マーベルズ
監督:ニア・ダコスタ
出演:ブリー・ラーソン、テヨナ・パリス、イマン・ヴェラーニ、ザウイ・アシュトン、サミュエル・L・ジャクソン、サーガル・シェイク、ゼノビア・シュロフ、モハン・カプール 他
言語:英語
リリース年:2023
評価:★★☆☆☆☆☆☆☆☆
The Marvels(2023) ©Walt Disney Studios Motion Pictures『参照:https://www.imdb.com』
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~”前作で大爆発した女性のエゴ、ポリティクスを取っ払ったら….あれ?もしかして何も残らない?”~
~”キャラクターは盛り沢山でも内容は薄いし魅力も無いし、多分そもそも派手なCG以外で楽しませる気が無いよね…と思わせる作品”~
もくじ
あらすじ
嘗てクリー帝国を統治していたA.I.『スプリーム・インテリジェンス』
しかしキャプテン・マーベルがスプリーム・インテリジェンスに反旗を翻し、
破壊してしまった事でクリー帝国は紛争と崩壊の運命を辿った
帝国の新たなリーダーとなったダー=ベンは、その再建を目論み
その為に紛争で失ったあらゆる資源を復活させる計略を企てる
ミズ・マーベルが持つ腕輪の片割れを手にしたダー=ベンは、
その力を利用して、様々な惑星から資源を奪取して行く
そしてその影響で引き寄せられたキャプテン・マーベル、
ミズ・マーベルとモニカ・ランボーは相互に空間上の位置を
入れ替わる事ができる不思議な力で繋がる事になる
3人は新たな繋がりを駆使して、ダー=ベンの陰謀に立ち向かうのだった
レビュー
『キャプテン・マーベル』(2019年)の続編となる『マーベルズ』は度重なる脚本の修正や再撮影の影響で、幾度となく公開日が延期となった作品だ。主演陣を固めるブリー・ラーソン、テヨナ・パリス、イマン・ヴェラーニを始めとして、撮影現場の裏舞台でも大小様々な諍いが囁かれ(特にキャロル・ダンヴァース / キャプテン・マーベルに扮するブリー・ラーソンが、続編にも係わらず単独主演作品とならない事に不満を呈したと報じられた)、風向きは良くなかったが2023年11月に遂に劇場デビューを果たした。
その惨たる品質や、表現に困る程である。
CGが生み出すアクションを大画面で楽しむと云う今や風味を絞り尽くされたガムを噛む様な娯楽に興じたいのならば、丁度良いだろう。派手な閃光や衣装に歓喜するならば、満足するはずだ。だが鑑賞中に脳細胞が1つでも稼働してしまう様ならば、お勧めは出来ない。
『マーベルズ』には幸いな事に、この世には『ポップコーン・ムービー』なる便利な表現があるが(ポップコーンを片手に気楽に観る作品の事)、ポップコーン・ムービーの殿堂に加えても良いと云うのが関の山である。
『マーベルズ』はキャロル・ダンヴァース / キャプテン・マーベル、モニカ・ランボー、カマラ・カーン / ミズ・マーベルの3者にスポットライトを当てた物語となっているが、ストーリーの内容さえもサランラップ以上に薄いので振り返る価値も無い様に感じるのが正直なところだ。
出典:”The Marvels(2023) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
『マーベルズ』は、クリー帝国を統治していた高性能A.I.『スプリーム・インテリジェンス』がキャプテン・マーベルによって破壊された事で、クリーの間で市民戦争が生じてしまった事に端緒を開く。
内戦によって帝国は水資源や恒星などのエネルギー源を失い、崩壊の一途を辿った。2023年にハリウッドの脚本家や俳優がストライキを起こして、映画製作への登用を強く反対したA.I.が破壊される事で文明が総崩れとなる筋書きは、何ともタイムリーで滑稽である。
クリー帝国の新たな統率者となったダー=ベン(演:ザウイ・アシュトン)は、スプリーム・インテリジェンスを破壊したキャプテン・マーベルを敵視し、クリー帝国の復活を目論んで他の惑星から失った資源を奪い取ろうとする。時空間に歪を生じさせ、ポータルを開いて次々と惑星を襲撃するダー=ベンだが、それを可能にしているのはミズ・マーベルが手にした腕輪の片割れが持つ力で、その力が使われた時にポータルに偶然接触したキャプテン・マーベル、モニカ、そして他方の腕輪を持つミズ・マーベルは相互に空間上で入れ替わる事ができる様になるのだった。
『マーベルズ』はそんなダー=ベンの計略を阻止すべく、3者が一体となって立ち向かう物語だ。
実に陳腐な内容なので、ここまで述べれば結末は言わずとも想像に難くないだろう。反A.I.に躍起の様だが、人間の脚本家に任せてこの筋書きではA.I.に書かせたくなるのも頷ける。自覚がある故に危機感を感じて大仰に反対しているのかも知れない。
ストーリー上のオリジナリティは皆無だ。月並なヒーロー映画のテンプレートに、キャプテン・マーベルやミズ・マーベルと云ったキャラクターを挿入したに過ぎない。
出典:”The Marvels(2023) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
監督が活動家としても知られるニア・ダコスタと報じられてから、『キャプテン・マーベル』を超えた女性の優位性を鏤めた作品を予想していたが驚く事に(昨今のディズニー作品としては異例と言っても良い)ポリティカルなメッセージは比較的トーンダウンされている。面白味に欠けたストーリーに輪を掛けて、顔を手で覆い隠したくなるDEIのくたびれた自己満足的で独断的なメッセージを塗りたくられずに済んだのは不幸中の幸いだ。
いよいよ映画作品に今までの様な形でDEIを押し込むと、多くのオーディエンスが受け付けない事をディズニーも認めざるを得ない段階に達しているのかも知れない。『キャプテン・マーベル』ではリードから解き放たれたドーベルマンの如く有無を言わせない勢いで語られた、抑圧から解放されれば女性は男性に勝ると云った自慰行為めいた主張が、拍手喝采を浴びる時代は過ぎた兆しが感じられる。
無論、キャプテン・マーベル、モニカ、ミズ・マーベルもヴィランであるダー=ベンも女性だが、ダー=ベンを除けばいずれも原作から女性のキャラクターであるし大スクリーンでタッグを組む発想には心躍るものがある。しかしアイディアの捻出に全力を要したのか、そのコンセプトをエンターテイニングな物語に落とし込めなかったのが実に悔やまれる。
アイディアのパイ投げ合戦跡地を歩き回っている様な気分にさせる映画で、残念極まりない。
『マーベルズ』の最大の問題は、ステージに登壇する主要キャラクターが多い事に反していずれも全く人物的な魅力を感じられない事だ。
共感し易い苦悩や葛藤があってそれを乗り越えて行く、つまり成長して行く様子を共に体験する事でスクリーン越しのキャラクターを介して、作品と繋がる事が出来る。そこに作品としての世界観と共にアクションや魔法と云った非日常的なエッセンスが巧みに織り込まれる事で、映画として観る者を引き込むのだ。
しかし、『マーベルズ』のセールス・ポイントはキャプテン・マーベル、モニカ、ミズ・マーベルが共闘し、ビームや魔法を放つ以上にキャラクターとして接し合い、混ざり合う事にあったのではないか。それが表層的な謳い文句に過ぎず、個々のキャラクターも相互のインタラクションも設計されていない様では肩透かしも甚だしい。
単に目立って話題になれば、何であれ構わないと云う事では無いはずだ。話題になる事だけが重視されるTikTokやInstagramの類が普及した以上、現代的な価値観に言わせればそうとも言い切れない可能性があるが。
出典:”The Marvels(2023) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
『マーベルズ』は、そうした犇めき合うインフルエンサーやオンライン・マーケティングの餌食になり易い層を狙うかの様な作りになっている。注意を引き易いポップなイメージや演出、そして話題性を練り合わせてマーケティングやCGに多額の費用を投じた事を感じさせるが、内容にはさして投資をしなかった様だ。
度重なる過度なハイプと、実際の質とのギャップに倦厭しているのは私だけだろうか。マーケティングの本質が如何に受け手の印象を操作して、効率良く且つ精度高く騙すかにあると改めて痛感させる例だ。
CGで表層的な刺激を与える事は、丹念に練られた筋書きや熟考された脚本を仕上げる事に比べれば容易い。だが、いい加減にプリティーな文言や画像に誑かされるケースは減って欲しいし、クリエイター側にも認識して貰いたい。
キャプテン・マーベル、モニカ、ミズ・マーベルの間には興味深い繋がりも無ければ、テーマ性も無い。強いて言えばミズ・マーベルがキャプテン・マーベルのファンであり、ドッグラン・デビューを果たした仔犬の様に終始尻尾を振りながら歓声を挙げている程度だ。それも始めは微笑ましいのだが、飽きが来るのも早い。
ミズ・マーベルに扮するイマン・ヴェラーニにはサムズ・アップを贈りたいが、彼女のチャーミングな演技だけでは一本足打法が過ぎる。それも弱い一本足打法だ。好感が持てる相棒の様なキャラクターは歓迎だが、やはりそれがメインと言うのは無理がある。
キャラクター間のダイナミクスを形取る輪郭の一部にはなるのだが、3者も扱う上では不足だ。
出典:”The Marvels(2023) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
キャプテン・マーベルとモニカの間に捻じ込まれた葛藤も不自然極まりないし、退屈だ。旧友であるキャプテン・マーベルが長らく地球に戻って来ず、モニカの元を訪れなかった事が問題となっている様だが、共感する理由は何処にも見当たらないし、気に留める理由も無い。そもそも両者の間に強い絆や友情があった事をオーディエンスは体感していないのに、唐突にこうした衝突を持ち込まれても反応に困るばかりである。
少なくとも劇場作品で成人したモニカとキャプテン・マーベルが邂逅するのは、本作が初めてのはずだ。そんな中で盛り込む様なサイド・ストーリーではないだろう。この諍いが解消したとて、改めて反応に戸惑うし、何たる感情も喚起されない上、寧ろ解消しなくとも気にならない。
そしてダー=ベンを演じたザウイ・アシュトンにも言及せずには居られない。
畏怖すべきヴィランとしてのカリスマも、同情や理解を寄せられる人間臭さ(作中では架空のクリー人とは言え)も無く、何より演技は観ていられない。監督のディレクションなのか、アシュトンとしてダー=ベンを解釈した結果なのかは判然としないが、演技と言えば眼球が零れんばかりに眼を見開いて隅に追いやられた犬の様に唸るだけなのだ。同じクリー人とは言え、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014年)に中心的なヴィランとして登場したロナン・ジ・アキューザーの二番煎じ(扱う武器までも同じだ)に過ぎず、印象にも残らない。
結果的には単純に3人の女性ヒーローがタッグを組んで悪と闘い、最後にX-メンの登場などMCUの拡張を宣伝するだけの広告塔に留まっている。
温かくもの冷たくも無い水道水を飲み干した様な気持ちだ。喉を掻き毟りたいほど渇いているならば有難いだろうが、そうでなければ美味しいとも不味いとも感じないだろう。強いて言うならば不味い方に寄るのではないか。
『マーベルズ』は中心となるキャラクターの成長機会も逃している上に、脚本の内容も実に味気ない。
ダコスタ監督は公開前に、『マーベルズ』をMCU作品の中でも特にコミカルで荒唐無稽な可笑しさ溢れる映画だと語っていたが、コメディの方向性が幼稚で、時には強引でさえある。『マーベルズ』に押し込まれたジョークの数々は、気まずいシチュエーションを作り笑いで誤魔化そうとする押売りに近しい雰囲気を滲ませている。
それもそのはずで、既に述べた通り『マーベルズ』は完成までに度々脚本の見直しやシーンの再撮影を多く挟んでいるのだ。
こうした事が起こると、制作初期の頃の筋書きに則って撮影されたシーンが後に見直された筋書きのシーンと矛盾する事は珍しくなく、修正の回数や期間が延びる程、完成した作品に無理が生じる。嘘は重ねる程に露呈してしまい易い様に、全体的な辻褄が合わなくなるのだ。
出典:”The Marvels(2023) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
人間であるミズ・マーベルがクリー人であるダー=ベンの事を知っているかの様なシーンがあるが、これもその類だろう。恐らく当初はミズ・マーベルがダー=ベンを知るシーンや発言があったのだろうが、修正を重ねる中でカットされてしまった可能性がある。それによってこうした不自然な瞬間が生じてしまい、収拾がつかないまま期限を迎え、急いた様子が見て取れる作品となってしまうのだ。
違和感と言えば、『マーベルズ』で描かれるキャプテン・マーベルの力も過去を帳消しにしたい様子でヴィランの陰謀を阻止する為にモニカ、ミズ・マーベルの協力を必要とした描写だ。半ば笑いが込み上げたポイントである。
『キャプテン・マーベル』を始め、以降MCU作品に登場する度に過剰と言える程に他者を圧倒する力を示して来たキャプテン・マーベルだが、当時は女性が本来は男性に勝る事を誇示する事を最優先とした故の設定だった。こうする事の最大のデメリットは完璧な存在は早々に飽きられ、キャラクターとしての魅力が一切拭い去られる事にある。
しかし、その事に気付いたのか『マーベルズ』ではモニカ、ミズ・マーベルとスワップが行われる現象を導入する事で強制的にキャプテン・マーベルの力に制限を掛け、実質的に弱体化させて3者が一体となって立ち向かう構図を作り、無理にモニカとの間に対立関係を差し込んだのだ。
失言を焦って撤回する政治家よろしく、結果的に逆走を始めた様子は作中のジョーク以上にコミカルである。クリプトナイト無きスーパーマンに仕立ててガールズ・パワーを声高に叫んで暴れた挙句、この期に及んで困り果てて量子もつれを理由に(MCUでは不可思議な現象は全て量子もつれが説明してくれる設定だ)キャプテン・マーベルに幾らか人間味を与えようと掌を返した事には、苦笑を禁じ得ない。
出典:”The Marvels(2023) ©Walt Disney Studios Motion Pictures”『参照:https://www.imdb.com』
モニカに至っては、能力も明確ではないし(制作陣も把握していないのではないかと疑う他ない)、それ故か作中で特筆すべき活躍をする事も無い。その点では、スワップも都合が良いタイミングで都合が良い場所で行われる様子が散見され、非常に稚拙な印象を受けた。
熟慮の形跡はなく、思い付きと勢いで筆を走らせた様な作品だ。
私としては、長らく憧れの的だったキャプテン・マーベルが実は何万にも及ぶ命が消える要因を引き起こした事を知り、理想と現実に悩むミズ・マーベルが次第に自身の信念や、自身への自信を深めて自立して行く様子を描いた方が作品にもキャラクターにも感情移入し易いし、各々の行く末を見届けたくなる理由にもなったと思う。
だが『マーベルズ』はそんな事よりも、全くストーリーに関係しないミュージカル・ナンバーに流行りのBTSメンバーを登場させるファンサービスの方に重要性を感じるらしい。どうにも私とは価値観が合わない様だ。
カオティックで支離滅裂な焼け野原めいた作品を、色彩豊かなCGのレーザーや火花と無味乾燥なジョークの数々で上塗りしたのが『マーベルズ』だ。観客があわよくばIQのツマミをゼロに回して楽しんでくれる事を期待した映画だろうが、私には残念ながら無理だった。
この映画を観られるサイト
『マーベルズ』は2023年11月10日より国内の劇場で公開されている。登場するキャラクターや俳優のファンならば、鑑賞しても良いかも知れない。(飽くまでもストーリー目線ではお勧めできないが)
まとめ
『マーベルズ』は驚く事に、直近のディズニー作品とは異なり、ポリティカルなアジェンダをスクリーンの中心には持って来ない作品だったが、如何せんストーリーにもキャラクターにも力が入っていない張子めいた作品に過ぎなかった。フェーズ4以降、それまでの10年間で積み上げたモメンタムは徐々に失速したが、『マーベルズ』は最後に残った勢いで世に送り出された印象を受ける。
根強いファンを除けば、ポジティブに捉える事は難しいだろう
イマン・ヴェラーニが登場人物に於いては救いと言えそうだが、対極的にモニカは印象に残らない上に何ら興味をそそられない。『ワンダヴィジョン』(2021年)で何処からともなく現れ、突如且つ偶然に説明がつかない理由で説明がつかない能力を得た結果、いつの間にかヒーローとしての位置付けでMCUの背景を漂い続けているし(本作では前面に出て来てはいるが)、性格も生い立ちも血の通った人間らしさを感じない。
前作の『キャプテン・マーベル』の50%にも満たない同時期比の公開興行成績を収めた本作は、ブリー・ラーソンがキャロル・ダンヴァース / キャプテン・マーベルを演じる最後の作品となるかも知れない。