ジョーカー
監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ 他
言語:英語
リリース年:2019
評価:★★★★★★★★☆☆
Joker(2019) ©Warner Bros. Pictures『参照:https://www.imdb.com』
スポンサーリンク
~”己以外の命と生活をミジンコ程にも尊重しない権力者や政治家が露骨に庶民の血と汗を貪って心身共に肥え続ける現代、僕らの果てしない憤怒と憎悪をスクリーンの中で体現してくれる快策!俺もジョーカーだ”~
~”ポジティブで、明るく、笑顔でいる事を強制ばかりする現代こそジョーカーが必要な時代、毒は毒で制するしか無いという誰も認めたがらないダークな真実を見せてくれる映画だよ、『ジョーカー』は”~
もくじ
あらすじ
1980年代、財政難に陥り、人心の荒むゴッサム市
そこで大道芸人として暮らすアーサー・フレック
福祉センターでカウンセリングを受ける日々を送るアーサー
コメディアンを目指すも機会に恵まれず、現職でも
不良少年の悪事の責任を押し付けられるなど、報われない人生だった
ウェイン産業の証券マンに暴行されてしまったある日
耐えかねたアーサーは思わず3人を拳銃で殺してしまう
そしてアーサーは少しずつ、狂気のスパイラルを下って行く・・・
レビュー
バットマンに纏わる作品はダークネスの呪縛から逃れられないらしい。
『バットマン ビギンズ』(2005年)に端緒を開くクリストファー・ノーラン監督のトリロジーは今も熱烈なファン層を持ち、『ダークナイト』(2008年)でジョーカーを演じたヒース・レジャーのパフォーマンスは今なお屡々称賛される強烈な爪痕を映画史に残しています。一部では空前絶後とまで言わしめたノーラン監督の作品ですが、『ジョーカー』も公開が発表されて以来、謎めいた狂気に包まれたジョーカーに焦点を当てた作品として大きな話題を呼びました。前代未聞のフォーカル・ポイントを謳う作品がどの様なストーリーを描き、何を感じさせるのか様々な憶測が飛び交いました。
そして公開後、幸福感を微塵たりとも匂わせない『ジョーカー』に儚さや悲哀を感じたオーディエンスが多かった様です。
私はと言えば強い共感を感じたのが正直なところ。『ジョーカー』の舞台は架空の都市、ゴッサム市ですが、そこは社会の縮図。日本で生活を始めて3年が経ち、社会人の目線で見る日本を例に挙げると疑問、転じて不満に感じる事は多い。故に感心と同時に呆れるのが、日本人の凄まじい忍耐力でした。無論、逐一不満を爆発させては生活も社会も成り立ちませんが、一方で感覚が麻痺して全てを”仕方が無い”で許容する事は進歩を阻みます。問題であるべき事が日本では殆ど問題にならない事が多く、ストックホルム・シンドロームに陥る者の様に劣悪な環境でも適応してしまっています。ゴッサム市民の様に、苦しい環境を強いられても耐え、受け入れ、粛々と日々を生きる。
語弊を招きかねないのでクリアにして置くと、他国でも山積みの問題を見て来ましたし、日本だけがゴッサム市だと主張する腹積もりは毛頭ありません。
然りとて殊に日本国民の怒りを煽る事案が多かった2019年に奇しくも『ジョーカー』が公開された事には、運命的な繋がりを感じます。台風15号で大災害とも言える被害を被った地域が喘ぐ中、正当な必要性の説明無き増税が強行され、台風15号を上回る台風19号に国民が慄く中で概ねラグビーのワールドカップに夢中だった国会議員の給与と賞与も正当な説明立て無く増額を迎えた事は記憶に新しい。権力者と富裕層のポケットに札束を流し込む為にアーサーが通う福祉センターが閉鎖される様に国民の生活を削ぎ落し続け、私欲に走る者たち。国民が手出し出来ない事を見越して止め処なく驕り高ぶる政権へ、爆発しそうな不満を覚えた国民は少なく無いはず。
ストーリーこそ違いますが、フィリップス監督の『ジョーカー』はそうした義憤が齎す妄想や気持ちにスクリーンの中で応えてくれる映画でした。
出典:”Joker(2019) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
富裕層は富を一銭たりとも逃すまいと札束を握る拳に力を込め、貧困層は日々の夕食さえダイニングへ並べる事も儘ならない生活を送るゴッサム市で暮らすアーサー・フレックは、静かに顔にメイクを塗りたくり、一筋の涙を零す。『ジョーカー』はリッチなCGiや派手なコスチュームに肖る事無く、胸中に悲嘆と痛みを抱えた1人の男から幕を開けます。スポットライトが当てられるのは、1人の悲しきピエロ。
ホアキン・フェニックス演じるアーサー・フレックは、口先ばかりで実際には弱者を虐げ続ける社会構造が量産した夥しい被害者の1人であり、卑下され、罵倒され、否定され、血と涙の味を誰よりも知る男。その上、突如笑い出してしまう脳神経の難病も持ち合わせている変人ともなると、社会そのものがアーサーから遠ざかり始めます。疎外され、見向きもされない日々。
嫌な思いはもうしたくない。アーサーの悲痛で切実な叫びを聞き入れる人物は1人たりとも居ません。厳しい社会で誰しも闇と苦悩を抱えつつも耐え忍び、静かに生活をする中で適応出来ない者は冷ややかな眼差しに晒され、堕落者の烙印を押される社会はスクリーンの外の実社会と全く同じです。特に他人に対しては、世界でも首位を競う程冷たい国民性が屡々話題となる日本こそ、私はゴッサム市と重ねてしまわざるを得ませんでした。塵袋こそ街中に堆積していませんが、侘しく、翳りがあって人と繋がり難く、今にも崩れそうな表面的な秩序を保っている社会。
無論、殺人は一切許される行為ではありませんが誤解を恐れずに言えば、ジョーカーこそ最も人間的で現代社会に必要な存在の1つです。『ジョーカー』の公開で模倣犯や暴動の発生を懸念している人々は、感化される”馬鹿な”連中を揶揄しますが、裏を返せば『ジョーカー』の描写や訴えが的を射ていると認めている事になります。共感しなければ真似る事は有り得ない。『ジョーカー』が描くゴッサム市はファンタスティックな空想では無く、現実なのです。
出典:”Joker(2019) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
『ジョーカー』が現実離れしているとすれば、アーサーの行為を正当化する為に始終ダークで理不尽な出来事が絶え間無く重なる事。如何に廃れて腐った社会にしても、アーサーに訪れる様な不運の数々に見舞われる事は珍しい。しかし、『ジョーカー』の観どころは不条理が過ぎる社会の渦を脱するまでの軌跡と、ニヒリズムの追及がアーサーとしての幸福と解放に繋がるラスト。ピエロの仮面を被った暴徒の集団を見下ろす最後には、筆舌に尽くし難い心地良さがあります。昨今、様々な企業やメディアが闇雲に力を入れる女性のエンパワーメントと同様、劣等に、そして不当に扱われていた存在が立ち上がり、仮初であっても支配権を手にする様子が共感出来る者としては実に爽快でした。
窮鼠、猫をも噛む。
噛まれるまで目を覚まさないのが人間で、『ジョーカー』のラストで訪れる様な事態は差し置いても、劇場を出た世界にもジョーカーが現れてくれる憧れを抑え込む事が出来ません。『ジョーカー』は現実では叶わない、声高に叫びたい内なる闇と狂気に、細やかながら2時間の間だけ手を差し伸べてくれる映画でした。
潔く認める事に抵抗を感じる真実は世の中に多い。
都合が悪いが、然りとて解決する事は叶わない。そうした真実や現実への対処方法は目を背ける他に無く、多くの人々が暗黙の内に俯いて問題を無視して必死に幸せを求めつつ人生を生きます。『ジョーカー』はオーディエンスと醜い真実を正面切って向き合わせ、エンターテイニングである事よりも倫理観や価値観を問う事を注視した映画で、私の様に共鳴するか、嫌悪感を持つかは個々で極端なまでに異なる作品です。
『ジョーカー』は立ち上がろうとするアーサーを幾度と無く薙ぎ倒して地面に叩き付け、シンパシーを誘う意図があるのは明らかですが、しかしながらジョーカーは偶像化されているのでは無く、プレーンでバイアスが無い人間として描かれている点に最も惹きつけられました。弱者の耳元で囁く怪しげなカルト集団の様に、脚色や誇張を交えたストーリーでも無ければ、『ジョーカー』のアーサーは『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーが放つカリスマとは対極的なキャラクター。不器用で情けなく、小心者。
『ジョーカー』は素直に社会に傷付けられ、素直に反応した男の物語です。多くのストーリー、殊に映画作品はそうした素直な反応を敬遠し、オーディエンスの顔色を窺って『マレフィセント』(2014年)に顕著なヴィラン・ターンド・ヒーロー路線へ舵を切りがちですが、『ジョーカー』はクレイジーな社会不適応者の道を進み続ける勢いを持っています。
出典:”Joker(2019) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
『ジョーカー』にダウンサイドがあるとすれば、弱いストーリー性。同じジョークを延々と聞かされる様な、単調な印象がある事は確かに否めません。災難に見舞われ、着火剤が積み上げられて仕舞に点火される、分かり切った流れ。一方で『ジョーカー』はストーリー面でエンターテイニングである必要がそもそも無い事は既に述べた通りで、ジョーカーの生々しいオリジン、これまで謎に包まれていたキャラクターに対する解釈を楽しむ事がポイント。一口に楽しむ事と表現しても、客観的なキャラクター・スタディとして満喫する事も出来れば、アーサーの苦悶を通じて己にも眠るジョーカーと抱擁を交わす事も出来ます。
『ジョーカー』は現実でも募るストレスや怒りを解放してくれるだけで無く、私として最も救われた気持ちになったのは解放する行為そのものに対して肯定的な捉え方をしてくれた事で、心の深淵に抑え込んでいたジョーカーの双眸を罪悪感に苛まれる事無く直視させてくれました。例えば、アーサーの母親、フランセス・コンロイ演じるペニー・フレック。彼女は『ジョーカー』で具現化される様々な社会規則の1つで、アーサーに常に笑顔でいる事を説きます。
ネガティヴな考えは不健全で、”ハッピー”でいる事が社会の一員として求められる暗黙の基本ルール。怒りや不満を表現する事は幼稚で忌み嫌われる行為で、理性を持つ社会動物としては如何に理不尽な怒りであっても押し殺すか、ペニーがアーサーに強いる様に笑顔を装わなければいけない。
出典:”Joker(2019) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
そしてアーサーがペニーを粛正したシーンは即ち、一方的な社会規則に中指を立てた瞬間。殺人、殊に家族を殺める事に対しては虫唾が走るものの、現実世界では到底出来ない、しかし時折脳裏を過ぎる中指を立てたくなる気持ちを代弁してくれた様で、気が軽くなったシーン。
タブー視される考えや行為の数々は解放感に満ちていますが、その解放感を不快と感じるか否か。『ジョーカー』へのリアクションは個々の倫理観が剥き出しになる事も痛感し、人間の奥底に眠る感情と理性を試す映画でもある様に感じたので、秘めた想いを曝け出させてくれる意味で私としては与えられた体験価値が高い作品でした。
アイコニックな犯罪界のプリンスの誕秘話。
しかし、『ジョーカー』は物語として信用出来るのか。ここが面白い。一見すると、眼も当てられない不遇の連続が究極の狂気へと男を駆り立てる様子が描かれ、好悪は差し置いて筋は通っている様ですが、随所に行間を読む様な、解釈の余地を与える場面が窺える点は興味深いです。
お察しの通り、『ジョーカー』は全てアーサーを中心にストーリーが進みますが、ロバート・デ・ニーロ扮するマレー・フランクリンのトークショーに登壇する事を妄想したり、ザジー・ビーツのソフィー・デュモンドとロマンティックな関係を築いた様子も全て虚妄だった事が後に分かります。『ジョーカー』でアーサーが登場しないシーンは皆無に等しいのですが、明示的に妄想だった事が分かるシーン以外にも真実と虚偽が混在した事が疑われます。考察の様な毛色を帯びてしまいますが、オリジン・ストーリーにも関わらず多大な謎を遺す辺りがジョーカーらしくて魅力的でした。
私の解釈では、全てがアーサーの虚妄だったと考えています。
ポイントはラスト。精神分析官に鑑定を受けるアーサーが映し出されますが、微かな笑いを漏らして“ジョークを思いついた”と言い、精神分析官は内容を伺いますが”理解出来ないさ”と言い放ち、ジョークの内容は明かされません。このジョーク”こそが『ジョーカー』では無いかと解釈しても違和感は無く、個人的にもこの考え方は背筋が少々冷たくなるので好きです。
出典:”Joker(2019) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
フィリップス監督がインタビューでも示唆した様に、『ジョーカー』のオリジン・ストーリーの意味合いに関しても多分に解釈の余地があります。
原作コミックスから大きく外れて、頭脳明晰で狡猾とは言えないアーサーがジョーカーとなる『ジョーカー』からはバットマン/ブルース・ウェインの宿敵に似つかわしい脅威を感じません。脱獄を試みる直前に精神分析官を殺したであろう事が仄めかされる様に、見境無く殺人に手を染める異常者に過ぎない。
しかし後にバットマン/ブルースを翻弄する好敵手となるジョーカーはアーサーでは無く、アーサーにインスパイアされた暴徒の1人と推測しても突飛な発想ではありません。その点、先駆けとなったアーサーのオリジン・ストーリーでもあるし、アーサーに感化されたクラシカルなジョーカーが出現する為の道筋を拓いた点でもオリジンと言えそうです。この考えは『ジョーカー』でバットマン/ブルースがまだ幼い一方で、アーサーは40代前後と推定される年齢のギャップから2人が対峙する頃にはジョーカーが少なくとも50代となる事から多少は信憑性を望めそうです。無論、50代以上のジョーカーを是とすれば、成立しませんが。
オーディエンスにこうした一抹の謎と想像を巡らせるスペースを与えてくれる事も『ジョーカー』の観どころでした。
究極的に果たして暴徒か正義の味方か。『ジョーカー』は観る者を自ずといずれかに二分してしまう映画ですが、一度は鑑賞をお勧めしたい作品です。
この映画を観られるサイト
『ジョーカー』は全国の映画館で10月11日から上映中!
好き嫌いが極端に別れる映画としてはリスキーですが、興味があれば是非!
まとめ
単調で一方的と言えば確かにそうですが、『ジョーカー』は不満や義憤を抱えて観ると、解放感を与えてくれる映画でした。ジョーカーと己を重ねるのか、客観視して憐れむのかで大きく印象が変わる映画です。
その点、幾らでも”上から”観る事が出来る映画ですが、『ジョーカー』に限ってはそれでは面白く無い。
何処までもダークで憂鬱なストーリーなので、暗いストーリーが苦手なら強くお勧めはしないものの、試しに鑑賞して欲しい映画です。コミックスが原作とは言え、全てが全く現実離れした物語では無いと思うので、マーベル作品の明るくてヒロイックな要素が苦手だった方も、『ジョーカー』は一見の価値ありです。