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TENET テネット
監督:クリストファー・ノーラン
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ディンプル・カパディア、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー、ヒメーシュ・パテル、クレマンス・ポエジー 他
言語:英語
リリース年:2020
評価:★★★★★★★★☆☆
Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures『参照:https://www.wall.alphacoders.com』
もくじ
『TENET テネット』の主な登場人物
『TENET テネット』の主人公だが名前を呼ばれることも、偽名を含め名乗る場面も一切なく、アメリカ人である事だけが判明している。公式にも姓名は明らかになっていない。CIAの工作員だが人類破滅を防ぐ為にTENETにリクルートされ、未来の人類との闘いに挑む。
オペラでハウスでの任務で観客を巻き込んだ爆破を見て見ぬふりが出来ずに爆弾回収を行ったり、キャサリン・“キャット”・バートンに同情してセイターから解放させる事に協力的だったりと、寡黙だが正義感が強い。ニールの運命を知った時には涙を流すなど、慈愛心もある。
尚、TENETの創立者である事が最後に明かされる。
Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures『参照:https://www.imdb.com』
名も無き男の協力者。クールで読めないところがあるが、オスロ空港での火災を起こすための陽動もジャンボジェット機をフリーポートへ激突させるなど大胆な行動をしばしば取る。物理学の修士号を持っているらしく、頭脳明晰で本作の時間逆行の仕組みも深く理解している様子。ロックの解錠が得意な様で、任務でも活かされている。
登場から、名も無き男を良く知っているかの様な描写が見られ、劇中で取り乱した名も無き男からセイターと通じているスパイなのではと疑われた。終盤で、TENETによる”挟撃作戦”中にピンチに陥った主人公を救うために逆行チームから離脱して順行し、命を懸けて主人公を救う。
Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures『参照:https://www.imdb.com』
長身の女性で、ロンドンで絵画の鑑定士をしているアンドレイ・セイターの妻。セイターから暴力的な仕打ちを受けるも、息子を人質に取られて逃げ出せずにいる。逆行したセイターの手で銃撃され重傷を負うが、主人公達の機転により無事回復し、挟撃作戦中にセイターの足止めすべく過去へと逆行する。
しかしセイターの挑発的な発言から過去の因縁が甦り、怒りに任せて彼を殺害してしまう。
Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures『参照:https://www.imdb.com』
在英ロシア人の大富豪で表向きには天然ガスで富を築いたとされるも、正体は銃器を売り捌く武器商人。ソ連の核保有施設からの放射能漏れ事故で廃墟と化した街スタルスク12の出身。冷徹で残忍な性格。
若かりし日に事故後の爆心地でプルトニウムを採掘する仕事をしていたが、未来人から過去に送られてきた「大量の金塊」と「隠されたアルゴリズムを探し出す契約書」を見付けて以来、未来人の計略に協力しつつ報酬の金塊を受け取る事で現在の地位を得た。但し大量の放射線を浴び続けた結果、末期の膵臓癌を患っている。
Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures『参照:https://www.imdb.com』
『TENET テネット』本編の解説
時間が逆行する仕組み
『TENET テネット』の世界では大前提として、時間の逆行が可能となっている。ただ、一口に時間の逆行と言っても『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)の様にタイムマシンで過去や未来を行き来するよりはいくらか複雑だ。
『TENET テネット』では時間を逆行させる仕組みとして、エントロピーの逆行がカギになっている。つまり、エントロピーをの流れが時間と連動している事を前提に、エントロピーをの流れを変える事で副次的に時間の流れも変わり、未来ではエントロピーの逆行を可能にする技術が発展し、実用化されたとの事だ。
エントロピーとは?
ドイツの理論物理学者ルドルフ・クラウジウスが提唱した概念的な物理量の1つ。小難しい事を言うと、エントロピーの定義には複数の表現方法があるが熱を用いた定義を紹介すると”温度Tの物体に熱ΔQを加えるとその物体のエントロピーSはΔS=ΔQ/Tだけ増減する”となる。熱(エネルギー)を温度で割り算するという非直感的な概念な上、厳密にはエントロピーの差を求めている様に見える数式なので、初見だと混乱しかねないが、乱暴に言えばエントロピーとは”ランダム度合”を図る指標と思って頂ければ良いだろう。
物体(リンゴでも水でも何でも良い)の考え得る微視的な(要は超微細な分子やら原子の並びや散らばり方)状態のパターン数、とでも言えば良いだろうか。例えば、コップに水を入れた時、人の目からはコップの中に納まった円筒形をしているので”状態”としては1パターンしか無い様に見える。円筒形のコップの中で水がボールになったり、立方体の形を取る事は地球上では有り得ないが、水を拡大した水分子を見てみるとある程度自由に動き回っている(水に花粉を置いてみると、風が吹かなくても水分子が当たる事で花粉が動き回る様子が見られる)。分子が絶えず動き回るという事は、分子のランダムな並びが何パターンも考えられるという事になるのだ。
一方、同じ水でも凍らせるとご存知の通り固い氷となる。氷の状態では水分子が規則正しく並び、エネルギーを失っているので水の時の様に動き回れない。つまり、分子の状態としては配列が変わらず、ランダムに何パターンもの並び方を取る事が出来なくなる。水と氷で言えば、水はエントロピーが高い(ランダム性が高い)、氷はエントロピーが低い(ランダム性が低い)と表現される。
世の中、考えてみるとエントロピーは増える方向にあって自然に減る事はない(熱力学第二法則)。割れたガラスが自然に元に戻らない様に、ランダム性や散らかり具合は増大する一方で規則的で”片付いた”状況を生み出すには、何等か手を加える必要がある。つまり自然界では時間の経過と主にエントロピーは増大する、エネルギーの観点から言うと平衡状態(熱い物と冷たい物が同一の温度になる様に、バランスが取れた状態)へ向かう事となるのだ。
冷蔵庫の様に閉じた環境下など一定条件を満たせばエントロピーを人工的に減らす(厳密にはエネルギーと同じでエントロピーが減る事はなく、単に別の何かに移動させる)装置は既に実在しているので、それ自体は不可能ではない。
しかし残念ながら、冷蔵庫に籠っても時間が逆行する事はおろか、遅延する事すらない事からも明らかな通り(ちなみに試さないで欲しい)、『TENET テネット』が大前提としているエントロピーと時間の連動性に理論的な誤りがある(少なくとも現代の物理学の理論によれば有り得ない)のだが、『TENET テネット』の世界観の一部として受け入れる必要があるだろう。
『TENET テネット』ではエントロピー(ランダム性)と時間は同じ概念なので、エントロピーを逆行させると時間も逆行する仕組みになっている
逆行弾が致命傷になる理由
逆行世界の銃弾に関しては、エントロピーの逆行を可能にしている技術と関連する特殊な放射性物質の影響(放射能)で死に至る説が1つ。キャットが逆行弾で銃撃された直後、ニールがキャットを逆行世界へ移す事で放射能の影響を安定させる事を提案した事から、放射能が関係していると考えられたものと推測されるが、逆行弾が致命傷とされる理由はもう1つ考えられる。
『TENET テネット』ではエントロピーを逆行させる事で時間を逆行させる事が出来るが、時間の経過と共に(順行か逆行かは時間軸の方角に過ぎず、”時間が経過する”事に変わりはない事に注意)自然にエントロピーが増大する法則は変わらない。名もなき男がカーチェイスの末に炎上した車内で火傷をするはずが逆に低体温症となった理由は、彼が逆行世界で活動した為、炎上する車内のエントロピーも逆行しており、順行世界の解釈ではエントロピーが高い状態から低い状態へと遷移した為だ。
エントロピーが高い状態とは(周囲の環境に合わせて)氷が水に、水が水蒸気へと変化する様に物体のエネルギーが平衡状態に向かった状態だった事を思い出して欲しい。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
通常は爆発した車を取り巻く環境は低いエントロピーを持ち、時間が経過する(炎上が続く)と炎の熱が広がって空気分子や車に伝わってエントロピーは増大しつつ、炎は小さくなって温度は低く(冷たく)なる。つまり、爆発は高いエネルギー(熱)を失って冷たくなる事でエントロピーを増大させると云う事だ。
しかし、逆行世界では爆発は冷たい状態から熱を吸収して時間と共に熱くなる。これは、エントロピーが増大する事とは、エネルギーが平衡状態へ向かう事ではなく、逆にエネルギーが不均衡でアンバランスな状態を指す為だ。即ち、エントロピーの定義が順行世界と逆行している為に、爆発が次第に熱を吸収する(逆行世界でのエントロピー増大)と云った現象が発生してしまう事を意味する。
それでは、銃弾に置き換えて考えてみよう。
通常の銃弾が順行世界で発射された場合、銃弾は高温の状態で前方へ進みながら徐々に熱を失って冷めていく。一方で逆行弾(逆行世界へ持ち込まれた拳銃に込められた銃弾)が逆行世界で発射された場合、エネルギーの不均衡がエントロピーを増大させる事になり、銃弾は低温の状態で前方へ進みながら徐々に熱を吸収して熱くなる。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
しかし、順行世界のキャサリン・“キャット”・バートンが逆行世界のアンドレイ・セイターに撃ち込まれた逆行弾は(観測しているのは順行世界に居るキャットと名もなき男)、逆行世界でエントロピーを増大させる為、冷たい状態の銃弾が銃口へ戻りつつ失った熱を吸収しながらキャットの体を撃ち抜く事になる。
逆行世界が順行世界と交わった場合の物理法則とその考え方は『TENET テネット』で明言されていないが、逆行弾に触れられた順行世界の物体は逆行世界のエントロピーの法則に従う事となる為、キャットの傷口(逆行弾が触れた部分)は時間の経過と共に回復するのではなく、通常とは逆の意味でエントロピーを増大させて、現象としては傷口が開いて悪化すると想定されるのだ。
つまりキャットが順行世界に存在する限り傷が拡がる為、ターンスタイルを通って逆行世界へ移動させる事で傷の回復を可能にする必要が出てくる。
『TENET テネット』では一見すると逆行弾が通常の弾丸に比べて高い殺傷性を持つかの様に描かれるが、厳密には順行世界で逆行弾に撃たれる、または逆行世界で通常の弾丸に撃たれた場合はいずれも致命的となる事が推察される。
『TENET テネット』では自分と逆側にいる世界の人物や物体に傷を負わされると、作品のエントロピーの考え方に従って傷は時間と共に悪化する
逆行世界と順行世界の関係性
ここでもう1つ、前提になっていると考えられるのが多元宇宙論の考え方だ。
物理学の専門家の間でも時空間の理解に対しては諸説あると言われていて、ブロック・ユニバースの考え方と量子力学の考え方が提唱する多元宇宙論とが大きくある。前者は平たく言うと、時空はレゴの様にブロックで構成された1つの塊が特定の初期条件を基にして既に決定づけられた単一の未来に向かっており、ロマンティストな言い方をすれば全て唯一無二の運命が待っていると云う考え方だ。全ての現象には因果性があって辿り続ければ宇宙が始まった瞬間の分子の配列や動いている方角やエネルギーの量など全ての情報をインプットとして、未来の現象を予測出来る(言い換えると、未来は決まっている)と考える理論である。
後者は『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)の考察記事でも解説したエヴェレットの多世界解釈を含む考え方で、ブロック・ユニバースとは真逆の理論と言えよう。基本的には数え切れない程の現実の”枝”が存在していると唱える理論で、これに従うとこの瞬間も『TENET テネット』を観た私と観た事がない私が別々の”世界”に並行して存在している事になるのだ。この世界では『TENET テネット』を観た私が存在する事が確認されているので、観た私が存在する世界の1つと云う事になる。一方で、『TENET テネット』を観ていない私や、映画ブログすら開設していない運命を辿った私も存在していると考えられる。
但し、実はブロック・ユニバースの考え方は物理学的に成立しないとされている理由がある。
それが説明にて述べた、インプットとなる情報量の多さだ。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
未来が一定で正確に存在する為には、歯車が正確に作用する機械式時計よろしく全てが繋がっていて、どの歯車がどの歯車にどの様に作用するかが明確である必要がある。つまり、歯車の数、位置、大きさなどの初期条件が定められている状態と云う事だ。ブロック・ユニバースが成立するには、機械式時計で言う歯車に代わって全ての分子がどの方向にどの様な速さで動いているのかが予め定まっていなければならない。
しかし、単位空間あたりに詰め込める情報量には限界がある。例えば1立方メートルの空間に存在できる空気分子の数には上限値があり、一定量を超えると物理的に溢れ返ってしまう事は想像がつくだろう。200mlのコップに1Lの水はどうやっても入らない様な具合だ。
存在し得る莫大な空間を以てしても、ブロック・ユニバースを成立させる為の情報量は到底詰め込み切れず、破綻してしまうとの計算結果が出ているそうだ。
そして『TENET テネット』に於いて、仮に多元宇宙論が正しいとしても問題は分岐が無限に発生するとした時に、分岐の当事者または物体が同時に存在し得るとしている点だ。考え得る全ての事象が無限に組み合わさる事で生じる無限に分岐した世界が存在しているので、一時的としても同一人物が同じ分岐に存在する事は理論上は有り得ない。『TENET テネット』では同時刻に同じ人物が同時に存在しているシーンが度々登場するのだが、現在知られているいずれの理論を以てしても現象としては起こり得ないので(重箱の隅を突く様な見方だが、それが解説や考察の面白さでもあるだろう)この点も理屈としては誤りだ。
我々が期待する様なタイムトラベルが、現実では難しい所以である。
『TENET テネット』は実際の量子力学的な解釈に基づいた世界を前提としているが、実際の理論を忠実に表しているものではない
逆行世界で酸素マスクがないと死ぬ理由
逆行世界では必ず酸素マスクの着用が必要で、酸素の供給が底を尽きると死ぬ事になっている。『TENET テネット』では逆行世界の酸素分子は肺胞を通過して体内に取り込まれない為と簡潔に説明されているが、これだけでは釈然としないのでもう一歩踏み込んで考察を加えてみよう。
順行世界では酸素を吸入して二酸化炭素を吐き出すが、逆行世界では二酸化炭素を吸入して吐き出してしまう為、吸い込む空気の酸素濃度を極度に上げないと二酸化炭素ばかり体内に取り込んで死亡してしまうと考えられる。つまり、逆行世界ではこれまで吸った息を吐き出して、吐き出した息を吸い込む事となるので常に酸素を身体に供給し続ける必要があるのではないか。
しかし、身体のメタボリズムを逆行させる事になるならば、呼吸器の他の様々な臓器の機能も逆行する事になるはずだ。気になるのは、そうした逆行の影響が身体機能の何処まで及ぶのかになるのだが、これも深堀りすると矛盾の壁に衝突してしまうのだろう。逆行世界で酸素マスクが必要ならば、恐らく肝臓は毒素を分解しているのではなく、身体中から毒素を集めて血中に放出している事になってしまうので何等か対応しなければ問題となる様にも思えるが何も対処はされていない様子だ。
また、逆行世界では(想定するに)目が見えなくなると考えられる。物体が反射した光を眼球が取り込む事で”見える”のだが、逆行世界では光が眼球から放出(厳密には吸い出されるイメージ)されて物体に当たり、光源へと戻るはず(銃弾と同じで、発射された光は逆行世界のエントロピーの法則に従って光源に戻ってエネルギーを集約させる)。逆行する事で視覚機能も逆行したとて、光を放つ事で視認する事は出来ないはずなのだ。
この点も解決しないと、逆行世界で人間の身体機能を以てして見る事は全く出来ない訳だが、ここも目を瞑って作品を楽しむ事にしよう。
『TENET テネット』の逆行世界では二酸化炭素を吸収させない為に酸素マスクが必要
反対世界の自分と接すると消滅する理由
逆行世界と順行世界の同一人物が物理的に触れ合うと消滅する事が『TENET テネット』では注意事項として挙げられている。これは反物質と物質が衝突する事で発生する対消滅と言われる現象に基づいており、反物質は現実世界にも存在しているし対消滅も実際に起こる。
対消滅って?
対消滅は物理的に逆の性質を持つ粒子(例えばマイナスの電荷とプラスの電荷)が衝突すると、その質量がエネルギーに変換され(質量が無くなり、実質的には消滅する)、光子となってγ線などの光線として観測される現象の事だ。感覚的には、粒子が消滅して無になる様なイメージである。
『TENET テネット』では反対の世界にいる自分に触れると、この対消滅が起こって人体がエネルギーに変換されて死ぬ事が示唆される。察するに、人体も砕いてみれば素粒子で構成されているので物理的に衝突すると反物質と物質の対消滅が生じると云う事だろう。
逆行世界と順行世界が互いに反物質同士となる根拠は、作中でニールがしたり顔で軽く触れたリチャード・ファインマンとジョン・ホイーラーの電子と陽電子に対する解釈がベースになっていると考えられるからだ。ファインマンとホイーラーはいずれも著名な物理学者だが、『TENET テネット』で採用されているアイディアはホイーラーが突然ファインマンに架けた電話に端緒を開いている。
理論上、全ての電子は同じ質量を持つ。ホイーラーはその理由が、世界に存在する全ての電子は全て同一の電子だからだと仮説を立てたのだ。驚く様な発想だが、この考え方を単一電子宇宙仮説と言う。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
厳密には全ての電子と陽電子(電子の反物質)は時間を前後に移動する単一の存在によって発生するものだと提唱しており、これが恐らくは『TENET テネット』で採用されたのだろう。単一電子宇宙仮説に基づいて順行する存在は電子を持ち、逆行する存在は陽電子を持つ前提が反対世界の同一人物との接触が対消滅を誘発すると云う注意事項に繋がったと予想できる。
しかし、この考えでは同一人物か否かに関わらず逆行と順行の世界に存在する物体は各々電子と陽電子、広義には物質と反物質を持つので相互に触れると対消滅を引き起こすはずだ。順行と逆行が相互に反物質の性質を有する事までは想像がつくものの、同一人物同士の接触だけが問題となる理由までは推測しかねるところだが、感覚的に分かり易い同一人物同士と云う設定にしたのかも知れない。
『TENET テネット』では単一電子宇宙仮説の考え方に基づいて、順行と逆行世界の物質は互いに反物質となるので接触すると対消滅が起こる
時間挟撃作戦とは
読んで字の如く、挟み撃ちを空間では無く、時間で行う作戦だ。
考え方としては、ある期間を時間の前後から同時に進行する事で物事の結果は変えられないが(厳密には原因に紐づく現象)、有利な様に進める事になる。前後から同時に体験を共有する事により、最短時間(順行と逆行が各々所要時間の半分を経る)で現象の全体を把握し、適切な行動へ繋げる事が出来ると云う事だ。これが時間を介した挟撃である。
『TENET テネット』で時間挟撃作戦が用いられたのは、主にセイターと名も無き男がアルゴリズムを奪い合うカーチェイスのシーンと、ラストのスタルスク12でのアルゴリズム救出作戦だが、いずれも順行と逆行側が同時に双方の思惑を遂行する為に相互の結果を逆手にとって行動している。
『TENET テネット』で順行と逆行の現象が同時に生じると混乱を来しかねないが、映像を逆再生していると思えばいくらか分かり易いだろう。逆再生しても、再生しても映像の中で起こる事に変更は無い。死んだ者は生き返るし、生きていた者は死ぬが、どちらにしても同じ人物である。結果は変わり得ないと云う事は念頭に置いて欲しい。
だが、予め起こる事を知っておく事で、起こる事態に参加はしつつも自分に有利な様に利益を得る事はできる。尚、この結果自体は順行時に既に起こった事だ。そうした意味では決定付けられた過去なのだ。結果と原因の関係性が順序として逆になっているに過ぎない。
セイターと名も無き男とのカーチェイスでは、セイターは順行した仲間からアルゴリズムの在処を聞き出す事で逆行時に横取りする事に成功している。但し、得る情報と自由意志が介在する人間の行動には注意する必要がある。順行と逆行と云う単語に惑わされ易いが、時間自体は一方向に進んでいるのだ。逆行しているからと言って、逆行者が若返る事は無い様に(別章で述べた様に本来ならばメタボリズムも逆行して若返ってもおかしくないが、『TENET テネット』ではそうならない事を呑む他ない)時間は前向きに進んでいる。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
だからこそ、スタルスク12の時間挟撃作戦では逆行側の人間はコンテナに匿われ、順行側の人間の目から離されていた。逆行側のチームに不足している人間が居れば、順行側で作戦遂行中に死亡したものと推察し、それを阻止すべく順行側が本来取るべきではない行動を取りかねないからだ。順行側が知りたいのは爆破ポイントであり、それが分かればその前提で作戦を立案する事ができる。その上で逆行側も作戦の結果通りに動き、挟撃行動を起こせるのだ。
実は『TENET テネット』自体が大規模な挟撃作戦であり、後述する様にニールはTENETによって送り込まれた未来の人間で作品が結果的に始まりと終わりを繋ぎ合わせる形で終わる。名も無き男は順行チーム、ニールは逆行チームとして本編を通じて動いているのだ。
ニールは全ての顛末を知っている未来の名も無き男に雇われたエージェントで、名も無き男に教わった過去の出来事を知った上で過去の名も無き男に接触し、必要な情報だけを伝えて未来のTENETに繋がる行動を起こさせる。無論、ニール自身もその流れの1ピースとして作戦に必要な行動を起こし、壮大な時間挟撃作戦を実現しているのである。
時間挟撃作戦とは、ある現象やイベントを未来と過去の情報を駆使して時間の前後から実行する事で有利な方向に動かす作戦
“未来人”の目的
そもそも『TENET テネット』のプロットは何なのか。
セイターと名も無き男は、何を目的に何故対立しているのか。
諸悪の根源は未来の人類(但し、彼らの目線では現代の人類)だ。彼らは、深刻な環境破壊の影響で地球が危機的状況に瀕した結果、環境破壊を引き起こした過去の人類(つまり原因)を抹消して地球の環境をリセットする事を目論んでいる。それを世界規模で可能にする方法こそが時間の逆行技術だ。
時間の逆行には放射線を放出する技術が関係している事が分かっており、『TENET テネット』で度々登場する”アルゴリズム”と呼称される物体は、大規模な(存在し得る銀河系を対象に)時間逆行を行う事を可能にするので、厳密に言うと先述したエントロピーも逆行させる事になる。
それが科学的にどの様な効果を齎すのかこそ『TENET テネット』では明言されていないが、この大規模なエントロピーの逆行が生じた場合、ニールの言葉では”End of play(ゲームオーバー)”となる様だ。
このゲームオーバーは即ち現代人の滅亡と言って差し支えない。『TENET テネット』ではアルゴリズムは9片の部品に分解可能で、全て揃えて組み立てなければ使えない仕組みになっており、開発した研究者は過去の滅亡計画に反対した為、アルゴリズムを過去(ニールと名も無き男が奮闘する現代)に隠して自殺を図ったが、アルゴリズムの一片をセイターが偶然発見した事が全ての始まりだ。回想シーンで描かれるスタルスク12での出来事である。
以来、セイターはアルゴリズムの完成を目論む未来の人類と取引をし、アルゴリズムの残り8片を探し出す事と引き換えに多額の報酬を金のインゴットとして受け取っているのだ。セイターは富に目が眩んで現代と未来を繋ぎ、隠されたアルゴリズムを未来の人類に届けている為、名も無き男と対峙していると云う事だ。
未来人は、甚大な環境破壊の影響を受けて何等かの危機に瀕しており、その原因となる現代人を抹殺して未来の危機を回避する事が目的
『TENET テネット』本編の考察
ニールの正体と運命は
スタルスク12での時間挟撃作戦を終え、名も無き男、ニール、アイヴスが各々奪還したアルゴリズムを解体して別れるシーンでは、奪還直前に窮地に追いやられた名も無き男を銃弾から庇って死亡した兵士はニールである事が判明する。ニールは順行と逆行を繰り返していて複雑なルートを通っているので、細かく文章で説明するのは余計に混乱しかねないが、推察も交えながらニールの足取りを追ってみよう。
登場シーンでニールが名も無き男の事を深く知っている様子は、その真意と背景の解釈が難しい。しかし、とある仮説を元にすると説明がつく。
ニールはキャットの息子であるマックスと同一人物だと考える説だ。名も無き男との『美しい友情関係』とは、(マックス/ニール目線で)幼少の頃に父親であるセイターを失った彼の人生に深く関わる事になったであろう、名も無き男と出会った事を指しているとすれば納得し易い。そして成人した後、物理学の修士号を取り、父セイターの正体と死の真実を知ったニールは名も無き男にリクルートされ、TENETに参与したと考えられる。
そして時間を逆行し、これから起こるセイターとの闘いに協力すべく『TENET テネット』の冒頭で名も無き男と合流する。当時の名も無き男の目線では初めての出会いとなるが、ニールは長年の間、親密な関係を築いた後となる。
だが、注意したいのは実際のニールの初登場はオープニングを飾るキーウのオペラハウスでの爆破事件である事だ。この時も名も無き男を窮地から救っているが、ラストで明らかになる様に同時並行してスタルスク12ではアルゴリズムを巡る時間挟撃作戦が進行しており、この時にキャットはセイターとヨットで対峙している。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
各シーンでマックスとニールがそれぞれ登場しているので、少なくとも4人のニールが既に同時に存在している事になるのだ。だが、ここは順行して進んでいるニールに絞って追う事にしてみよう。
オペラハウス以降の流れは幸いにもシンプルだ。ニールはそのまま名も無き男と顔合わせを果たし、プリヤの自宅に潜入する。そして時間挟撃作戦の1つであるカーチェイスに至るまでは、そのまま行動を共にしているのでニールの動きを把握するのはさして難しくないだろう。ニールが逆行するのは、逆行する銃弾に撃たれたキャットを救う為にオスロの空港でターンスタイルに入った時だ。
ここで絵画の保管庫に潜入した順行側の名も無き男と会っている。
キャットを救った後は、再び順行世界に戻るもののセイターを追うべくオペラハウスの事件があった日、つまりはセイターがヨットで過ごした日に戻る。この時に、スタルスク12での時間挟撃作戦を行う為にニールと名も無き男は別行動を取る。名も無き男が順行し、ニールは逆行したまま作戦に臨むのだ。
しかし、逆行しているニールはアルゴリズムを狙うセイターの一団が名も無き男を殺す罠を仕掛けている様子を目撃する。地面の空洞を爆破して、生き埋めにしようと企んでいたのだ。そこで順行側に一度戻り、名も無き男に罠の事を知らせようとするが、その試みは失敗に終わってしまい、名も無き男はそのままセイターが仕掛けた罠へと進んでしまうので、ジープを使って空洞が崩れる前に名も無き男を引きずりだし、寸でのところでアルゴリズムと彼を救い出すのだ。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
しかし、ニールには最後の任務があった。
それはアルゴリズムの保管場所だった地下の空洞で、名も無き男の為にゲートを開錠する事だ。このシーンは、順行側の名も無き男の目線描かれている為、死体だったTENETの兵士が立ち上がって扉を開錠した様に見えている。この死体がニールだ。このシーンで明らかになった通り、ニールは扉を開錠して名も無き男の身代わりとして銃弾を受け、死亡する事で彼のストーリーに終止符を打っている。
だが、もしニールとマックスが同一人物であると考えると、逆行して死に行く直前で彼が放った言葉には挨拶以上の意味が見えてくる。
これは、スタルスク12での時間挟撃作戦を終えた名も無き男がキャットと幼い自分に会いに行き、ニールの言う『美しい友情関係』の始まりに触れた別れの言葉なのだろう。そのまま順行して行く名も無き男の目線では、ニールとして終わりを迎え、マックスとして始まりを迎えるのだ。
カラーパレットにも物理学が
『TENET テネット』では順行と逆行が明確に色分けされていた事にお気付きだろうか
順行は赤で、逆行は青で示されているのだ。これは順行や逆行が入れ替わるシーンのライティングが最も顕著だが、キャットの鮮やかな紅のドレス・スーツなどキャラクターが着用している衣装からも読み取れる様になっている。
赤と青と云えば自然なペアリングの様に思えるし、視覚的にも視認し易い。だが、ノーラン監督の事だ。このチョイスにも一歩深い理由を疑ってみても良いだろう。ドップラー効果だ。
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ドップラー効果の例として救急車のサイレンが挙げられる事は最早定番と言っても良いだろう。多くの人に馴染みのある物理現象だが、これは近付いて来るサイレンの音と遠のくサイレンの音とで音程が違って聞こえると云うものだ。理屈の説明は至ってシンプルで、音源が常に移動している関係で音の周波数が相対的に変わってしまい、耳との位置関係によっては周波数が高くも低くもなるのだ。それで感覚的には音の高低が変わった様に聞こえる。
無論、救急車のサイレン以外のどの様な音でも音源がある程度の速度で移動していると同じ様な現象が起こる。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
『TENET テネット』の赤と青には、このドップラー効果が潜んでいるのだ。
音としてのドップラー効果以外にも、光としてのドップラー効果も知られている。ドップラー効果の本質は波である音の周波数が変わる事で説明されるが、光も波としての性質を兼ね備えている事はご存知の通りだ。つまり、光源が同じ様にある程度の速度で移動すると観測者が人間だった場合、近付いたり離れたりする事で周波数が異なる光を感知する事になる。
日本語では赤方偏移と青方偏移として知られている。近付く光源は波長が短くなって青く見え、遠のく光源は波長が長くなって赤く見える事に由来するが、これらの現象を観測し易い代表例としては天体が挙げられるだろう。惑星は特定の軌道に乗って空間を移動しているが、地球から観測した際に同じ天体でも遠のいている状態だと赤く見え、近付いている状態だと青く見えるのだ。
『TENET テネット』でも近付いて来ている(惑星の軌道をイメージすると、戻って来ている)逆行側が青く、遠のいて行く順行側を赤でシンボライズしているのである。
SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS
『TENET テネット』ではパリンドローム、日本語で言う回文に関係する名称が随所に登場する。
これは古代ローマの町として知られる、ヘルクラネウムの遺跡で発見されたSATORスクエアに由来している。これは5×5文字盤にSATOR AREPO TENET OPERA ROTASの文字が羅列された歴史的な遺物なのだが、その正確な意図は様々な説が提唱されたが謎めいている点も多い。
実物の盤に記された5つの言葉はラテン語で、AREPO以外は単語として解読されている。AREPOだけは孤語で、固有名詞であると推測されているが、結果的に1つの文章として意味が明確なものではない。ただ、特徴としては4つの対称性を持っていて右上から横向き、右上から下向き、左下から右向き、左下から上向きのいずれの読み方でも同じ文章になり、180度回転させても同じとなる不思議な盤なのだ。
宗教、特にキリスト教との関係や魔術的な意味も囁かれている。
出典:”Tenet(2020) ©Warner Bros. Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
SATORスクエアは『TENET テネット』自体が時間的な意味でのパリンドロームであり、起点と終点が一繋がりになっている事を象徴している。名も無き男の始まりが終わりへ、ニールの終わりが始まりへと繋がっている。作中の日付も月は不明だが、最初と最後のシーンはいずれも14日であり、まるで順行と逆行で一巡して元の場所へ戻ったかの様な演出となっている。
大富豪のセイター(SATOR)、贋作画家のアレポ(AREPO)、オープニングを飾るキーウのオペラ(OPERA)、美術品保管倉庫フリーポートを運営する事業者ロータス(ROTAS)、そして名も無き男の組織テネット(TENET)。全てがSATORスクエアと関連しており、回文が象徴する作品のコンセプトとも繋がっているのだ。
特にTENETとは、スタルスク12での10分間の時間挟撃作戦が順行(TEN)側と逆行(NET)側とで遂行されている事を表している名称だ。英語でTenetとは『宗教や哲学的の信条や原理の考え』も意味する単語なので、作中で組織としてのTENETと名も無き男の人類を救う信念を表現しているとも言えよう。
少し考えるだけで色々と深みと面白味が増して行くのがノーラン監督作品、『TENET テネット』の醍醐味だ。