターよろしく登場するティモンとプンバァにも辟易する。ムファサとタカのストーリーに没入しようかと云う時に、映画製作を学ぶ学生でさえ目を向けないであろう使い古されたジョークがドルビー・アトモスのスピーカーから飛んで来るのだ。

『ハクナ・マタタ』を捩って『ハクナ・ムファサ』などとギャグのつもりで歌い始めるカットもあったが、スワヒリ語で『もうムファサは居ない』と云う意味だと脚本担当者は承知の上での挿入だったのだろうか。今は亡きムファサの生き様と王への道程を語り、ムファサの声を演じたジェームズ・アール・ジョーンズへ追悼の意を捧げる作品にしては幾分か不躾の様にも思える。

絶対的なウォルト・ディズニーの冠を被っている事に慢心し、全く不用意なインクルージョンだったとしても、私は最早驚かない。

先述した通り、過去のディズニー作品ではアイコニックで記憶に残るキャッチーなミュージカル・ナンバーも、作為的にストーリーを進める為のデバイスに成り下がり、歌い手であるキャラクターの個性を光らせつつその心情や想いをオーディエンスと共鳴させる力を失っている。ここまで廃れ、無機質で歪な人工作品を久しく観ていない様に思う。


『ライオン・キング:ムファサ』2024年の評価、レビューとネタバレなし感想
壮大なショットは劇場の大スクリーンに映えるが、それを超えるディズニーらしい魔法は全くと言って良いほど欠落している

出典:”Mufasa: The Lion King(2024) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com

『ライオン・キング:ムファサ』にはバリー・ジェンキンス監督らしさを思わせる欠片も無いほど魂が抜け落ちている事も、ウォルト・ディズニーが如何に創造力が枯渇した企業体質ばかりのビジネスとなったかを暗に物語ってもいるのだろう。

残念ながら本作を見る限りは、今後のディズニー作品が完全に生成A.I.で制作されたとて然程違いは無いだろうと思ったのが正直なところだ。

凡庸な事を言う様だが芸術作品だけは、必ず人間の想いや情が何かしらの形で人間にしか理解出来ない形で宿り、時代や世代を経て生き延びて行くと信じている。そして商業気質に振り切り、魂を売った者は真の芸術家たちにだけ許されたそのレガシーを諦めざるを得ないだろうと考えるのは大仰だろうか。

だが『ライオン・キング:ムファサ』が、ウォルト・ディズニーが何よりも優先する興行的な成功を実際に収めるか否かは、皮肉な事に不透明である。アメリカ合衆国本土では公開直後全国的な売れ行きは芳しくない様子で、ほぼ同時期に劇場公開に至った『ソニック×シャドウ TOKYO MISSION』(2024年)に観客が靡いてしまった旨を報じている記事も少なく無い様だ。

私としては『ソニック×シャドウ TOKYO MISSION』がほぼ同時公開とならずとも、動員数の結果は変わらなかったと思いたい。いよいよ冠が輝きを失い、油を差して賢明に磨く努力を注がなければただ光を失って行くとウォルト・ディズニーのクリエイター陣の手綱を握るエグゼクティブ層にも知らしめる良い教訓となる事を願うばかりだ。


この映画を観られるサイト

『ライオン・キング:ムファサ』は2024年12月20日より国内の劇場で公開されている。Disney+でのストリーミング配信は今後の発表を待つのみだ。

まとめ

『ライオン・キング:ムファサ』は陳腐ながらも大きなポテンシャルを秘めた作品だっただけに、鑑賞した感想は残念極まりない。私は期待せずに鑑賞した分、意外で素敵なサプライズがあっても良かったのだがそのチャンスを無駄にされた様で余計に惜しい。CGの質を多少犠牲にしてでも、予算を脚本に回した方が良かったのではないだろうか。

スカーに関しては殊更、勿体ないと言わざるを得ない。私の知る限り、映像作品でムファサとの過去が語られたのは初めてだが、それをこうもいい加減に扱うとは。

『ライオン・キング:ムファサ』は気軽なデートや、ストーリーの不自然な流れや歪な設定にも疑問を持ちづらい子供を連れて鑑賞するのに良いだろう。雰囲気を楽しめれば良いと云う方には、暇を潰すのに丁度良いだろう。昨今のディズニー作品のクオリティに満足している様なら、このレビューも気にせず楽しんで頂けるとも思うが、落胆する可能性もご覚悟頂きたい。

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