アラジン
監督:ガイ・リッチー
出演:ウィル・スミス、メナ・マスード、ナオミ・スコット、マーワン・ケンザリ、ナヴィド・ネガーバン、ナシム・ペドラド、ビリー・マグヌッセン 他
言語:英語
リリース年:2019
評価:★★★★☆☆☆☆☆☆
Aladdin(2019) ©Walt Disney Studios Motion Pictures『参照:https://www.imdb.com』
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~”『アラジン』は、あーはいはいと言いたくなる典型的なイマドキのエッセンスを詰め込んだ平凡な作品、女性のエンパワーメント、既に観た事あるシーンのCGiリメイク・・・もっと語るべきストーリーがあるのではと思わざるを得ない”~
~”ウィル・スミスのキャラが押し殺され切らず、笑えるスミス節が活きた瞬間も!アラジンとジーニーのバディ感はとても良いけど、映画のランタイムからして短命だったのが本当に惜しい”~
もくじ
あらすじ
アグラバーの街で猿のアブーと共に暮らす貧しい青年アラジン
市場で盗みを働いていた彼はある日、侍女に扮した王女ジャスミンと出会う
アラジンはジャスミンと心を通わせ始め、再会の為に王宮へ忍び込む
しかし、途中で衛兵に捕えられて国務大臣ジャファーに引き渡されてしまう
ジャスミンが王女である事をアラジンに伝え、取引を持ち掛けるジャファー
ジャスミンに振り向いて貰えるだけの金と引き換えに洞窟のランプを要求
“タイヤの原石”で無い者以外を寄せ付けない洞窟へ入り、ランプを手にしたアラジン
しかし、ジャファーにランプを奪われて洞窟の中へ閉じ込められてしまい・・・
ディズニーの名作『アラジン』待望の実写版リメイク!
レビュー
ディズニーは何の因果か、最先端のCGiと実写で描いた作品で無ければ映画として認めない様子。ジーニーの声を演じた亡きロビン・ウィリアムズの愉快なパフォーマンスが印象的なアニメーション映画、『アラジン』(1992年)を忘却する心積もりか人々の記憶を塗り替えつつ、世界に蔓延るブランド品の数々の様に”ディズニー”のレーベルさえ貼り付ければ付和雷同するファンが、狂喜して札束を舞い散らす事に慢心している事を率直に痛感した映画が『アラジン』です。
映画にはストーリー以外にもキャラクターや映像、ディズニー映画の場合は歌など様々な構成要素がありますが、『アラジン』はいずれにしても1992年のオリジナルを追従するものばかりで、一層リメイクする意義が無い。リアリティのあるストーリーと写実性より、愉快でファンタスティックである事にフォーカスしたオリジナルを一蹴する様に、アブーやラジャーの毛並みを如何に忠実に再現するかに固執したレプリカ作品に過ぎません。
『アラジン』は全体を通して覚束ない、そして苦しそうな印象を受けました。オリジナルを無理に塗り潰そうとする余り、アニメーションにあった軽やかさが無く、鈍臭い仕上がりになっているのは残念です。リブートされた『アラジン』はオリジナルと同じく、アグラバーの心優しい”ドブ鼠”がヒロインである王女のハートを射抜き、スルタンの座を密かに狙うヒール、国務大臣のジャファーを野望を打ち砕く面白可笑しいストーリー。ハンサムなメナ・マスード扮するアラジンがアグラバーの市場で王女ジャスミンと出会い、歌い尽くしながらジャファーの衛兵から逃げ回るオープニングも全く同じですが、写実性を追求する一方でファンが愛して止まないミュージカル・ナンバーも含めねばならない使命感の為か、結果的に実写とアニメーションの狭間を右顧左眄している様な違和感に苛まれて暫く映画に引き込まれる事は叶わず。こちらが映画に熱中しようと藻掻いている間も“ほれほれ”と言わんばかりに歌い出すアラジンやジャスミン。最初の30分は観ているのが苦しかった。
然りとて輝く瞬間が皆無かと言えば、そうでは無い。ユーモアの破片は時折飛んで来るし、アラジンがジーニーの魔力でアリ王子に扮して宮殿を訪れたシーンをピークに忍び笑いは何度か引き出してくれた点は素直に評価したい。
しかし、苦しいと言えばファン待望の『ホール・ニュー・ワールド』を始めとする、ミュージカル・ナンバーの数々。
出典:”Aladdin(2019) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
ファンで無くとも『ホール・ニュー・ワールド』のメロディは知っているはず。未知の世界や新しい発見を美しいデュエットで歌う曲ですが、『アラジン』で描かれる『ホール・ニュー・ワールド』のシーンは、映画と同じく何もホール・ニューではありません。ビジュアルは露骨なグリーン・スクリーンによる好い加減で退屈な景色で塗りたくられ、空飛ぶ魔法の絨毯のロマンや未知の世界を冒険する喜びを一切喚起させない情景が広がります。最先端技術と言えばドローンで美しい山脈や渓谷の風景を織り込めたはずですし、寧ろ実写化する意義を少しでも表現するとしたらアニメーションでは描き切れない明媚なランドスケープを大スクリーンに吹き込む事。アイコニックなナンバーを再現すれば、ファンは無条件に歓喜するであろうと甘く見られている事を最も感じたワンシーンでした。
そしてジーニーのクラシカルな名曲、『フレンド・ライク・ミー』はチープな模造品。一時話題になった素人が修復してしまったスペインの教会にある壁画を思い出した出来栄え。
ウィル・スミスは懸念していたよりも自然にジーニーを演じる事が出来ていましたが、ポップで軽快、目まぐるしくも楽しく振り回されるテンポで歌い上げられるオリジナルを真似ようと目も当てられない程必死。アニメーションならではのスタイルを活用した『フレンド・ライク・ミー』をCGiに置き換えたところで、単なるパロディに過ぎず、失笑せざるを得ませんでした。
そんな『アラジン』の新曲と言えば、ジャスミンを演じるナオミ・スコットの美声が費やされた『スピーチレス』なるフェミニズムを讃えるナンバー。現代風にアレンジされ、強引に捩じ込まれたパワード・プリンセスの賛美歌。男性は”ドブ鼠”と呼ばれようが、”ホット”と形容されようが、戦争で駒の様に使い棄てされようが特段問題無い一方で、女性キャラクターを扱う場合は驕傲な台詞や曲を含めるべきとの暗黙のルールがハリウッドには出来つつある様です。
出典:”Aladdin(2019) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
その点に着眼すると、『アラジン』の勿体無さが際立ちます。
フェミニズムをサイドテーマとして掲げるも、実に軽薄。ジャファーが女性は黙って美しく佇んでいれば良いと発言するシーンは幾度も利用されて、男性優位的な古い仕来りの馬鹿馬鹿しさを誇張しますが、そうした仕来りや考えの意図に意味を与える事無く、単なる偏った主張としか見做されません。差別的とされる傾向の歴史や意義を探求する事無く、ただ一方的に声を上げて断罪する事に意義を持たせたい様子。『アラジン』の様な女性の描写こそ軽薄で、却って女性が短絡的であると示唆している様で、卑下に近い印象を受けました。多くのオーディエンスは気に留めないであろうポイントですが、『X-MEN:ダーク・フェニックス』含め、実際にフェミニストを名乗る方々が本当に映画へこうした女性の描写を求めているのか甚だ疑問です。
ストーリーや行動を通じて素直に声援を送りたくなる女性のエンパワーメントよりも、言葉でこれみよがしに宣言する強制的でイージーな方法が正なのであれば、映画界の今後は男性優位を覆すだけで無く、女性優位主義的な方向に進む可能性も否めないと感じたのが正直なところ。真に向き合うべき問題を見据え、女性解放運動を真摯に取り扱う意識があるのか私には分かりませんでした。
『アラジン』は富や権力の様な上辺の誘惑に負ける事無く、自分らしく居る事を教訓にした映画ですが、このメッセージも改めて伝える意図が分からない。オリジナルよりもインパクトフルでも無いし、新しい示唆があるのでも無い。色鮮やかなCGiを観るだけで満足ならば話は変わりますが、『アラジン』を観たいならレンタル店へ足を運ぶ事をお勧めします。
ストーリーが欠片もユニークでないとは言え、『アラジン』で特筆すべきエッセンスは大きく2点。
ジーニーとアラジンの友好関係がその1つ。ウィル・スミスとメナ・マスードの相性は悪くなく、アラジンがアリ王子として過去を捨ててジャスミンを欺き続ける事を仄めかすシーンで、二人の絆が真の友情である事を感じられて実に新鮮。アラジンの優しさや温かみが分かるシーンですが、それも束の間、数分するとアラジンは全てをジャスミンに打ち上げる事を決意します。既に述べた『アラジン』の教訓である富や権力に誘惑される事無く、自分らしくある事の難しさを表していますが、その葛藤も描き切れていない。ジーニーの解放に向けてビルドアップして行く二人の関係性は途中まで順調に進みますが、二人のスクリーンタイムが少ない為に惜しい辺りで横這いに。
ラストでアラジンは最後の願いを遣ってジーニーを自由にしますが、オリジナルの運びと同じだから一見納得するものの、その前提知識が無ければ少々アンチクライマクティックです。
もう1つはジャスミンのキャラクター。
石板に刻み込まれた古い仕来りを糾弾するフェミニストに留まらず、アグラバーを発展させるべく民に寄り添うリーダーとしての資質を持ち合わせた人物である事は確かですが、それも程無くして何処かへ。『スピーチレス』でスポットライトを浴びた刹那、オリジナルとは異なるジャスミンの興味深い一面はジーニーのランプに封印されてしまったらしい。メッセージは明瞭なので、日和見的に捩じ込むのでは無くてジャスミンにフォーカスしたストーリー展開であれば真摯でパワフルに鳴り響いたかも知れません。
出典:”Aladdin(2019) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
『ジャングル・ブック』(2016年)や『マレフィセント』(2014年)の様に時代を越えて愛されるクラシカルな物語を別の視点からアプローチする契機となったであろうジャスミンのパーソナリティは事実蔑ろにされてしまう。結果、アラジンの物語は1992年のオリジナルがメインで、『アラジン』は飽く迄もその補足的なサイドストーリーとでも言うべき価値しか持ちません。
ただ、不満足ながら『アラジン』のキャストが愉快に各々の役柄を演じている様子だけは幸いです。
メナ・マスードは時折揺らめいて不安定な瞬間も屡々見られるものの、チャーミングなアラジンを演じる事をエンジョイしている様ですし、ロビン・ウィリアムズに比べてしまうのは酷ですが、・ウィル・スミスも全力で青い魔神に化けていてエンターテイニングなキャラクターである事は否めない。ジーニーとしては悲しい哉、物真似芸人の域を出ませんがスミスも心底愉しんで居る様子。
脚本に従ってウィリアムズのジーニーを再現している瞬間を除くと、空いたスペースにはスミス独自のアプローチが光るものの、そのスペースは惜しい事に窮屈で僅か。その為か、筆舌に尽し難いと言えるパフォーマンスには至らず、映画のコンテンツとは乖離して空気が抜けた風船の様に萎えてしまう。共演者の面々、特にマスードは1992年のアラジンが世に植え付けたアイコニックな台詞や場面を再演する事に縛られ、演技の幅が限定されてしまっています。釘の様に有無を言わさず打ち込まれた燃え盛るフェミニズムを取り去ると、ジャスミンを演じるナオミ・スコットも同じ船の乗客。
出典:”Aladdin(2019) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
『アラジン』のキャスト陣が放つパフォーマンスで一見に値するのは、意外にもジャファーに扮するマーワン・ケンザリのアプローチ。アグラバーのスラムで育った手癖の悪いアラジンと同じく、貧困の深淵で苦しんだバックストーリーは上手く二人を対比させる興味深いポイント。手段を選ばないとは言え、国務大臣の地位まで下剋上を果たしたジャファーはヴィランと称するよりも、ヒーローであるアラジンと原点を共にしたアンチヒーローに近い。しかし脚本に定められた命運からは逃れられず、既視感の強いラストのシーンで少年少女を震え上がらせる邪気を纏った怪物に成り下がってしまう事は実に口惜しい。
実写化にあたってポテンシャルに満ちたキャスト陣とアイディアが蔑ろにされてしまった感覚は拭えず、鑑賞後は複雑な空虚感に見舞われました。
『ホール・ニュー・ワールド』がタイトルに反して何もニューで無い事は既に述べましたが、映像を構成するカメラワークや演出も千篇一律。
オープニングは『アラビアン・ナイト』の調に乗せられてアグラバーの街中をカメラが駆け巡りますが、CGiのパッチワークが目立ちますし、ジャスミンとアラジンがタッグを組んで衛兵から逃げるシーンもスタントよりCGiが活躍していて無機質で不自然な瞬間を無視出来ません。ジーニーの下半身にもCGiがヘビーに使われていますが、忙しくなく動き回った後に残る星屑の様な光の尾も不思議と二束三文のクォリティ。ストーリーが殆ど相違無いにも関わらず1992年の『アラジン』に比べて30分以上長い2時間を超えるランタイムは、オーバーなCGiが生み出す幻影と併せて、決して安価とは言えない鑑賞料への言い訳の様にも思えます。
出典:”Aladdin(2019) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
視覚効果やランタイムよりも、オリジナリティや現代の社会問題へ思考を注いで欲しかった。
『アラジン』を観て不満を特に感じなかったのであれば、それは恐らく内容がオリジナルを殆ど模倣しているから、当時の作品を再鑑賞しているのに実写と言うだけで異なる映画の様に錯覚しているからだろうと思います。目新しい映像美も無く、繰り返しになりますがリメイクする意義が無い焼き直しに過ぎません。
細かい事も言うと、CGiで仮初めのマグニフィセントで綺羅びやかな世界を演出する事に躍起になり過ぎてか、キャストのコスチュームやセットの品質は軽く見られてしまった様で大掛かりなコスプレに類同する印象を受けました。スラムに佇む半壊した建物の最上部に住み着いた一文無しの青年とは思えない、クリーンなアラジンの服装が最も顕著。砂埃が舞うアグラバーの市場へ大胆にも白いシャツを着ていますが、隣に立てば柔軟剤の香りが漂いそうな程清潔に見えます。実写にも関わらず、中途半端なリアリズムが垣間見えるチープなクォリティが全体的に気になったまま劇場を後にしましたが、考えてみるとこうしたディテールへの配慮不足が散見された事も原因の一端でした。差し詰め、リアリティは20年前に公開された『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999年)に劣るとも勝らない程度です。
映画に求める事は十人十色ですが、『アラジン』は誰が何を求めて鑑賞すべきか良く分からない作品でした。『アラジン』の観どころを挙げると、結局はオリジナルから拝借した場面が多く、横並びにすると見劣りしてしまうので上映期間中のみ大スクリーンで観られる点を除いて観る理由が特に無い。ティーザーの様に『スピーチレス』を歌わせて半端で一方的なフェミニズムを匂わせる事はせず、『アラジン』では無くて『ジャスミン』と題した映画をリメイクした方が余程ファンが愛したディズニーなのでは無いだろうか。
この映画を観られるサイト
『アラジン』は全国の劇場で公開中!ディズニーの熱狂的ファンが多い日本なので、公開1週間以上経っても席は直ぐ埋まってしまいます。
鑑賞される方は予めネット予約をお早めに!
まとめ
『アラジン』はオリジナルにくっつき過ぎて、その恩恵を受けつつも火傷もしている作品。
総じてファミリーや子供向けのクォリティで、批判に備えて義務的にフェミニズムを謳う防御壁を含めつつ、空虚で自己満足的なメッセージしか伝えられていない。ジャスミンに限らず、各キャラクターの奥底や関係性を掘り下げる事無く、実写化リメイクのブームに則って勢いで生まれた映画としか思えませんでした。
ジーニーの見せ場は確かにありましたし、マスードのコミカルな一面が光る瞬間もあったので、一層勿体無い。引き出せるポテンシャルは随所に散見されたのに、ファンサービスの方がスタジオとしてもリッチー監督としても優先事項だった様子で落胆を禁じ得ない。様々なディズニー作品が今後も実写化の時を待っていますが、既に聴いた話を繰り返し、上辺だけのビジュアルやメッセージに固執する事無く、クリエイティビティが最大の武器であるディズニーらしさを取り戻して欲しいと思います。