セッションで流した血と涙の先には、栄光のドラマーライフか崩壊した精神か

セッション


監督:デイミアン・チャゼル
出演:マイルズ・テラー、J.K.シモンズ、メリッサ・ベノイスト 他
言語:英語
リリース年:2014
評価★★★★★★★★☆☆



~”アーティストに必要な不屈の精神をこれでもかとぶつけてくるヒューマンドラマ作品”~
~”日本でも社会問題化しているパワハラや指導者の暴力について改めて考えさせられる映画”~

 もくじ


 あらすじ


アメリカ最高峰のシェッファー音楽学校のドラマー、アンドリュー
偉大なドラマーを目指す彼は、学内屈指の指揮者テレンス・フレッチャーのスタジオバンドに憧れていた
ある日フレッチャーに抜擢され、バンド練習に誘われたアンドリュー
有頂天になるも、練習中にテンポがズレると椅子を投げつけられ・・・
アンドリューの精神も肉体も次第に追い詰められていく―


 レビュー

メロディックではないけど、バンドのコアとなるリズムを司るドラムス。

テンポやアクセントが崩れようものなら、バンド全体が道連れになりかねない音楽の心臓な様な役割を担っています。

そんな重責を抱えて必死に演奏していたら、指揮者から突然イスを全力で投げられるなんてどんな気持ちになるか。

偉大なドラマーになりたい一心で何が飛んで来ても歯を食いしばって健気に頑張り続けるアンドリューと、ミステリアスで容赦ないやり過ぎサイコメンター、フレッチャー。
拷問に近いフレッチャーの指導を観てると、大きく2つの疑問が脳裏をよぎります。

アンドリューはいつかこの悪魔的な師に微笑んでもらえるのか。
何より、そんな残忍な人間に認められた先には何が待っているのか。

これがセッション”のシーンの一つ一つを、記憶に刻み込んでくれる理由なんじゃないかと思います。


緊張した面持ちで演奏するアンドリュー

スカイ君
ラストはとっとくぜ!ネタバレなしだ

「さぁ答えろ、お前のテンポは速すぎるのか遅すぎるのか?」高校時代にジャズバンドに入っていたのですが、幸いにもフレッチャー程厳しい指揮者ではなかったものの、メンバーの前で公開処刑される事は度々ありました。演奏が止まり、静かな練習室の中、名指しで「ドラムス、ここ4小節演奏してみて」と言われて「速すぎる!もう一回!」と怒られる緊張感。

そんな高校時代を思い出して懐かしさに浸っているのも束の間、”私のバンドをわざと邪魔してる様なら、お前をクソブタの様にファックしてやる”なんて台詞が聞こえてくる。

怒られてもさすがにこれは言われた事ないな・・・
”のだめカンタービレ”の千秋先輩が大天使に見える。

でもそれがフレッチャー。このインパクトこそが彼というキャラクターを放っておけない理由であり、
二転三転するアンドリューへのエニグマティックな態度が観ている人間を刺激してやみません。

尊敬か畏怖か

アンドリューの事をどう思っているのか。
アンドリューに光る何かを感じて、フレッチャーなりに偉大なドラマーに導いているのか。
そう見せかけて、このサイコな指導者は怯える学生をただいたぶって愉しんでいるのか。

アンドリューと一緒にずっと悩みに悩み、フレッチャーのバンドにこだわり、彼に付いていく事が正しいのか
他の道を探した方が自分の為なのか、ここで諦めたら試合終了なのか観ていて悶々とします。

稀にフレッチャーが見せる微かな笑みと”よくやった”という褒め言葉は皮肉なのか、本心なのか。


フレッチャーから飛んでくるのは怒号だけじゃない

冒頭で勇気を振り絞り、ぎこちなくも微笑ましいデートに誘い出したニコールとやっと付き合えたと言うのに
彼女をバッサリと捨ててまでバンド練習に打ち込むアンドリューを見ていれば、彼にとって音楽学校の世界が全てになっていく様子が見て取れます。
プライドとガッツはしっかりとあるがために、フレッチャーに追従し続けようと躍起になっている様にも見えます。

そこまで頑張らないとバディ・リッチの様な歴史に名を刻む様なドラマーになれないのか。


拳が血まみれでも悔しさからスネアを叩き壊すアンドリュー

 

上手いのは、アンドリューのお父さんがフレッチャーとは全くのあべこべと言える人間だから。
アンドリューを心配し、どんな状況でも心から彼を愛している穏やかそうなお父さん。
フレッチャーってただのサディスティックなサイコ野郎なんじゃ・・・

アンドリュー、逃げて・・・

それにしても、J.K.シモンズ演じるフレッチャーは本当に怖い。
こんなの学生じゃなくてもチビるよ。

リアルな演技じゃない、リアルなんだよ

二度目の”のだめカンタービレ”ネタですが、玉木宏や上野樹里の様にリアルな演技を観ているわけじゃないのがこの映画の特徴と醍醐味でもあります。

アンドリューに扮するマイルズ・テラー自身がドラムプレイヤーという事もあり、本作では彼が本当に演奏ています。
フレッチャーに罵倒されて泣きそうな顔をしているシーンを除いて、彼はアンドリューではなく、テラーとして、演奏者として音楽にうっとりとした表情を見せてくれます。


ラストで演奏する”Whiplash”で圧巻のソロを魅せてくれるテラー

スクリーンを超えてくるのはフレッチャーが放つ恐怖政治的なオーラだけでなく、自然と体がノッちゃうジャズなフィーリングも観ている者に感染り易い。
スピーディなナンバー、”Whiplash”(映画の原題でもあり、アンドリューがドラマーとして演奏する曲名)を演奏するシーンではカメラワークも素晴らしい。

曲調にマッチしてカットがパッパッパッと変わり、音楽を空間的に表現してくれている事で、映像と併せて聴くと”Whiplash”のスピード感がよく伝わります。

ジャズに体を揺らしている間も、居心地が悪いフレッチャーのヴェンパイアの様な眼差しは付き纏うけどね。

人は嬲る事で限界を超え、偉大になるのか

冒頭でも少し述べた疑問。

”セッション”では、監督なりの答えらしい答えは教えてくれません。
ラストまでフレッチャーのミステリアスな意図は分からないままで、アンドリューが”Whiplash”を演奏しきった後にどうなったのかも闇の中です。

オリンピックの金メダリスト、世界的なミュージシャンは天才ばかりでなく血の滲む様な壮絶なトレーニングを重ねて登り詰めたケースも考えると、確かに崖っぷちまで肉体と精神を追い詰める事で得られる栄光もある事は分かるけど。
裏を返せば、復活できないくらいに精神を折ったり、壊したりしてしまう事もありそう。

一見するとチャゼル監督はフレッチャーの拷問メソッドこそがアンドリューの限界突破、その先の栄光に繋がるものだと主張している様に見えかねませんが多分、メッセージはもう少しふわっとしていると思うんですよね。

監督自身もきっと無茶な鍛錬が全てだとは言っていないし、それが正解かどうかも分からない。
大学時代の卒業制作だった”Guy and Madeline on a Park Bench”で主人公が崖っぷちに追い詰められた時、寂しくも決して上手いとは言えないトランペットソロを演奏するシーンがあります。
上手くない演奏を単に”ヘタクソ”で片付ける事は簡単ですが、それよりもそれが表す事は”限界への挑戦”。


アーティストたるもの、日々新たな挑戦を忘れるべからずか

自分にはできない。
だけど、やってみるし、できないからと言ってそこで止めない。

その精神こそがレベルアップさせてくれるエッセンスだと言いたいのではないかなと感じました。

その不屈の精神というか、挑戦し続けるメンタリティが重要でフレッチャーの様に極端なモンスターはあくまでもそのポイントを際立たせる為の存在。
映画的にね。

映画監督というアーティストとしても、芸術家は日々火の鳥の様に己を燃やし、灰の様に崩れ去り、その灰の中からパワーアップして再生する事を描きたかったんだとするととても共感できるし、良く出来た作品だなと思います。
アンドリューの様に目の前のドラムを叩き続け、血を流し続ける事で少しずつ人は成長して行くと思うと明日も頑張ろうと言う気になる映画でした。


 この映画を観られるサイト


HuluやU-NEXTなどで絶賛配信中のセッション、初回利用者は無料体験期間がありますので他にも色々な映画、ドラマを観て休日を過ごしては如何でしょうか。
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 まとめ

名作と言って良い映画だと思います。

フレッチャーのやり方がむちゃくちゃで指導者として適切でないというツッコミがごもっともではありつつ、この映画の本質はそこではないんだろうと思います。何かにこれでもかと打ち込む力と、その姿は自分の胸の内に何かを目覚めさせてくれるはず。

最近やる気が出ないというか、熱意が出ないなという人、インスパイアされる何かを探している人や音楽好きにお勧め!

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