Lifechanger
監督:ジャスティン・マコーネル
出演:ローラ・バーク、ジャック・フォーリー、ビル・オーバスト Jr.、サム・ホワイト 他
言語:英語
リリース年:2018
評価:★★★★★★★☆☆☆
~”生きるには殺すしかない、悍ましい怪物としての哀しき日々を見せてくれる物語”~
~”怖がらせる事やCGiではなく、骨格のストーリーに力を注いだホラー映画”~
もくじ
あらすじ
人の姿を借りて生きるシェイプシフター
昔は一つの身体で何年も生き存えたが、今は数時間から数日で”ガタ”が来る
次から次へと様々な人々に变化する”それ”はある女性に恋をしていた
いつも同じバーにいるジュリア
しかし、いつも同じ姿で会う事も正体を明かす事もできない
だが”それ”はついにジュリアと望んでいた関係を持ちー
レビュー
昨日とは違う顔、違う身体。
冷え切った洗面所で顔を洗い、鏡をまじまじと見ると早くも”ガタ”が来ている。次を探さないといけない。Lifechanger(原題)は、人間から人間へ伝染病の様に”感染る”事で命を繋いでいく”何か”の話で、オカルト好きならご存知であろうスキンウォーカー伝説にインスパイアされている印象を受けます。
生きる為には誰かに”成り代わる”しかなく、成り代わるには相手をどうしても殺さなければならない。”それ”の手に触れられた者は、苦しそうに呻き急速に身体が白く、枯れ葉の様に萎びて行く。ゴム人形の様に萎んだ人間の姿を手にした”何か”は死体を刻んで燃やし、新しい身体で新たな人生を始めますが・・・
その姿は次第に腐り始めます。肌の脆い所が黒ずみ、急速に”それ”も死に近付いて行きます。でも今の身体が腐り切る前に誰でも良いから、もう一度殺して”あの子”に会いに行きたい。ストーリーが進むに連れて、生き残る事以上に”それ”は想いに突き動かされている事が分かります。
出典:”Lifechanger(2018) ©Uncork’d Entertainment”
Lifechangerを妙々たるホラー映画と評する事が出来るのは、そのストーリーを伝えるアプローチ。繊細で独特、人間味のある作品に仕上がっているホラー映画は、昨今珍しいと言えるのではないでしょうか。ホラー映画に於いて演出、脚本、視覚効果は”恐怖”を中心に評価されがちですがLifechangerはそうではありません。最も人間らしい”愛”と”悔恨”の感情に訴えかけるドラマ性に富んだホラー映画であり、ユニークなのはストーリーが”それ”の目線から展開されて行く点です。
己の為に人を無作為に殺し続ける”それ”は姿形はどうあれ、連続殺人鬼に変わりありませんし、寧ろ”それ”が襲い来る恐怖を人間の視点から語る事が従来のホラーメソッド。だけど“それ”にも事情があるだけでなく、観ている人間にも共通する”感情”がある事が分かると”それ”を一概にただの化物と一蹴する事ができなくなります。
呪いにかかってしまった哀れな人間の話と言っても過言ではないでしょう。それがLifechangerが観る者を最後まで掴んで離さない所以でもあります。
Lifechangerは観ている間も観た後も不思議な感覚に見舞われる映画で、その根源は矛盾する感情が頭の中で尾を引き続けるから。
生きる為の殺人、しかも”それ”はそれを厭わない。”それ”が考えている事はホラー界のベテラン、ビル・オーバスト Jr.の温かみと深みあるナレーションを通じて観客に伝えられますが、殺人そのものに苦悩や後悔を感じている様子もなく、善良な意識を持っているとは言えません
一方でそうしなければならない事で、”自分”の実態がなく、故に“自分”への愛を感じた事がない哀しみには同情してしまう。ホラー映画と聞いて想像する、人間性のカケラも持たない(姿形の悍ましさよりも、これが一番怖い)何かが無慈悲に人を襲う恐怖と、『ロミオとジュリエット』な胸打つ悲劇が調和するストーリーとして印象に残る作品になっています。
出典:”Lifechanger(2018) ©Uncork’d Entertainment”
ルーベン・マムーリアン監督の『ジキル博士とハイド氏』(1931年)の様に人間性を失わぬ様に人品に縋り、葛藤し続ける主人公を描いたホラー映画を想起させる内容でありつつ、Lifechangerは実はその真逆である事が非常に面白い。
善良な人間が運命の悪戯によって人間ではない怪物に变化し、しかしそれに抗う様子を描いたのではなく、間違いなく人間とはかけ離れた化物が人間としての感情に共感し、それを必死に追い求める姿を描いています。この逆転したアプローチが想像以上にパワフルなストーリーテリングへ繋がり、ラストの悲劇に予想だにしない打撃力を与えてくれます。
ストーリーテリングに言及すると、勿論、難点も幾分かあります。その一つが、度重なる成り代わりによる冗長な一面がある事を否めない点。”それ”が狙う人間はランダムでどの様な人物なのかを知る前に、萎びた黄色味を帯びたゴム人形みたいになってしまう。殺されようが、殺されまいが正直、観客に与える感情的なインパクトは殆どなく、“それ”のルーチンとしか捉えられません。全てはジュリアに近付く為ですが、多少はこのプロセスを減らしても良かったはず。
そんな中、救いとも言えるのは成り代わった後に”それ”を演じる俳優陣のパフォーマンスでした。
姿形が速いペースで変化し続ける主人公を追い続けるのは映画に良くある事ではないし、観客を疲れさせかねないリスクを負うものです。Lifechangerはこのリスクを二つの方法で分散させる事で観客が最も重要なストーリーに集中できる様に仕上げています。
先ずはキャストの演技力。
良く出来ているとは言え、先述の難点に関連して様々な人間に変わり続けているにも関わらず、毎度ジュリアと何らか友好的な関係を築けている点などは引っ掛かります。ジュリアがとてつもなくフレンドリーだと言えなくもありませんが、一度意識を向けてしまうと不自然。以前とは別の姿で彼女に近寄る”それ”に”どこかで会った事ある気がするわ”と吐露する瞬間が言い表し難い親近感を示唆しているのかも知れませんが、これだけでは説明として充分とは言いづらい。
そこに納得感を齎しているのが、”それ”に成り代わった人々のパフォーマンス。ジュリアとの遣り取りを観ていると、どの”皮”を被っている時も確かに初めて会った二人には見えません。旧知の仲、ノスタルジックな何かを感じさせるキャストのインタラクションは評価すべき大きなポイントの一つです。様々な俳優が代わる代わる現れるスクリーンの中心には、いつも同じキャラクターが存在している不思議な感覚を味わいます。
出典:”Lifechanger(2018) ©Uncork’d Entertainment”
もう一つはキャラクターの遣い方。
これが無いと先述の演技力云々も成り立ちませんが、同じバーで同じ席にいつも座っているジュリアを登場させる事で”それ”を見失う事がありません。会いに行く目的もLifechangerのメインテーマ、”愛”に突き動かされている事から違和感もない。“それ”の不安定なアイデンティティとは対照的に、普遍的な存在とも言えるジュリアに作品の基軸的な役割を担わせる事で新しい”それ”の姿を受け入れ易くなります。
Lifechangerのホラーとしてのエッセンスに目を向けると、『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004)に携わったデイビッド・スコットによる特殊効果は評価したい。低予算ながら成り代わりのシーンで映し出される死に行く人間には、確かに死が忍び寄っていると感じさせる視覚効果が施されていて目を離せません。
特にラストでジュリアになった”それ”が、二度と誰かに成り代わるまいと腐り始める身体をベッドに横たえて己の死を待つシーンも言及する価値あるメイクアップ技術が使われています。
出典:”Lifechanger(2018) ©Uncork’d Entertainment”
映画としての衝撃もこのラストに待ち構えています。成り代わって転生し続ける事を諦めた”それ”は限界が来た最後の身体の中で、痛みとも苦しみともとれない感覚に身をよじらせ、目前に迫る最期を迎えます。しかし、腐って干からびた死体ではなく、胚の様な物体に変化して女性の子宮の様な何かに包まれます。
体液とも排泄物ともつかない液体が流れる中、子宮らしい物体の表面から”孵化”する様に出てきたのは、疲れ切った顔の老人。初めて明るみになった”それ”の姿に、アンチクライマックスな感覚を覚えなくもありませんが、その後に続く”それ”の声を聞くと最悪の結末を迎えている事が分かります。
ジュリアへの感情は愛の様で、愛ではない。
“それ”が殺してでも生きる言い訳に過ぎない偶像の様な存在だったのです。”それ”は殺人を罪として捉えていない様ですが、どこかで求めていた贖いと救済。ジュリアは使い捨ての身体にされてきた犠牲者以上の被害者でもあると考えています。
理屈ではなく、願望が”それ”をジュリアに惹き付け、その願望はただの幻影として消えた結果”それ”は死ぬことを決めますが待ち受けるのは、それ以上の苦悩。ジュリアを失った世界で生き続け、彼女を己が手にかけてしまった罪悪感と悔恨に苛まれる余生を送らざるを得ないのです。皺だらけの顔に憂いた表情を浮かばせながら”それ”はこう呟きます。
出典:”Lifechanger(2018) ©Uncork’d Entertainment”
“母が昔、全てのものはいつか終わりを迎えると言っていた。だが、どうやら少し間違っていた様だ。己が歩いた跫音(あしおと)がいつまでも残ってしまう道を選んでしまう事もある。終わりなき罪責として、いつまでも存在し続ける事がある”
“より良い存在になろうとしても、罪責は絶えない。それは小さな囁きから、次第に大合唱となり己を見失わせる。自分が誰であるべきなのか、忘れてしまう。そもそも、もしかしたら初めから自分は誰でもないのかも知れない。もしかしたら、一度も自分が誰なのか初めから分かっていないのかも知れない”
愛に飢えて死を選んでなお、罪悪感に支えられて生き続けざるを得ない存在になってしまう恐ろしさ。しかし結局、何だったのだろうか。曖昧なエンディングに、そんな気持ちを抱いてエンドクレジットに進んだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
既に述べた様に、人が怪物になってしまう事は充分あり得るしスーパーヒーロー映画を含む様々な作品で描かれてきていますが、Lifechangerはその逆を問うてます。怪物が人になる事は可能なのか。殺人を厭わない”それ”が初めて罪の意識を明確に表したラストから、(曖昧である事に変わりはないが)各々が思う答えが生まれるはずです。”それ”は老人としての姿を受け入れ、ジュリアの死を悔いて余生を”人”として過ごす-
私はそうは思っていません。
最後の最後に訪れる胸騒ぎを煽る瞬間。不穏な音。それに気付くかどうかがLifechangerに抱く印象と”それ”のその後に対する推測を、大きく左右するのではないかと思います。悲しげな目を天に向け、カメラが空を映し出して暗転する瞬間、“それ”が誰かに成り代わる時に必ず聞こえる音が、微かに真っ暗なスクリーンに響いているのです。
“それ”の歩む道は変わったのか。それは誰にも分からない永遠の謎ですが、考察を絶えさせない魔力がそこにある事もLifechangerの大きな魅力。
ホラー映画としての出来栄えもさる事ながら、根幹にあるマコーネル監督の独創性が今後の期待を高めてくれるLifechangerでした。
この映画を観られるサイト
Lifechangerは2019年2月時点で日本公開時期未定で、国内の動画配信サイトでも取り扱いは確認できません。いずれ劇場にやってきてくれる事を祈るばかりです。
まとめ
井戸から這い上がってくる髪の長い女や、おどろどろしい音楽と共に登場する見るも恐ろしい顔をした幽霊が襲い来る映画ではないLifechanger。ヒューマン・ドラマに近い(とは言え、問題のキャラクターは厳密には”人間”ではありませんが)映画です。
しかし侮る事なかれ、”それ”が人に成り代わるシーンは目を背けたくなる様な描写が映し出されますし、身体が腐り行く様子もかなりグロい。そうした瞬間にホラー映画を観ている事を思い出させてくれます。
要所要所のグロさに身悶えし、”それ”の想いに胸を打たれ、ラストに考察する。ポップコーンが似合う映画ではありませんが、大人なら実は何人かと一緒に観るのもお勧めしたい作品です。