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ミッドサマー
監督:アリ・アスター
出演:フローレンス・ピュー、ジャック・レイナー、ウィル・ポールター、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、ヴィルヘルム・ブロングレン、アーチー・マデクウィ、エローラ・トルキア 他
言語:英語
リリース年:2019
評価:★★★★★★★☆☆☆
Midsommar(2019) ©A24 『参照:https://www.wall.alphacoders.com』
もくじ
『ミッドサマー』の主な登場人物
アメリカの大学で心理学を学ぶ女子学生。双極性障害を患っていた妹のテリーが両親を道連れに一酸化炭素中毒で無理心中を行った一件で、深い心的トラウマを負う。パニック障害を持ち、家族を失った心的外傷に悩まされ続けるが、4年来の恋人であるクリスチャンを含め、そうした痛みを共有できる相手が居ない事に苦悩している。
『ミッドサマー』ではホルガのメイクイーンとして選ばれ、コミューンの一員となる。
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ダニーと同じ大学に通う大学生で、ダニーの恋人。内心では彼女の事が重荷となっており、別れたがっているが切り出せずにいる。更にダニーの家族が亡くなった為、彼女への同情心もあって益々関係の解消に踏み出せず、ホルガへも渋々同行させた。
院試を控えており、論文作成の題材が決まっていなかったが、ジョシュが思い付いたテーマに便乗する形で作成を進めようとするなど狡賢い面がある。ホルガでは『新しい血』を取り入れる為のコミューンの習わしにて対象者として選ばれ、薬物を盛られた影響で性の儀式にて村民の女性と肉体関係に及んでしまう。
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クリスチャンの友人で、論文のテーマにホルガの夏至祭を取り上げる為にコミューンを訪れる。コミューンの神聖な書物である『ルビ・ラダー』や村の至るところに刻まれているルーン文字に興味を持つ。
だが学術的興味が過ぎたせいで村民に殺害されてしまい、夏至祭の生贄の1人となってしまう
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クリスチャンの友人で、一行の中ではどちらかと云えば無教養な言動が目立つ。ペレの誘いに応じてホルガへ赴くのも、スウェーデンの美女とセックスしたいと云う下劣で幼稚な動機ゆえである。
コミューンでは図らずも神聖な木(死者を祀った倒木)に小便をしてしまい、悪びれる様子も無かった為、ホルガの人々の怒りを買ってしまう。その直後に行方不明となるが、マークの剥がれた顔の皮を被ったコミューンの者がジョシュを襲った事から、殺されて生贄の1人となった事が明らかになる。
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ホルガのコミューンに属する人物で、クリスチャンらとはスウェーデンからの留学生として関わっていた。幼少期に両親を火事で亡くしたと語っているが、その真偽や背景事情は定かではない。
目的は夏至祭に必要な生贄をコミューンに連れて来る事だが、ダニーに関しては想いを寄せているらしい挙動が見られ、彼女はメイクイーンにする事を考えて同行させたと思われる。生贄を誘い込んだ褒賞として、コミューンで権力ある地位を与えられるらしい。
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『ミッドサマー』本編の解説と考察
ストーリーのサマリー
『ミッドサマー』は『ヘレディタリー/継承』(2018年)で驚異的な成功を収めたアリ・アスター監督の2作目となる長編ホラー映画だ。『スウェーデンを題材としたホラー映画を製作して欲しい』との依頼を受けて世に送り出された作品だが、封切と同時に大きな人気を誇り、長閑なスウェーデンの爽やかな大自然と白昼の中で続発する恐ろしい出来事が狂気じみていると話題になった。
この後の解説の為にも、そんな『ミッドサマー』のストーリーを簡単に振り返ってみよう。
本作の中心キャラクターは大学で心理学を専攻するダニー。同じく大学生のクリスチャンと長年交際していたが、クリスチャンは別れたがっていたものの、切り出せずに彼女との関係を続けていた。しかし、双極性障害を患っていたダニーの妹テリーが両親を道連れに無理心中を起こしてしまう。ダニーは家族を失い、深いトラウマを背負う事になる。
クリスチャンはダニーに同情しつつ、益々別れを切り出せなくなって悩んでいた。そんな中、文化人類学を専攻するクリスチャンは友人のペレから『故郷スウェーデンのホルガ村で90年に1度しか開催されない夏至祭を見に来てはどうか』と誘われ、同じく友人のマークとジョシュを連れて研究目的でスウェーデンへ行く事になる。ダニーはひょんな事からその事を知り、問い詰められたクリスチャンは渋々ダニーも誘う。
一行はスウェーデンへ渡り、ペレの案内でホルガのコミューンを訪れる。白装束を纏ったコミューンの人々は彼らを快く迎え入れ、ダニーには『おかえり』と声を掛けるなど少々不可解ではあったが、開けた草原と森と云う幻想的な風景とコミューンの温かさに魅了されて行く。ペレの兄弟分であるイングマールもロンドンから友人カップルであるサイモンとコニーを連れて来ており、共にマジックマッシュル-ムに興じながらコミューンで夜を明かす。
翌日、夏至祭の儀式であるアッテストゥパが始まった。この儀式はコミューンの老人が2人、崖から身投げをして生贄となるものだったが、内容を知らされていなかった一行はその様子を目の当たりにしてたじろぐ。身投げした老人の片方は落ち方の為か死に至らず、コミューンの代表者が大きな木槌で頭を潰して儀式を完了させた。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
ショックを隠せない来訪者たちに、『村人は72歳になると、同じ様に身を投げて死ななければならない』とコミューンの死生観を表した儀式である事を説明するが、サイモンとコニーはホルガから逃れる事を決める。一方でダニーは、ペレの懇願とホルガの文化を題材にした論文を書かなければならないジョシュの為に不承不承コミューンに残る事となる。
しかし、サイモンとコニーには魔の手が忍び寄り、コミューンの神聖な木に立ち小便をしてしまったマークは食事中に女性に誘われたまま行方不明となる。論文の資料を欲したジョシュは、ホルガの聖なる書物『ルビ・ラダー』の写真撮影を長老に断られた為、盗撮を試みるがマークの顔の皮を被ったコミューンの何者かに殴打され、そのまま何処かへと引きずられていく。
一方でクリスチャンの食事には女性の陰毛が混じっており、これはコミューンの女性であるマヤが彼との性行為を求めてのまじないである事が発覚する。そして翌日、女性総出で最後までダンスを続ける事を競うメイポール・ダンスに誘われたダニーは図らずも優勝しメイクイーンとなるが、その間、クリスチャンは薬物を飲まされてマヤと性の儀式に参加させられていた。
ホルガは血が濃くならない様に、コミューンの外の人間と定期的に交配する事になっていたが、今年はクリスチャンが選ばれ、全裸の女性に取り巻かれて囃し立てられながらマヤとの性行為に及んでしまう。その声を聞いたダニーが儀式に参加しているクリスチャンを目撃してしまい、パニックに陥って泣き叫ぶとクリスチャンは我に戻った様に慌ててその場を後にする。途中で地面から突き出したジョシュの脚、そして逃げ込んだ建物でブラッディ・イーグルの刑に処されたサイモンを発見するが、逃げる間もなくコミューンの者に捕まる。
メイクイーンとなったダニーは、コミューンの悪を祓う為に9人の生贄が必要だと説明される。既にアッテストゥパで犠牲になった2人、ジョシュ、マーク、サイモンとコニー、そして生贄に志願したコミューンのイングマールとウルフで8人まで捧げる事が出来るが、残る1人の選抜はダニーに委ねられた。コミューンの者ではないクリスチャンか、抽選で選ばれた村人のいずれかが挙げられたがダニーはクリスチャンを最後の生贄に選ぶ。
クリスチャンは薬物で意識が朦朧とする中、腹を裂かれた熊に詰め込まれてイングマール、ウルフと共に神殿に閉じ込められ、火を放たれる。その様子を涙ながらに眺めていたダニーだったが、焼け落ちていく神殿を見つめながら次第に笑顔になって行くのだった。
『ミッドサマー』はカルトに誘い込まれた学生たちが、夏至祭の生贄にされて行く恐怖を白昼のスウェーデンを舞台に描いたフォーク・ホラー映画である
夏至祭は実在する
『ミッドサマー』とは造語ではなく、夏至祭を意味するスウェーデンの単語だ。英字ではMidsommarと表されるが、英語に直すとMidsummerであり、他にもフィンランドではJuhannus、デンマークではSankt Hans Aftenと呼称は様々だが共通した文化だ。
『ミッドサマー』の舞台であるスウェーデン、そしてフィンランドでは夏至を国家的な祝日として定めており、特にスウェーデンでは毎年6月の19日から25日の間の金曜日に制定されている。起源はペイガン(キリスト教やユダヤ教が普及する前に知られていた欧州に見られた信仰の信者を総括した呼称)による夏季の到来を祝う儀式で、豊穣を祈願してのものだ。
儀式では舞踊や歌、焚火など火を使った式事や、花摘みなどが見られる。こうした夏至祭は、この時期が至高の幸運と回復をもたらす奇跡の多い、有難い瞬間であると信じられていた事に由来する。焚火や、信者たちが騒がしく飲み食いする様子は悪の精霊や不幸を祓うとされた。
そして豊穣と関連して、子宝や恋愛に纏わる儀式や祈願も盛んに行われる。例えば、夏至祭の前夜に枕の下へ摘んだばかりの花(特にオトギリソウと云う黄色の花)を忍ばせて眠ると、未来のパートナーが夢に現れると云ったものや、深夜に井戸を覗くと夫や妻となる者の顔が見えると云うものだ。花は肥沃や女性の生殖力や子孫繁栄を象徴すると言われている。夏至祭の時期に家を花で飾り付けると、健康にも良いとされた。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
夏至祭に見られるこうした恋愛成就や子孫繁栄に繋がる恋のまじないと云った類が、『ミッドサマー』ではクリスチャンの子を孕もうと目論んだマヤが、事前に陰毛と経血をクリスチャンの食べ物に混ぜる呪術めいた行動のインスピレーションとなっている。
その後キリスト教の浸透に伴い、夏至祭は洗礼者ヨハネを祀る祝祭に取り込まれていったと言われている。
『ミッドサマー』にも登場するメイポールは、その後西暦1500年頃から夏至祭に使われる様になった。但し、メイポール自体は既に2000年近く前の欧州で祝祭に使われていた歴史があり、こちらは春の訪れとローマ神話に登場する豊穣の女神フローラを祀る儀式(5月祭)で主に見られる。メイポールとなる木の本来的な位置付けは定かでは無いが、豊穣を祝う踊りに使われる事から木は男性器、装飾の花々は女性器を表している説もある。
『ミッドサマー』でも描かれた通り、参加者たちはビールやシュナップスを大勢で楽しみながら、身体や頭を花のリースなどで飾る。現代でも多くの人々に親しまれているフェスティバルで、勿論『ミッドサマー』の様な危険な儀式は行われていない。意に反して飲み物に薬物が混ざっている事も無いのでご安心を。
夏至祭(ミッドサマー)は北半球の国々が豊穣を祈願する儀式として始まり、現代でも親しまれている
メイポール・ダンスの由来
『ミッドサマー』で印象的なのはメイポールを囲ったダンスだろう。既に述べた様に、春の訪れを祝う踊りとして実在する祭事なのだが、本編では最後まで踊り尽くした人物がメイクイーンとして選出されるルールになっており、これは『ミッドサマー』独特の儀式だ。(メイクイーン自体は5月祭の代表者として実際に選ばれるが、ダンスで競う事は通例ではない)
その由来は、スウェーデンの民間伝承にある。
ホルガラーテン(Hårgalåten)または、『ホルガの唄』として知られる民謡で、ヨハン・ガブリエル・リンドストロムが1785年に発表した物語と関連している。唄は、ホルガベルジェ(Hårgaberget、ホルガの山の意)に近いホルガの村で夏至の明るい夜に若い男や女が音楽と踊りに興じている場面から始まる。
賑わう人々が、突然止まってしまった音楽に驚くといつの間にか黒装束の見知らぬ男がホルガを訪れていた事に気付く。その男はヴァイオリンを片手に持ち、両目は赤々と不吉な光を放っていたと云う。男はヴァイオリンを弾くから、村人たちは手を繋いで踊りながら付いて来る様にと言った。そして一度ヴァイリンの旋律が流れると、人々は誘われる様に踊り出し、男の後ろを付いて回って村の中を巡って行く。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
踊りながら男に付いていく一行。しかし、踊っていた若い村人の1人は男の脚に蹄が生えているのを見て、ヴァイオリンを弾くこの男が悪魔である事に気付いてしまう。若い村人は悪魔から逃れようと家の扉にしがみ付くが、扉が閉まって腕が千切れ、抵抗も空しくそのまま踊りを続けさせられる。
そうして人々は悪魔に操られるままホルガベルジェを踊りながら上り、悪魔は歪な松の木の上に座ってヴァイオリンを弾き続けた。哀れな人々は松の木を囲って死ぬまで踊り狂う事になる。しかし、死んでなお骨になり、骨が塵になるまで踊らされたそうだ。
これが『ミッドサマー』では、メイクイーンを決める儀式と云う形で描写されている。伝承にある村の名が、『ミッドサマー』の舞台であるホルガと酷似している点もその為だろう。
尚、唄に登場する実際のホルガはストックホルムの北、西海岸沿いに位置する小さな田舎町だ。ちなみにホルガラーテンの伝承は、スウェーデンでハルスィンゲハンボン(Hälsingehambon)と呼ばれるハンボ(ポルスカの一種で、19世紀後半にスウェーデンで発展した伝統舞踊)のダンス大会と云う形で現代に受け継がれている。
『ミッドサマー』のメイポール・ダンスは『ホルガの唄』と云う伝承をもとにしており、この伝承は現代でも実在するホルガの町で大会と云う形で受け継がれている
『ミッドサマー』のラストが意味すること
この映画は恋人との別れにインスパイアされた映画だとアスター監督が語っている。ラストで熊の毛皮に詰め込まれて焼き殺されるクリスチャンは、別れた恋人の思い出、或いは思い出の品を燃やす行為を象徴しているらしい。(別れた恋人を焼き殺す願望の現れではないとアスター監督は補足しているので、飽くまでも作中の描写として理解する必要がある)
しかし、その衝撃のラストに至るまでの経緯を分析してみよう。
オープニングでは精神的に疲弊したダニーが、家族を失った苦痛に独りで耐えている様子が描かれる。しかし、それをラストと比べるとどうだろう。ホルガのコミューンの人々はダニーの悲痛の叫喚に呼応する様に泣き叫び、本人も満足げな笑みを浮かべているのだ。コミューンは苦痛も苦悩も共に共有し、互いに理解し合っている。相互の理解、これはダニーの友人はおろか恋人のクリスチャンですら埋めてくれなかった大きな溝だ。
クリスチャンとマヤの性行為を目撃し、悲嘆とショックで取り乱すダニーを取り囲んでコミューンの女性たちが彼女を真似たのもその為である。ダニーの痛みを共に味わっていると云う事だ。そしてコミューンがそうした態度を取るのはダニーに限らない。
棄老の儀式で苦しむ男性を真似て地面に這い蹲って呻く様子も、その瞬間の彼の身体的な痛みと恐怖を全員が共にしていると云うコミューンとしての考え方をデモンストレートしている一例だ。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
ホルガのコミューンは狂信的で危険なカルトだが、救いを求めていたダニーを温かく受け入れてくれた人々なのだ。恋人との関係を断ち切る痛みにも触れつつ、そうした関係では共感力やエンパシーと云った相手を理解する力も重要である事を物語っている。『ミッドサマー』は恋人や家族が齎してくれる、最大の恩恵が如何に重大かをラストで描いているのだ。
燃やされている人々が誰一人として与えてくれなかったものを、コミューンのメイクイーンとなる事で得たダニーのカタルシスを表す笑みなのだ。
このシーンではシンボリズムの観点からもダニーが夥しい数の花で装飾されたドレスを着ている事も注目して欲しい。
実際の夏至祭でも花が恋愛に関する呪術やまじないに使われたり、女性の力や出産、繁栄や豊穣の類を象徴すると語った。ダニーがこの時、花に埋もれる様に飾られているのは、彼女自身の再誕を表しているのである。新たなコミューンの一員として過去を捨て(文字通り、嫌な思い出を始末する様に焼き捨て無に帰している)、生まれ変わったのだ。
ダニーの誕生日に似顔絵を描いたペレが、ラスト再び絵を描く行為に及んでいるのもコミューンの一員としての彼女の誕生日を象徴している。
花に覆われたコミューンの衣装も観察してみると、ダニーがそれまで着用していた衣服とシルエットが大きく違う事に気付く。ホルガの衣装を纏うまでの衣服はダニーの身体と合わず、吊り下がる様に若干オーバーサイズなものばかりだ。しかし、彼女がコミューンに貰った衣装はまるでテイラーメイドの様にフィットしている。彼女がコミューンにフィットしている事を暗示しているのだ。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
一方でクリスチャンは熊の毛皮を着せられている。作中ではホルガを浄化する為である事が説明されるが、その儀式に使うのが熊である必要性については明確な理由が語られていない。この謎の答えは北欧神話に目を向けると、女性、或いは女性の力を表す花とは対照的に男性を表している事に関係している可能性が推察される。
北欧神話では、主神オーディンがミズガルズ(人間の世界)へ降臨する際にしばしば熊に変身しており、古来より神の化身として見られていたり、熊が持つ強大な力が度々触れられている。オーディンの神通力を受けた恐るべき男たち(神話ではベルセルクと呼ばれる戦士)も、戦では熊や狼の毛皮を纏ってその力を闘いに活かそうとした。狂暴な熊は、畏怖すべき力の象徴だったのだ。
死に瀕し、これ以上ないまで弱ったクリスチャンに敢えて畏怖の対象である熊の毛皮を着せる事には皮肉が込められていると言える。
クリスチャンへの辱めであると同時に、女性を象徴する花を纏ったダニーが勝利し、男性を象徴する熊を纏ったクリスチャンの敗北を物語ってもいる。
ところで、焼き殺されたダニーの恋人の名が『クリスチャン』である事も意図的の様に思える。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
夏至祭は元々ペイガンの祭事だ。ペイガンはキリスト教の浸透によって、異端者と同義となってしまった歴史がある為か、『ミッドサマー』ではホルガの人々がキリスト教を否定する様な描写が見られる。例えば、ニシンの酢漬けを食べさせるシーンだ。
メイクイーンの座に就いたダニーは、その祝いにコミューンの女性にニシンの酢漬けを一口で食べる様に勧められるが、耐え切れずに食べる事を断念する。ニシンの酢漬けは実際の夏至祭でもポピュラーな食べ物なのだが、魚と云えばキリスト教信者が迫害されていた時代に互いに信仰者だと分かる様に地面に描いたシンボルだ。
それが由来となって、ギリシャ語で魚と意味するIchthus(イクトゥス)の綴りがキリスト教を表すアクロニムとなった。ἸΧΘΥΣはそれぞれ、Ἰ(イオータ)がイエス、Χ(カイ)が選ばれし者、Θ(セータ)が神、Υ(イプシロン)が息子、Σ(シグマ)が救世主を意味し、『選ばれし救世主で神の子、イエス』を表す様になった。
魚であるニシンを拒否する描写や、『クリスチャン』(英語でキリスト教信仰者の意)を燃やすのは、ペイガニズムへのささやかな賛辞なのだ。
『ミッドサマー』はダニーが苦悩から解放され、彼女が求めていた人々との関係性を手に入れて生まれ変わる様子を描いており、ラストは新たな人生の始まりを象徴している
神聖な数字『9』と『13』の秘密
『ミッドサマー』では数字の9が頻繁に現れる事にお気付きだろうか。
本編にて、ホルガでの祭事は9日間続くと説明されている。その祭事も、90年に1度だけ行われ、9人の人間が生贄になる事が要求される。そして、ホルガの村民の人生は9の倍数で春夏秋冬に喩えて表現される。
ホルガの死生観では、18歳までを春、36歳までを夏として巡礼し、54歳までを秋として労働し、72歳までを冬として生きる事をペレが説明している。72歳を迎えると寿命と見做され、生きている者はアッテストゥパの儀式に参加して命を差し出す事になる。
アッテストゥパに使われた石板にも9つのルーン文字が3×3のレイアウトで並べられている。
実は、数字の9は北欧神話と関係性が深い神秘の数字なのだ。『ミッドサマー』の舞台であるスウェーデンにも当然通ずるものがあるので、作中にシンボリックな意味を持って登場したのだろう。北欧神話によれば、全ては9つの世界で構成されており、その世界を支えているのがユグドラシルと呼ばれる一本の大樹なのだ。そのユグドラシルに主神オーディンが自ら首を吊ったのも、9日9晩だったと言われているので、『ミッドサマー』で9が頻出するのは偶然ではない。
北欧神話についてもっと詳しく
北欧神話では世界はユグドラシルという大樹に支えられ、9つの世界と3つの魔法の泉が3層に分かれて共存していると言う。1層目にはアスガルド(主神オーディンが住まう世界)、アルフヘイム、ヴァナヘイムが、2層目にはニダヴェリール、ヨトゥンヘイム、ミズガルズ(我々人間の住まう世界)が、そして3層目にはスヴァルトアールヴヘイム、ムスペルヘイム、ニヴルヘイムが存在する。ニヴルヘイムの地下には、冥府の女王ヘルが支配する死者の国ヘルヘイムがあると言う。
各層にはユグドラシルの根が1本ずつ挿しており、アスガルドの根には浄化作用を持つウルズの泉が、ヨトゥンハイムにはミーミルの泉が、ニヴルハイムにはフヴェルゲルミル(死と毒の泉)がそれぞれ重要な泉としてユグドラシルに支えられている。
オーディンはフリズスキャールヴ(全世界を視界にとらえることができる高座)に座して居ながら、己の知識と知恵が及ぼないものをも会得したくなった。オーディンから隠された知識や知恵を得るには、自らを犠牲にする必要があった為、片目をミーミルの泉に放り投げ、己の槍グングニルで自らの身体を突き刺し、世界樹ユグドラシルに首を吊った。
9日9晩ユグドラシルで首を吊ったオーディンは、ルーン文字を読解できる様になり、他世界の知識を得る事に成功した。未来の予知や、傷病の治癒、嵐を鎮める術をも体得したと言われている。
そして9に匹敵する頻度ではないが、13の登場も目に付く。特に、ダニーがメイクイーンとなったシーンから見られるのが気になるところだ。性の儀式に参加した女性は全てで13人、メイクイーンとなったダニーを先導するのも13人の女性だ。
『ミッドサマー』では神話や宗教的な意味合いを踏んだ表現が多いのはこれまで解説してきた通りだ。北欧神話に準えると、12人の神々が宴に興じていた際にラグナロク(終末の日)を引き起こしたロキが招かれざる13人目の客として現れると云った事に由来して、13は忌み数とされている説がある。
そしてキリスト教の伝播に伴って、北欧神話から派生したとされるキリスト教神話も知られる様になったが、ここでもサタンは13番目の天使と云う事から13は不吉な数字とされる様になったとも言われている。
だが、キリスト教に鑑みると13に良からぬ意味を持たせた代表例は新約聖書で描かれ、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた事でも有名な『最後の晩餐』だろう。
イエスの12の使徒が集まった席で、イエスを裏切る事になる使徒の1人ユダの席が、卓を囲っている13番目と云うところに由来している。他にも人類が時間や方角を表すのに12に関係する考え方を採用してきた事から、その次の素数である13は数学的に調和を乱すなど、何かと好ましからぬものとされてしまう機会が多かった。
犠牲者が増え、いよいよダニーとクリスチャンをコミューンの思惑通りに操ろうとしている局面から西洋的には忌み嫌われる事が多い13が登場し始めているのは、ホルガの真の姿が悪魔めいたものである事を示しているのかも知れない。
『ミッドサマー』の前半では神秘的とも言える雰囲気が漂うが、物語が進むにつれてその恐ろしい本性が暴かれていく様子を表現していると言えよう。
『9』と『13』はキリスト教や北欧文化でそれぞれ意味を持っており、9は神秘、13は忌み数としてホルガのベールが剥がれて次第に本性を表す推移を表しているのかも知れない
ルーン文字を解読
『ミッドサマー』では、ルーン文字が随所に登場している。カルト教を題材としたホラー映画としては、雰囲気が出るプロップだろう。
しかし、本当に単なるプロップに過ぎないのだろうか。
実は『ミッドサマー』に登場するルーン文字は、実在する文字に由来しており、解読を試みる事もできそうだ。先ずは棄老の儀式で登場したルーン文字を見てみよう。
ルーン文字はその順序によって読み方に違いが生じるが、伝統的なフサルク方式ではなく、ウサルク方式で読み解く設計になっている。
崖から身を投げる直前に、ルーン文字が刻まれた巨大な石板に自ら血を擦り付ける描写が印象的だが、この時に左手で血塗られた文字は英字のRに良く似たᚱ(ライドー)で『旅』、『動き』や『進歩』を象徴する文字だ。代わって、右手には矢印に似たᛏ(ティワズ)が刻まれており、北欧神話の軍神テュールを表すと同時に『(神の意に応える)責任』も意味する。他にも『贈り物』のᚷ(ギボ)、『盾』や『警告』のᛣ(アルギズ)、『神秘なる力』や『オカルト』のᛈ(ペルトー)も記されている事に気付く。
ここでᚱは旅、つまり人生と、神々の意思に報いるᛏが、アッテストゥパで自らの命を神に捧げて次の旅へと進む責務に従って神々へ贈り物を捧げ、その命はホルガを護る盾となる事を表しているのだろう。ポイントは、アッテストゥパによる生贄は贈り物である必要があり、強制的に捧げるものではないと云う点だ。石板に自らの血を塗ったのも、生贄となった2人の老人が飽くまでも自らの意思で死を受け入れる事を表している。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
そしてᛈが、この儀式が信仰によるものである事を示している。
また、一行をホルガへ導いたペレの装束にもルーン文字がエンブロイダーされている。Fに似たᚠ(フェフ)だ。これは『(畜産としての)牛』や『富』を象徴する文字で、儀式に捧げる生贄を多く誘った功績を称えられ、ホルガで地位を約束された事を暗示していると考えられる。
一方で、実はルーン文字の左右を反転させると元の意味とは異なる『良からぬ意味』を持つ。ダニーがメイポール・ダンスに参加する為に贈られた衣装の胸部に、そんな反転したルーン文字が見られる。石板で見たᚱと、ᛞ(デガズ)だ。
いずれも反転されており(ᛞは左右対称なので、90度回転させる事で反転を表している)、これは『不協和』、『停滞』や『死』、そして『不純』や『絶望』をそれぞれ意味する文字となっている。ᛞは通常、『純潔』や『夜明け』を象徴し、ᚱと同じく『進歩』も表すが、ダニーの胸元に記された文字からは不吉な未来が読み取れるのだ。
ダニーはラストでカタルシスを得たと述べたが、一方で彼女が選んだ道は己の弱さに甘んじた結果でもある。家族を失ったショックや、自身の不安定な精神的問題を克服する事なく、彼女が最も求める『共感』を与えてくれるホルガのコミューンに同化する事に他ならない。つまり、『旅』や『進歩』を象徴するアッテストゥパとは真逆の『停滞』とそれによる『絶望』だ。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
ルーン文字はラストで焼かれる生贄の神殿でも登場する。
その壁には大きく♢(イングス)と石板のᚷが塗られている。互いに重なり合う様に書かれているが、ルーン文字ではこの様に複数の文字が組み合わさって『結合』すると、2つの文字の間に共通した意味がある事を示す。Xはアッテストゥパで解釈された通り、神々への生贄、つまりは『贈り物』だ。♢はギリシャ神話のユングヴィ神を表すと同時に『繁栄』を象徴しており、贈り物を捧げる事でホルガに蔓延る悪を浄化し、生まれ変わる事を指していると言えよう。無論、これはダニーの再誕も暗示している。
より分かり易い例では、コミューンの長老であるシヴの胸元にはᚨ(アンスッツ)が縫い込まれ、『神』を意味するので彼女の地位をそのまま表している。主要なところは解説した通りだが、『ミッドサマー』では数え切れないくらい随所にルーン文字が隠されており、しかも実際の意味が明示にも暗示にもなっているので目がシャープなホラー映画好きは探してみると別の楽しみ方もできそうだ。
『ミッドサマー』のルーン文字はウサルク理論に基づいて解読する事ができ、多くは儀式の意味や各キャラクターの運命を表している
『ミッドサマー』の真の恐ろしさ
ダニーが迎えたラストの意味を知って如何だっただろうか。
突如家族を失った耐え難い悲しみ、無関心な恋人、疎む友人。そんな環境下で苦しむダニーに同情や共感が生まれ、カタルシスと共に新たな居場所を得た彼女のストーリーをハッピーエンドだと思いはしなかっただろうか。
それがカルトの恐ろしい点だ。カルト団体の解体を専門とするリック・アラン・ロスによると、洗脳で重要なのは『個としての存在を消すこと』だとしているが、まさにダニーはコミューンで個としてのアイデンティティを抹消されてしまったのだ。
個としての孤独感と云ったデメリットはあるが、個の状態では自分自身の考えや理性が存在している。意見や考えと云ったものが行動を支配する訳だが、カルトによって個の状態を解除され、集団に取り込まれてしまうと集団を支配する者の意思で動く事になる。集団の意思が、恰も自分の意思の様に錯覚し、操る事も容易くなるのだ。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
ダニーが性の儀式に参加したクリスチャンを目撃したシーンを良く観ると、彼女に合わせて泣き叫ぶホルガの女性たちは何処か不自然だ。泣き方が妙にリズミカルなのである。
ダニーの痛みに共鳴した行動を取る事でその苦しみを共有している一方、次第に女性たちのリズムにダニー自身が合わせる様に仕向ける事で、感情を介して個としての存在を消しているのだ。ダニーに合わせている様で、実際はダニーに合わせさせているのだ。ショッキングな場面を目の当たりにして平常心では居られない中、このシーンの様に息遣いがコントロールされた演技めいた泣き方をする余裕はないはずだ。
ここで行われている事は、『ミッドサマー』で見られる洗脳行為の代表的なものだ。人間関係で最も重要であるエンパシーや共感力は、裏を返せば強力な武器にもなってしまう。
アッテストゥパや、ラストの神殿で自ら生贄に志願するコミューンの人々が異常に思えるのは飽くまでも個としての思考回路や恐怖心が正常に働いているからで、個を徹底して解除されてしまったメンバーにはその様な判断能力がなく、コミューンとして正しい行動に従う事が自然となるのだ。『ミッドサマー』の描写はこの点、実際の洗脳行為と比べて実に忠実なのだが、それ故に真意を深く理解すると惨たらしい血みどろの場面よりもこのシーンの方が怖いかも知れない。
鑑賞している我々の中にも、ラストがダニーに幸いしたと捉える様に誘導しているのも『ミッドサマー』の実に戦慄すべき点だ。
『ミッドサマー』の真の恐ろしさは、実際のカルトが洗脳をする様に個の存在と思考回路を集団に同化させようとしている描写で、これは鑑賞者にさえ及んでいると言える
『ミッドサマー』の死
中世の処刑方法ブラッド・イーグル
ホルガを訪れた人々を襲う処刑方法はいずれも背筋が凍る様なものだ。胸を拳銃で撃ち抜かれる方がよほど慈悲深い殺し方に思える程に異常性を極めている。
その中でも突出して恐ろしいのが、サイモンが処された刑と言えるだろう。
サイモンの死は、『ミッドサマー』を鑑賞した人々を始め、ポップカルチャーでもヴァイキングによる残忍な処刑方法として知られる通称『ブラッド・イーグル』だ。日本語に直訳すると『血の鷲』である。その名と受刑者のありさまから予想ができる通り、身体を血塗れの鷲に見立てた身の毛もよだつ発想だ。
最も恐ろしいのは、この方法は受刑者が生きている状態で施される点だ。背中から肋骨と皮膚を刃物で切り離し、その上肺を引きずり出して広げる事で翼が生えている様に見せる。現代メディアでは許されざる罪を犯した罪人(ドラマや映画作品では往々にしてヴィラン)を極端に苦しめる際に見られるが、実は史実的には明確な記録が残っていない。
ブラッド・イーグルはスカルド詩(古ノルド語で記された9~13世紀頃の韻文詩)とサーガ詩(中世アイスランドの散文作品群の総称)で触れられているに過ぎず、実際にこうした刑が行われていたかについては研究者間でも結論が出ていない。詩的な空想か、或いは誤訳の可能性も指摘されているそうだが、サーガ詩では少なくともブラッディ・イーグルが2例描かれており、いずれも当時の皇族や上流階級の者が犠牲になったとされている。一方は主神オーディンへの生贄として、他方は父親の仇討ちとしてブラッド・イーグルが行われている。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
後者の一件は、クヌート1世を讃える為に11世紀の詩人シグヴェタ・ソアルドソンが書いた詩文『ナツドラパ』でもブラッド・イーグルに処される様子が描かれている。尚、これまで発見されている古代の文献だけでは議論の余地こそあるものの、ブラッド・イーグルの様な手法ではないにせよ、主神オーディンへの生贄として何らかの儀式の犠牲となった者は実際に存在する様だ。
詩文の誤訳を指摘する声には『戦場で息絶え、うつ伏せで倒れた遺体を烏が啄んだ為に背中が開けた無残な姿を表したに過ぎない』にも関わらず処刑方法として認識されてしまい、現代メディアが中世に残虐非道な文化が横行していた事を煽った為、誤った理解が定着したと主張するものもある。
ブラッド・イーグルは、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教迫害で殺害されたと伝えられているセバスティアヌス(聖セバスチャンとも)の姿に酷似しているとの指摘もある。西洋絵画で描かれるセバスティアヌスをご覧頂くとお気付きだと思うが、矢で射抜かれた姿である事が多い。厳密にはあまりの数の矢で損傷されたセバスティアヌスの身体からは、肋骨と内臓が突き出していたとも言われている。
こうしたキリスト教の影響を受けた描写に過ぎず、古ノルド語およびアイスランド語の詩に散見されるケニング(具体的な名詞の一単語の代わりに比喩的な複合語をあえて使う修辞技法の1つ)であるとも解釈する説があり、ブラッド・イーグルの議論に終わりは見えない。
史実的な位置付けはさておくと、現実的な処刑方法であるか否かをキール大学の研究者らが医学的観点から分析したものがあるが、結論的に言えば中世の武器や器具を以てしてブラッド・イーグルは充分可能だったそうだ。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
但し、分析に使った解剖学のソフトウエアでシミュレーションしたところ、処置の最中に失血死、或いはショック死してしまうのでブラッド・イーグルが完成する前に死亡してしまう為、肺を引きずり出されてなお苦しみ続ける可能性は低いとのこと。
サイモンも小屋に吊るされる間も苦しむ事なく、早々に死亡したと考えると幾分か気が軽くなる。本編ではブラッド・イーグルに処されてなお呼吸している様な描写があったが、実際には有り得ないそうだ。
(何としても避けたい残忍極まりない最期である事に変わりはないのだが)
ブラッド・イーグルの真偽ついては各々の想像に任される事になるのだが、実在する拷問器具や記録にある拷問や処刑方法の数々と眺めると、(残念な事に)地球上で最も残虐な生き物である人間ならばやりかねないと私は思う。
現代でブラッド・イーグルはヴァイキングとの関連が色濃く描かれるが、実際は古代の詩文に登場するだけで実例の証拠は見付かっておらず、仮に行われていたとしても処置の最後まで生きたままで居られる事は医学的に有り得ない
アッテストゥパは本当か
『ミッドサマー』では72歳を迎えたコミューンのメンバーが行う棄老の儀式を指すが、実際にはスウェーデン、デンマーク、ノルウェーやアイスランドに点在する複数の崖に与えられた名称だ。
ノーショーピングの森の近くにある崖や、ヨーテボリの山にある崖などアッテストゥパと呼称される場所が幾つかあるがいずれも決してその端に立ちたくない断崖だ。しかし、その名の由来は『ミッドサマー』と描かれる通り棄老にあると言われており、遥か昔に一家の負担となった人々が身投げをしたり、投げ捨てられて殺された場所だったとされている。
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アッテストゥパと云う単語自体は古代より使われた形跡があり、例えば6世紀のパラドクサ書であるParadoxographus Vaticanusにも記載がある。最も良く知られているのは、3世紀のラテン文献学者ソリヌスによる記載で、北極に棲まう人々(著書ではハイパーボリアと呼称されている)はあまりに健康で死ぬ事が出来ない為、寿命を迎えると身投げをする事で自ら命を絶ったとされている例だ。ハイパーボリアは巨人と称される事もある架空の存在だが、スウェーデンでアッテストゥパが棄老を意味する様になったのもこの所以である。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
スウェーデンは特にゴートレクスのサーガ詩に影響された経緯があり、この記述ではアッテストゥパで主神オーディンの為に自らを犠牲にすると死後にヴァルハラ(北欧神話では、一般に云う天国にあたる)へ行く事ができるとされた。そんなアッテストゥパに使われた崖の存在が正式に調査されたのは19世紀に入ってからだが、現在その様な崖は伝説に過ぎないとの結論が出ており、地名だけが定着する事となる。
現代では、老後に待ち構えている脆弱な社会保障のシステムや役に立たない年金を指す用語にもなっている。スウェーデンでは、ケアホームや老人ホームも無用になった老人を処理する事を目的としたアッテストゥパとして非難される事があるなど、政治的な意味合いも帯びたワードとして今に至る。
(ご存知の通り、破綻に向けて受給年齢を一方的に引き延ばしたりNisaの類で追加の出費を迫る日本の年金システムもアッテストゥパである)
日本でも棄老伝説の民話として『姥捨て山』が良く知られている様に、現役世代の負担となっただけの高齢者の扱いについては地域の垣根を超えた共通の悩みだった事が伺える。
アッテストゥパは伝承に過ぎず、調査によれば実際に行われた形跡はないが、実際に行われたと伝えられている各地の断崖絶壁には『アッテストゥパ』と云う名が付けられている
アッテスクルバは一家に1つ
アッテストゥパに似ているが、同じく棄老の為に使われたとされるのがアッテスクルバだ。
直訳すると『一族の棍棒』と云った意味になる様だが(アッテストゥパも『一族の崖』を意味するÆtternisstapaを語源とするらしい)、こちらは身投げに比べて一層残虐性を増しているものだ。身投げも充分に背筋を冷たい汗が流れる発想だが。
アッテスクルバも実在している事が明確に確認されてはいないが、『ミッドサマー』でアッテストゥパの際に即死を免れてしまったダンを叩き殺したハンマーがそれだ。直視し難いショッキングなシーンだが、このハンマーが空想の産物と言い切れない部分があるそうだ。
アスター監督もインタビューの際に触れていたが、ストックホルムの民族博物館に展示してある巨大な棍棒がそのインスピレーションとなったらしい。
それがアッテスクルバと呼ばれているとの事で、やはり一族の重荷となった老齢の者を叩き殺す為に使われたと伝わっているらしい。飢餓と云った事情で百歩譲って致し方なく命を絶つとしても、もう少し人道的な方法がありそうだが、道具も医学も発達していない古代に於いてはアッテスクルバが最適解だったと云う事だろうか。
基本的に一家に1つ備えられていたとされ、代々棄老の儀式に使われるものがどの家にもあったのだそうだ。ただ、先述した通りアッテスクルバも実際に棄老の目的で使われた証拠はなく、伝承に過ぎないとする声が大きいがアスター監督は実在した儀式だと捉えていた様だ。ナブローク(人体の下半身の皮膚を鞣して作る履き物で、莫大な富を齎す魔術に使うとされる)と同様に、悪趣味な民話に留まるものだと願うばかりだ。
アッテスクルバも史実上は存在しないとされているが、ストックホルムの民族博物館に展示されている事からアスター監督は実際に存在したはずだと考えたそうで『ミッドサマー』に登場している
『ミッドサマー』に現れるシンボリズム
その名がラストを表す
『ミッドサマー』は考察や気付きを交えてもう一度観ると面白味が増す作品だ。アスター監督が随所に意味深なシンボリズムを仕込んでいるので、初めは見逃しても再び作品を訪れてみる事で何かを見出せる楽しさがある。
その1つがダニーの名前にある。
フルネームは英字綴りではDani Ardorとなるが、名字にあたるArdorはラテン語で『熱』や『燃え盛る』を意味する。英語でも綴りが似ているArdourも激しい情熱を表す単語だが、由来はArdorだ。これはご想像の通り、ラストのシーンに直結している。
クリスチャンを始めとする生贄を焼き殺し、ダニーの再誕と云う二面性を持つ炎がArdorの名に込められている。ダニーの運命が炎によって大きく変わる事を暗示していると言えるだろう。
絵とタペストリーの数々
『ヘレディタリー/継承』でも顕著だったが、アスター監督は随所に様々な視覚的なシンボリズムも仕掛ける傾向がある。ここでは『ミッドサマー』の代表的なものを見て行こう。
絵は『ミッドサマー』で最も目に付くシンボリズムの媒体だ。特に冒頭のタペストリーには、『ミッドサマー』の粗筋が込められていると言っても過言ではない。実に仔細にストーリーが描かれている。
左から順に追ってみよう。
頭蓋骨が印象的なパートはダニーの妹と両親の死を表している。一酸化炭素中毒で死亡した3人だが、死亡時に着けていたマスクとチューブまでも描かれている。このチューブが両親と子供たちを繋げる臍帯(いわゆる、へその緒)の様に描かれている点も興味深い。
生を表しながら、それが死を齎すものにもなる二面性がここにも隠されているのだ。タペストリーの絵が4分割され、春夏秋冬を表しているのもホルガの死生観に倣ったものだろう。アーダー家が亡くなっているのも、ホルガで死を迎える72歳にあたる冬の終わりだ。
そして悲しみに暮れるダニーを、気持ち半分で慰めるクリスチャンがその横に描かれている。片手を背中に回し、慰めの行為が心からのものでない事が分かる。
そんな2人をペレが木の上から観察し、2人の様子を伺っている。
ペレが一行を率いてホルガを訪れる様子も比喩を交えて細かく描かれている。先頭を歩くペレは笛を吹いている様子だが、これは『ハーメルンの笛吹き男』を模した描写だ。笛の音色に誘われて川に溺れ行くネズミの様に、そして男の怒りを買って連れ去られた子供たちの様に、このシーンはペレの意のままに罠へと向かっている事を示している。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
マークが道化のジェスター帽(道化の衣装で、鈴が付いた滑稽な帽子)を被っている事も、不純な目的でホルガを訪れ、愚行ゆえに死を迎える事を表している。尚タペストリーでは直接描かれていないが、後にホルガの子供たちが『Skin the fool(道化の皮を剥げ)』と云う遊戯をしている様子から、マークは皮を剝がれて死ぬ事まで作中では暗示されている。
そしてアッテストゥパの様子や、クリスチャンを焼き殺す為の熊や、種々のハーブ、生贄を死へと誘いダニーを再誕へと導くメイポール・ダンスも描かれている。『ミッドサマー』のストーリーが集約されているのだ。
ダニーがメイクイーンとなる運命は、このタペストリーでは正確に描写されていないが、両親であるアーダー夫妻のベッドルームに注目して欲しい。半ば背景と化しているが、2人のベッドサイド・テーブルに飾られているダニーの写真に冠を被せるかの様に花が置いてある。メイクイーンとしてダニーに彩り豊かな花の冠が与えられるラストのイメージと重なる様になっている。
ラストと云えば、ダニーとクリスチャンの関係が瓦解して各々メイクイーンと熊になってしまうが、これは家族を亡くしたダニーが寝込んでいるシーンに着目して欲しい。
ベッドの上に飾ってある絵画には、白装束の少女が熊を撫でている様子が描かれており、熊は驚いた様な表情をしている。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
お察しの通り、冠を被った少女はダニーを表し、熊はクリスチャンだ。2人の行く末をストレートに表現した絵だろう。
この作品はスウェーデンの画家であるヨン・バウエルによるもので、『Stackars lilla Basse!(可哀想な熊さん)』と題された絵だ。これは『Oskuldens Vandring(散歩する童心)』と云う童話のワンシーンで、森の中を歩いていた少女が熊と出会い、鼻先にキスをして『可哀想な熊さん!』と言った事に由来している。
(Oskuldens Vandringは『清らかな散策』や『無垢の散歩』と云った具合に直訳されるが、ここでは意訳させて頂いた)
他にも絵ではなく、熊の死骸を介してクリスチャンが愛のまじない(実際には薬物)に惑わされた事を示唆するシンボリズムも見られる。臓物を抜き出し、クリスチャンを詰め込む準備をしているシーンではテーブルに載った熊の死骸が上面から映し出されているが、黒い毛皮と血で塗れた腹部のコントラストがある物を想起させる構図になっている。
イングマールが『ラブ・ストーリー』と言ってコニーとサイモンに見せたタペストリーで陰毛を切り取る女性の生々しい画が描かれているが、この図に瓜二つだ。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
タペストリーやフレームの中心に映し出された絵画とは異なり、見逃し易いものも多くある。
そんな1つが、家族の死を知って泣き喚くダニーを映したシーンでは、向かって左上に円が重なった明暗のコントラストが効いた絵が飾ってある。
これは現在のチェコに生まれたフランティセック・クプカによる『The First Step』で、正確には定かではないが1909年に描かれたとされている。描かれているのは重なり合う月だ。
陰に包まれた部屋と、終わりの無い夜を表す様な二重の月が終わり無き白昼と太陽を信仰するホルガとは対照的だ。これはダニーが孤独に苛まれる暗い闇夜の世界と、新たな家族と安寧を得た明るい世界をそれぞれ表している。
この他にも多くのシンボリズムが本編には隠されている。アスター監督が『ミッドサマー』について、以下の様に評しているが、その影響か作中には『オズの魔法使』(1939年)のキャラクターである案山子のハンクが随所に登場している。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
案山子のハンクが特に登場しているのは、ラストの神殿で燃やされる遺体が案山子を模している事に繋がるからでもあるだろう。
遺体は燃え易い様に藁を詰め込まれているが、これは『ウィッカーマン』(1973年)へのオマージュでもあると考えられそうだ。『ウィッカーマン』はケルト系(欧州へ渡来したインド・ヨーロッパ語族でケルト語を話した人々)のペイガニズムに於ける生贄の儀式を対象としたフォーク・ホラー映画で、ジャンルとしては『ミッドサマー』と同じものだ。
『ウィッカーマン』でも、ラストでは生贄として捧げられた(強制されたと言った方が正しいが)ハウイーが、ウィッカーマンと呼ばれる供犠である家畜や人間を閉じ込めて燃やす為の人型の檻に詰め込まれて、やはり焼殺されている。この儀式も豊穣を祈願してのもので、本編では五月祭やメイクイーンが触れられており、『ミッドサマー』と設定が酷似している。
そうした背景から『ミッドサマー』は『ウィッカーマン』を盗用したリメイクだと指摘する声もあるが、その判断は鑑賞者に任せるとしよう。
燃えない蝋燭と赤ん坊
クリスチャンとダニーの関係が冷え込んでいる事は痛い程に伝わるが、ホルガのコミューンとクリスチャンを露骨に比較しているシーンにも触れておこう。
『ミッドサマー』のラストを解説した章でも述べた通り、本作は人間が生きる為に必要な相互の関係に於いて重要なエンパシーをテーマにした映画だ。それを分かり易くする為に、両極端なクリスチャンとコミューンを対比させている。
(クリスチャンはそもそも別れたがっているので、比較対象として適切ではない様にも思えるが)
ダニーの誕生日を思い出し、慌てて小さなケーキの蝋燭を灯そうとするシーンがあるが、この時、フレームには左にクリスチャン、右にダニーが立っていて丁度中心にコミューンの女性たちがポジショニングされている。
クリスチャンはお祝いの言葉を歌いながらライターで蝋燭を灯そうとするが、中々火が点かず、ダニーは半ば気まずい表情を浮かべながらその様子を見ている。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
背景にはコミューンの女性たちが素知らぬ様子で、腕に抱かれた赤ん坊に寄り集まって構っている様だ。コミューンの女性がアッテストゥパの直前に説明した様に、ホルガでは育児も実親だけの責任とせず、全体で支え連帯責任のと云う形で分かち合う。
ここで最も分かり易いところは、灯そうとしては繰り返し消える蝋燭がクリスチャンとダニーの関係が風前の灯火である事を表している点だろう。
そしてその2人の間に立ちはだかっているのが、全てを分かち合うコミューンの人々であり、まさに分断する様に白装束が目立つ形でフレーミングされている。左右が共に孤独な個としての人間、中心には集団として互いに支え合う人々が描かれ、物語のテーマを改めて思い出させてくれているのだ。
このケーキの蝋燭に勢い良く息を吹いて炎を消し飛ばしているのもダニーだが、2人の関係に思い切った終止符を打つ彼女の決断も仄めかしている。
アーダー家の亡霊
『ミッドサマー』ではダニーの家族が物語の起点でもあり、前に進める原動力でもある。一家の死が彼女を究極的にホルガの一員にさせたと言えよう。
家族に関する言及(それが他者の家族であっても)があると、ダニーは心を抉られるかの様に反応し、コミューンで過ごす様になってからも度々幻覚と云う形で姿を表している。
その中でも、引鉄となった妹であるテリーは幾度か不気味な形でその姿を表している。
顕著なのはマジックマッシュルームを口にした際に、家族に言及したマークの言葉に反応してしまい、ダニーが手洗い所へ入って気持ちを宥めているシーンだ。一瞬だが、鏡に一酸化炭素ガスを吸う為のマスクを着用したテリーが浮かび上がり、驚いたダニーが振り返っている。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
もう1つは、メイクイーンとなったダニーがコミューンの女性に担がれるシーンで背景に紛れ込んでいるカットだ。
鮮やかな緑が美しいホルガを囲う森の木々だが、ここでは再びマスクをしている女性の顔らしきものがフレームの左上に映し出されている。パレイドリア現象にも思えるが、本編を通してこれ程まで明らかに人物の顔が背景に浮かび上がっているのはこのカットだけだ。
そしてメイクイーンとなったダニーに祝福の声を掛けるコミューンの人々に紛れて、死亡したはずの彼女の母親、父親、そして妹のテリーが白装束に身を包んでいるシーンも様々な憶測を呼んだ。ただ一瞬フレームに登場するのではなく、生きて歩いてさえいる様に表情もはっきりと読み取れる。
これはダニーの両親も実はコミューンの一員で、全てはダニーをメイクイーンに仕立てる為の計略だった(無理心中も、ダニーを不安定な精神状態に陥らせて操り易くする為の虚偽だった)とする説をも生んだが、コミューンの人間はコミューンの中で産み育てられる様であるし、この可能性は低いだろう。
このシーンではダニーを囲う人々の目が異様に大きく、彼女の頭を飾る花々も鼓動する様に花弁が開いたり閉じたりしているなど、やはりメイポール・ダンスの前に飲まされた薬物の影響が顕著なので一家の登場もその為と思われる。また少々シンボリズムの話に戻る様だが、ホルガの一員として家族が(幻覚とは言え)現れているのは、コミューンがダニーの真の家族と相違ない存在となった事を示しているのだろう。
出典:”Midsommar(2019) ©A24″『参照:https://www.imdb.com』
母親に気付いたダニーが呼び掛けても、母親は彼女を無視する様に通り過ぎて消えて行き次々とホルガの人々が笑顔でダニーを撫でたり、抱擁を交わそうとする。これも実に双方の反応が対照的だが、この二元的な陰陽の比較は『ミッドサマー』で幾度も観察してきた通りだ。
フランティセック・クプカによる『The First Step』が見られるシーンとホルガの恐ろしく明るい白昼を対比させた『ダニーが生きる2つの世界』と同じく、ここで亡霊が登場しているのは『古い世界の家族(陰の世界)』はもう過去のものとなり、『新しい世界の家族(陽の世界)』に彼女が完全に移る瞬間を表している。
怪物や超常現象が全く登場しない『ミッドサマー』だが、骨の髄まで冷たくさせる入念に練られた魔力を持った作品だ。観た事がない方や、1度しか観ていないと云う方は再度、是非鑑賞してみて新しい発見を楽しんで欲しい。